「……?…誰もいないのか?…無用心だな」
後ろ手にドアを閉めながら、一文字は呟いた。
立花レーシングクラブ内。
いつものようにレーシングクラブに来た一文字隼人であったが、すっかり静まりかえった部屋の中で思わずため息が漏れた。
入り口近くのソファーに腰を下ろし、テーブルにジェットヘルを置く。
ソファーに体をあずけ、そのまま首を反らし天井を見上げた。
(…皆どこへ行ったんだ?昨日は特に何も言っていなかったが…)
フ―――っと、急激に気持ちが下降する。
普段は意識をしない重い闇。
しかし、いくら否定したとしても、それは確かに一文字の心の中に存在している。
存在し、彼を苦しめる…。
(もうあきらめた筈なのに…な)
自嘲気味な笑みが漏れる。
時々、思い出したように表に出てくる笑み。
自覚はしている。
(―――俺は人間だ…)
自分と同じように【ショッカー】に改造された怪人達と戦っていると、そんな簡単な事を忘れそうになる。彼も―――彼等も、自分や本郷猛と同じように無理矢理改造された人間じゃないのか?自分達は運良く脳改造前に脱出する事が出来たが、一つ間違えば彼等と同じように……。
(…俺は一体何人殺してきたんだろう…)
皮手袋をしている自分の手を目の前で広げる。
その掌が真っ赤に濡れて見える。
それが、単なる気のせいだという事は解っている。解っているが…。
(弱気だな。決心したんだろ、一文字隼人?あの時―――本郷に助けられてアイツに謝られた時、『俺も一緒に戦う』と…。二度と俺達のような人間を出さない為に【ショッカー】を壊滅させると…)
赤く染まった手を握り締める。
「俺は戦う。皆の為に……この世界で生きている人達が笑顔でいられるように」
そして、皆の笑顔が見られれば―――自分が人間である事を忘れない…。
「………」
生きる。
生きて守る。
人々の笑顔を。そして―――
と、
「……ん」
「?!」
唐突に聞えた声に、一文字は驚いた。奇妙な恥かしさに、顔が赤くなる。
声がした方へ近付くと、一文字は思わず素っ頓狂な声をもらした。
「……何でこんな所に寝てるんだ…?」
部屋の隅。
―――としか表現しようのない場所で、FBI特命捜査官滝和也は眠りこけていた。
「……滝…?」
一応呼びかけてみるが反応無し。
(どうしたもんかな…)
起こしていいのか、このままほっといた方がいいのか、ちょっと判断がつかない。
(…しかし…)
床にじかに寝ているというのに、彼はスヤスヤと気持ち良さそうだ。
どこででも寝れる体質なのかもしれない。
「ソファーで寝ればいいのに…」
思わず笑みが漏れる。
「まるで子供だな」
ひょっこりと、悪戯心が顔を出した。
のんきな顔をして寝ている滝に向けて手を伸ばし、頬を人差し指でつついてみる。滝は身をよじった。
その様子が、大の大人なのにやたら可愛くて、おかしくなった。
「ははは…」
声をひそめて笑う。
皆が帰ってきたら教えてやろうか?本人以外全員に話して笑うってのも、なかなか面白いかもしれない。
どうしても我慢できなくなって、一文字はもう一度滝の頬をつついてみた。
「……ん…」
今度は強く押しすぎたらしい。
身を何度かよじった後、滝は目をこすり、辺りを見ようと頭を擡げた。
「…誰だ!?」
張り詰めた声を出し、滝は体を起こした。一文字に向かって戦闘態勢を取る。
「……ぷっ…」
その反応が一文字のツボにハマった。
「くくく…く…はは…、あははははははは」
こらえきれず大声で笑う。
一文字の反応に目を見開いた滝は、暫らくしてやっと自分の前にいるのが一文字隼人だと気付いた。
かまえをとき、床に腰を下ろした。
一文字はまだ笑っている。
「一体何がそんなにおかしいんだ?隼人」
一人取り残された形となった滝は、憮然として言った。
何とか笑いをこらえようとして、一文字は深呼吸をした。
「すまんすまん……くくくくく」
………失敗に終ったが。
「はぁ〜やぁ〜とぉ〜」
「ああ、わかったわかった」
二・三度咳払いして、やっと笑いをしずめた。
滝の前に腰を下ろす。
「…で、なんでお前さんこんな所で寝てるんだ?」
