いつもの道。いつもの歩調。
周囲に視線や意識をむけず、ただ進む。

そんな快斗の瞳に、輝きが反射する。意識を呼び覚ましたものに引き付けられるように足を止めた。
宝石店のショウウィンドウの前。
いつも通っているところだが、こんなところにこんな店があったとは今の今まで知りもしなかった。
久しぶりに外界のものへと、注意を向ける。

一瞬、光を受けて煌いた蒼。

魅入られるように近づく。
色とりどりの宝石が並べられている中で、感覚に強く訴えてくる。0.5カラット程のとても小さなものだが、色がとても良い。
彼の瞳と同じ色合いの蒼。
余計な飾り石はついておらず、柔らかなホワイトゴールド台が繊細なリーフ模様の透かし彫であるのも何となく彼らしい。

「恋人へのプレゼントですか?」
あまりにもじっと見入っていたせいか、店の中から店員が出てきた。
その問いかけは、快斗にあの頃の感情を瞬間だけ蘇えらせる。
誕生石であるエメラルドより、ずっとエンゲージリングにはぴったりだなんて。馬鹿馬鹿しい考えさえ浮かぶ。

本当にこれを贈れたらどんなにいいか。
彼が笑って受け取ってくれたら、どんなに幸せか。

なんて。
叶わぬ夢を、諦めた願いを追いかけても仕方ないのに。快斗はどうしてもこの蒼から目が離せなかった。










Good night . 2











「遅くなりました」
快斗は黒いエプロンをつけながら、カウンター内のマスターに頭を下げる。
「まだまだゆっくりしてて構わないよ。のんびりとしてるしね」
言葉通り客は3組だけ。それぞれのテーブルにはもうオーダーの品も並んでいるから取り立ててすることはない。
周囲を見回していた視線を、カウンターテーブルに置かれている緑へと移した。

店内は落ち着いた木造りで、観葉植物がいたるところに飾られているとても寛げる空間だ。
オーナーであるマスターも、客の疲れを癒すことをモットーにメニューにも色々工夫をこらしている。店の雰囲気とマスターの人柄に一度くれば常連になる者が多く、長居する者がほとんどだった。
実際、快斗もここの心地よさに引かれた口だ。

無為に時間を送る日々のなか目的をもって唯一出かけるところの、その道すがらにある店。天候の急変で何とはなしに入っただけだったけれど、離れがたくなってしまった。
気が付けばぼんやりと座っていることが多くなって、「暇なら手伝わないか」というマスターの言葉にすんなりと頷いた。
何をするでもなく時間を持て余していたし、ここでより多くの時間を過ごせるならば願ったりと思ったからだ。

快斗が何より引かれたのは、この空間がもつ懐かしさ。
訪れた客に、心を癒す安らいだ場所であるようにと心を砕くマスター。
見にきてくれた客に、浮世を忘れてひと時の夢を与えていた父親。
年齢が近しいこともあって重ねて見てしまったことも、懐かしさを感じた一因。
でも一番の理由は、もう自分には無償であたたかさをくれる存在がいなくなったこと。
ここに初めて足を踏み入れた時、快斗は知らず知らずのうちに息を吐いていた。
ああ、自分は疲れていたのだと、ようやく気づいた。気づかせてくれたマスターのぬくもりが、よく似ていたためだ。
唯一、快斗に残されて、そして失ってしまったものに。




冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターをピッチャーに移す。
時間的なことからしても、そろそろ客が増えていく頃。すぐに持っていけるようにとグラスを並べていると、快斗は自分に向けられる視線を感じた。
「どうかしましたか?」
じっと横顔を見つめていたマスターに向き直ると、目を細めて微笑まれる。
「何かいい事でもあったかな?」
「え…」
「とても表情がやわらかいからね。いや、何でも聞きたがるのは年寄りの悪いクセだな」
悪いね、そう言いながらも楽しそうにしながら豆を挽き始めた。
そんな様子に、快斗は自分がここを気に入っている理由を改めて実感する。
立ち入られたくないこと、踏み込んでほしくないことをきちんと踏まえて。些細な喜びや幸せには気づき、共有してくれようとする。
(…いくらポーカーフェイスで取り繕っても……誤魔化されなかったし…)
マスターと重なる姿。
苦しくて辛い時は気遣っているのを悟らせないようごく自然に接してきて、優しく包み込んでくれたひと。楽しいことや嬉しいことは言い出す前から気づいて、顔をほころばせてくれた―――快斗の唯一の味方だったひと。
(いいこと、か…)
マスターの言葉はあながち間違いではない。
胸のポケットに入れている、3センチ四方の小さなケース。
エプロンの上からそれに触れると楽しかった日々が帰ってくるようだ。久しぶりに、心の暗雲が晴れた気分。
マスターが不躾に見てきたのも、暗く淀んでいた快斗しか知らなかったからだった。




