amnesia
吐息を奪い合うようなキスから始まる。
徐々に気持ちを高めてからなんて、そんな焦れったいことはしない。
相手に惹かれている分だけ、相手も自分に惹きつける。
互いが互いに引力を感じているから、出逢ってしまえば心は自然と重なり合う。
もちろん体も。
しっとりと馴染みあう肌。体温。鼓動。息遣い。
どんなに寒い夜でも、固い床の上でも。
無理な姿勢を強いられても。
なにも感じないくらい、狂おしいほどの熱に翻弄される。
ひたすら、求め合うだけ。
どんなに浅ましい行為と咎められても、過ちだと思うことはない。
限られた逢瀬だからこそ、より激しく貪りあっても。衝動に身を任せているのではない。
心には相手を愛しむ想いが、増すだけだから。
愛しいからこそ求めずにいられない。
けれど、そこに一切の不満も不安もないわけではなかった。
新一には、夢かもしれないと錯覚する時がある。
自分の隣に横たわっているオトコとの始まりがあやふやなせいかもしれない。
覚えているのは、瞳を合わせた瞬間に全てが始まったということ。
気がついたら口付けられていて。圧し掛かられていて。
焼け付くような熱を与えられていた。
それが嫌ではなかったから、今も続いている。
というより、自分の気持ちに気付かされたという方が正しいのかもしれない。
だから、このオトコと゛愛しあって゛いるのだ。
(……けど、恋愛してる…っていうのとは違うよな……)
自分たちは、気持ちを育もうというような穏やかさとは無縁だ。
相手への敬慕や労りなどなくて、あるのは熱情のまま欲っしあうこと。
青春期だから盛りのついたケモノになっても仕方ないのかもしれないけれど。最近、新一はもっとゆっくりとした時間を持ちたくなってきた。
求めることに満足した訳ではない。ただ嵐にも似た情動が過ぎ去って、深いつながりを望み出したのだ。
欲望には果てがない。
肉体的な繋がりより、もっと確かな精神的な繋がりを持ちたい。
それこそ、新一は゛恋愛゛がしたかった。
抱き込まれている腕の中から半分抜け出して、上半身をそっと起こす。
今はシルクハットもモノクルもつけてはおらず、素顔をさらしている。だが、どんなカオをしているかは知らない。
いくら月の明るい夜でも、顔を照らして見せるようなことはしないから。
情事の最中も同様。行為に溺れているようでいて、いつも影を纏っている。
こうやって横たわっている時でさえ。
例えば明かりをつけようとしても、そうする前に察してしまうだろう。眠っているようでいて、ちっとも寝ていないから。容易に阻止される。
闇に慣れた目で、影に縁取られた顔を見つめる。
シャープな顎の線、すっと伸びた鼻梁。
輪郭をそっと指で辿っていく。
眉間から額。眉、そして目元。頬と、唇。
感触でおおよそどんな顔形かを想像して、唯一知っている瞳の輝きを当てはめてみる。
「なに?名探偵。オレのカオに何かついてるか?」
寝てなどいないとわかっていたから、突如掛けられた声に驚きはしない。
「……別に」
素っ気無く返して、ベッドに潜り込む。
このオトコはいつだって新一の好きなようにさせている。
大切にしているモノクルを弄くっても、戦利品である石を取り上げても。八つ当たり的に噛み付いても、寝たフリをしている間はそのまま放っておく。
こんなふうに目を醒ましたフリをするまでは。
つまりは、逢瀬の終わりを告げているのだ。
どうして離れていられたのだろうと、果てしない引力を感じたのも束の間。
あんなに惹かれあった時間が本当に存在したのかというぐらい、呆気なく去る。
今も。
ベッドから出ると、手早く白い衣装を着込んでいく。
モノクルを装着し、シルクハットを目深に被ってようやく、月明かりの下に立つ。
次第に、新一はこの瞬間を迎えるのが辛くなっていた。
もしも、後少しだけここにいて欲しい――――なんて言ったとしたら、どうするだろうか。