「え?いや―――…なんでここで寝てるんだ、俺?」
「……わからないのか?」
「ああ」
(…こいつは)
言い切る滝がおかしくて、又、一文字は笑った。
「今度は何だ…」
恨めしい目で睨んでくる滝。その表情でさえツボにハマる。
先程までの暗く重い気分は、すっかり山の向こうへ飛んでいったようだ。
いつまでも笑っている一文字をほっといて、滝は立ち上がり、その場から離れようと―――
「どこへ行くんだ?」
滝の手首を掴み、笑いがおさまらないまま一文字は聞いた。
面白くなさ気な表情の滝が、無愛想に答える。
「お前のいないところだよ」
「何で?」
「そんなに笑われて、嫌な気分にならないと思うか?」
「思わないよ」
「だったら―――」
又、一文字の中に悪戯っ子が顔を出した。
考えるよりも先に、滝に向かって一文字は手を伸ばしていた。
「―――っ?!」
驚いた顔が見えた。
近すぎてよく解らないけど、確かに滝は目を見開いて驚愕していた。
一文字がゆっくりと離れても、滝は驚いた表情のまま動かない。
嫌、動けないらしい。
その表情もおかしい。
「ははははは」
「な―――何するんだお前はぁ!!!」
やっと我にかえった滝が大声で怒鳴る。
あまりの声量に、一文字は両耳をふさいだ。窓のガラスがビリビリと振動している。
顔を真っ赤にさせ、滝は腹式呼吸を最大限利用して怒鳴り続けた。
「お前の事は前々から変なヤツだとは思ってたけど、こんな事をするとは思わなかった!するか、普通?!いきなり、俺に…お…男に……き…」
「『キスするなんか』?」
今度は滝が両手で耳をふさいだ。頭を左右に思いっきり振る。
「言うな!恥かしい!!」
「恥かしいか?」
「当たり前だろ!お前はイギリス育ちだから違うかもしれないけど―――」
「気持ち悪いとか思わなかったのか?」
「はぁ?!」
「普通はそう思うんじゃないか?男同士だぞ?」
「だったらお前もそう思うんじゃないのか?」
問い返され、一文字は口を閉じた。
「だいたい、お前どうしてあんな事したんだ?」
「それは…」
どうしてと聞かれても、特にコレといって理由が思い浮かばない。ただ、どういった反応が返ってくるのか知りたかったから…としか言えない。しかし、問われてみれば、たったそれだけの事で男にキスなどするだろうか?
黙って考え込んでしまった一文字に、滝は手を振って背を向けた。
「ああ、もういいよ。隙があった俺も悪いんだしな。でも二度とするなよ」
「……ああ、そうか」
「なにが?」
滝を見つけるまで、自分は暗く重い闇に捕らわれていた。どんなに前向きに考えようとしても、それは自分の影のように付きまとい、足にはめられた枷のように自由を奪っていた。しかし、滝を見つけてから、そんなモノはどこかに行ってしまった。いつの間にか暖かい気持ちになれていた。
それはどうして?
どうして滝にキスしたくなった?
「たーき♪」
「…何だよ…」
一文字の呼び方に、滝は眉間に皺をよせた。
どうしてだろう?
そんな表情でも、「見れて嬉しい」なんて思うのは…。
「ありがとうな」
「……何だよ急に?今日のお前おかしいぞ」
「そうか?」
自分の掌を見る。
それには、まだ、赤い血がこびりついている。だが―――
「俺、滝が好きみたいだ」
「はぁ?!今度は何言ってんだ!?」
滝は信じられないといった風に肩をすくめると、ドアのノブに手をかけ、部屋を後にした。
滝が閉めたドアを見ながら、一文字は微笑した。
「面白いヤツ」
皆が帰ってきても、寝ていた滝の事は黙っていよう。
あんな滝の表情や反応を知っているのは自分だけでいい。
ちょっとした優越感に、【ショッカー】の事件のない日や東京に青空のある日のように、一文字の心はすっきりとしていた。
人間だという事を忘れない。
いつまで続くか解らない戦いでも、諦めずに戦える。
滝がいるなら大丈夫だ。
「…ありがとう、滝。生まれてきてくれて…」
最後に、一文字はそう呟いた。
終
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