夜も八時を過ぎようという頃、本郷邸から唸り声が発せられていた。
「…う〜む。…ないなぁ〜」
山程の書類が散らばったリビングのテーブルの上を、本郷猛は眉間に深い皺を刻みながら掘り返している。それにあわせ、数枚の書類が宙を舞う。
「何がないんですか?」
後ろからその様子を窺っていた、本郷の後輩=風見志郎が声をかける。本郷は振り返りもせず、何かを探しながら答える。
「嫌…、友人から借りた書類が見当たらなくてな…」
「どんな書類ですか?」
「え〜と…グラフが書いあって…ホッチキスでとめてあって…」
と、
「何やってんだ?」
急に部屋の中に飛び込んできた声に、本郷が振り向く。そこには彼の相棒にして唯一無二の親友=一文字隼人が立っていた。
その姿に本郷の目が見開かれる。
「……は…隼人…?」
「ん?何だ?」
小首をかしげて怪訝そうに問う相棒を、恐る恐る指差す。その隣では、風見も似たような様子で一文字を見ている。
唾を呑み込み、何とか口を開く。
「そ…その格好は…?」
「格好?」
と、自分の今の姿を見下ろす一文字。暫らくじっと見ていたが、再び本郷に視線を戻すと、解った…、と言うような微笑をもらした。
「ああ、これね」
どうやら先程まで風呂に入っていたらしい一文字の身体は桃色に染まっている。シャンプーなどの香りが鼻腔をくすぐり、濡れた髪がいつもの彼と違う雰囲気をかもちだしていた。
嫌、それだけなら毎日の事だ。別に本郷と風見が動揺する必要は無い。そう、問題は一文字の格好―――。
「ズボンを持ってくるのを忘れたみたいでさ…」
白地に小さな青色の水玉のパジャマ。本郷邸に住む者なら誰だって一度はお目にかかった事のある代物。だが、その上だけしか着ていない持ち主となると―――長い付き合いである本郷でさえ初めて見る光景だった。
知らず知らず本郷と風見の咽喉がなる。
太腿から素足をむき出している一文字はされど、全く気にしていないようだ。男同士なので当たり前だが、見ている方は妙に緊張していた。
「で?何を探してるって?」
話を戻しつつ、硬直している本郷と風見に近付く一文字。テーブルの上の散らばった書類の山を見、眉を器用に上げる。
洗ったばかりの一文字の湿った髪が、本郷の目の前を通過する。
「随分と散らかしたもんだな。こりゃ片付けるのも一苦労―――わっ!?」
急に伸びてきた手に邪魔されて、一文字の台詞は途中で途切れた。
「な?…どうしたんだ?いきなり…」
後ろから抱きしめられる格好になった一文字は、自分の自由を奪った相棒を見上げた。本郷は一文字の髪に顔を埋め、少々悦に入っている。
その隣では、本郷の行動に驚き、顎が外れるくらい口をあけている風見がいた。
「本郷…?」
「隼人…ちょっといいかな?」
本郷の問いに、一文字と風見が同時に首を捻る。
「何が?」
「だから…」
と、言いつつ、一文字を抱いたまま本郷は移動を開始した。
「な?」
「…ああ」
本郷の言わんとしている事を理解した一文字が小さく頷く。やや頬を赤く染め、仕方ない…、と本郷を見上げた。その仕草で風見にも解ってしまった。
「せ…先輩…?」
それでも恐る恐る問う風見。そんな彼に向かって、問われた本人ではなく、抱きつかれている一文字が答える。
「悪いな、志郎。俺達もう寝るわ」
「あ…あの、書類は…」
無駄なあがきをしてしまう風見。
それに答えたのも一文字だった。
「書類?―――ああ、探し物の事か?え〜、明日探すよ。それでいいだろ?本郷」
「ああ、問題ない」
なにやらきっぱりと言い切る本郷を見、風見は目眩を感じたようだ。額に手をやり、何かに必死に耐えている。そんな風見を無視し―――嫌、ただ単に気付いていないだけだろう―――本郷は、一文字を引き摺るようにしてその場を後にした。
何やら、ピンクのオーラを撒き散らしながら…。
「…………」
一人その場に残された風見は、今この時、リビングに自分しかいない事を呪った。せめて後一人くらいいたならば…。
「一文字さん、普段素肌ほとんど見せないから…余計なんだろうな…」
何となくそんな事を呟き、風見はソファーに倒れこんだ。とりあえず、今はそのまま眠りたかった。
終
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