最近、捕らわれている考え。
新一はこのオトコが好きだから、女々しいとか情けないなんて思いもしない。むしろ当然のことと受け止めている。
しかし、口に出して言えないのは事実。
思うのは、どういった基準で自分を好きでいてくれるのか、だ。
相手の職業とかプロフィールとか私的なことに干渉しない。
自分の感情を押し付けたり束縛したりしない。
甘い時間なんて必要とせず、欲望の赴くまま行為に戯れることのみに終始する。
それが、夜を共に過ごす相手に求めている条件だとしたら。自分はとっくに規格外だ。
想う相手に心を知って欲しい反面、知られて失望されるのを何より恐れている。
絶対に離れることなどできないと、わかっているから。
一時の別れすら、胸が締め付けられるほどになっているのだから。
じっと見つめる先で、長くたなびくマントを付け支度を整えたオトコは、いよいよ別れを告げようとする。
やはり影に覆われた顔は、何も見えない。
胸の痛みに歯を噛み締め、きつくシーツを握る。抑圧してきた感情を必死に制しようとしたけれど、現実を思い知るたびに箍は耐え切れなくなっていて。
ついに、言葉に出してしまった。
「……オマエ…カオ、見せられないほどブサイクなのか……?」
それでも、真実が知りたいなんて聞けやしない。
ふと思い至った疑問のようにさり気なさを装って、自分の想いを密かに忍び込ませるだけ。
「は?名探偵って、顔の美醜に拘るほうだったか?」
自分がキレイなこともわからないクセに。
続けられた呟きは聞こえなかったが、相手が呆気にとられたのは確かで。尻上がりな語尾が、新一の癇に触る。
「そうじゃない!そうじゃなくて。だってオマエ、カオ見せないじゃないか。朝がくる前に帰るし…その…」
しまったと思ったときはすでに遅く、つい本音を曝け出してしまった。
ただ縋るようなものではなくぶっきらぼうな口調であったのが救いだ。まだ取り繕う余地はある。垣間見せてしまった心を誤魔化そうとした時。
「なら、昼間に逢うか?」
目の前のオトコは、驚くべきことをサラリと言ってのけた。
一瞬、新一は耳を疑ったけれど。耳に残った言葉の余韻は間違いなく、現実であると告げている。
「……に言ってんだよ…だって、オマエは…」
「違うのか?名探偵の言わんとしてるところって、それだろう?」
見ることのできない表情からは、真意を読めはしない。何を思ってのことだかわからず、動揺だけが広がる。
「いい…のか…?」
恐る恐る聞き返した新一に、頷いてくる。
「もちろん。そっちにオレを受け入れる覚悟があるならな」
その言葉に、新一は自分と同様に隠されていた想いを感じ取った。
本気の恋をしたせいで、臆病になっていたのは自分だけではない。このオトコだとて、自分が怪盗のすべてを許容し抱擁できるかを伺っていたのだ。
新一は、負けずにしっかりと頷いた。
月の光を浴びながら、闇に紛れていく後ろ姿。
ガラス戸の向こうに消えてしまっても、切なさを感じはしない。
遠く隔たりがあると思っていた自分たちの心が、実は深く寄り添っていたこと。切望していた恋愛に、とっくに足を突っ込んでいたこと。嬉しくて、幸せとはこんなにあたたかくて気持ちのいいものかと、夢心地に浸ってしまう。
何より、初めて交わした約束を胸に抱いていたから。
今度の土曜日、1時に米花駅前で。
駅前のどこだ?目印とかは?
そんなものが名探偵には必要なのか?ここまで愛し合っておいて、オレがわからないなんて言わないよな。
わかるに決まってる!
じゃあ、待ってる。
けれど、それは果たされなかった約束。
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02.03.18
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