カラン。
扉につけられているカウベルが鳴って、二人連れの客が入ってきた。
「こんにちは、マスター」
「やあ」
「いらっしゃいませ」
予想通りに常連客がやってくる。
手際よくグラスに水を注いで、トレイにのせて持っていく。おしぼりとともにテーブルに置いていると、新たにカウベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
若い女性が楽しそうにおしゃべりをしながら入ってきたのを背中で聞きながら、いつもの通りのオーダーを受ける。それをマスターに伝えて、店の一番奥の席に着いた客を伺おうとする。
「3人だよ」
「あ、はい」
席の仕切りの植物のせいでよく見えないでいると、マスターが教えてきた。言われた通りの数のグラスとおしぼりを用意して、客のもとへと向かう。
店内は幾分ライトを落としてある。それは隣り合う客同士が気にしないで落ち着けるようにとの配慮から。
その上、快斗は足音を立てずに客の気分を害さないようにそっと近付くから、傍にくるまで大抵の者は気づかない。
「どうぞ」
静かに告げてグラスをテーブルに置くと、おしゃべりをしていた彼女たちはぴたりと止めて、ぎょっとしたように快斗を見つめてきた。驚かしたつもりはなかっただけに意外だった。
だが、気にせずに2人の前に並べ、向かい合って座るもう1人のほうにグラスを置いた。
声にしても態度にしても賑やかな彼女たちとは一線を画して、とてもひっそりと座っている。
同じブレザーから、同じ学校の制服だとぼんやりと思っていると。俯いていたそのひとが、ゆっくりと顔をあげた。




蒼く蒼く輝く、瞳。
闇の中、眩いばかりに煌いて。真っ直ぐに心を射ぬいた宝石。
凍えた暗闇に棲む快斗を、一瞬にして白い光のなかへと導いてくれたひと。
そして、闘うことでしか生きる術を見出せなかったのに、幸せな夢を見せてくれたひと。

心の奥底に刻まれた蒼は、一生消えることはない。
忘れられるはずもなく、快斗が思い出さないときはなかった。
きっと、一生のうちでたったひとつ自分の手で持ち得たものだから。きっと、これだけが快斗のなかでキレイだと言えるものだったから。


目の前にあるのは、間違いなく快斗が恋した瞳。
初めて出逢ったときのように、白い面が真っ直ぐに見据えてくる。
もう一度、こんなに間近で瞳を合わせることができるなんて。蒼い煌きに自分の姿を映してもらえるなんて。

(…あぁ…キレイだな……)

かつての幸せな夢を思い出して、夢のなかとは比べものにならない美しさに視界が焼かれそうになる。
鈍っていた感覚が、再び目を覚まして動きだしているような錯覚すらする。まだ、自分にもこんな気持ちがあったのだと、快斗は思う。


「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」

おしぼりを置き軽く頭を下げてテーブルから離れた。
抗い難い引力が蒼の輝きにはあって、いつもいつも別れ際は苦労したのに。あっさりと踵を返す自分を、快斗はまるで他人事のように分析する。


よもや客として、彼が現れるなんて思ってもみなかったコト。だから恐ろしいともいえる偶然のはずなのに、白皙の美貌が彼だと気づいても驚きもしなければ心臓が高鳴りもしなかった。
変わりなく輝く蒼い光が、とても美しいと思っただけ。
強く、揺るぎのない輝きが眩しいと感じただけ。
彼に恋したのは、もう過去のことだから。自分の想いが醒めたのではなく、もう彼と運命が重なりあわないため。
そして、自分がどんなに穢れたものかわかっているから。


初めて出逢ったとき、凄まじい衝撃を受けた。それは、蒼い閃光が快斗の世界の闇を薙ぎ払ったせい。
いつもいつも足元に口を開けていた深淵、そこから地獄へ引きずり込もうとする全てを消し去って、明るい世界に導いた。
溢れ出てきたあたたかくてやさしい想いは、彼が薄ら汚れた自分を浄化してくれた証。だから、キレイな彼に恋することを躊躇わなかった。
だが、それら全ては錯覚だった。
気づかせてくれたのは、最期の夜の、彼のコトバ。




かつて、蒼い瞳に映る自分はとても清浄なもののように思えた。
でも、今は誤解する術は何もない。
真実を見通す瞳には、真実の姿しか映らないのだ。

だから、彼に逢えたのに心が高ぶることも気持ちがときめくこともなく。深く深く、どこまでも沈みこんでゆくだけ。
彼の美しさを目の当たりにすればする程、際立つのは己の汚れ。

”犯罪者"

それは、罪深き許されざるものの呼び名。
彼が最期に呼んだ、自分の名前。





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03.01.11 


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