幻影奇譚 3
「待てよ…っ!まだ時間はあるはずだろう?!」
自分の言いたいことだけいって消えるなんて、あんまりだ。
何一つ、伝えられていないのに。このまま別れるなんて。
消えかかっていた影は、表情がわかる程度だけ戻ってくれた。
困窮と悲哀が入り混じっているが、そんなこと気にしてなんてられない。
『これ以上、ここにいても仕方ありません。そのくらい、分かってられますよね?』
「勝手にあらわれたくせに!どこまでも自分の都合ばかり押し付けるな!」
少しだけ、表情を緩めた。
あと3日、付き合ってくれるのだろうか。そうして、考えを変えてくれるのだろうか。
やさしい眼差しで、静かに微笑んでくれるから、期待してしまう。
『あなたが呼んだのですよ?』
「…え?」
意外な言葉に、何を言われたか分からない。
説明を求めるように見つめると、躊躇いがちに口が開かれる。
『――私は、白い闇の中にいました。浮遊物のように漂って、闇と自分との区別さえつかなくなり……自我を失っていくのさえどうにもできずに見守るだけでした。ただ、あなたのことが心残りというか…それだけはどうあっても失いたくないと、必死で侵食してくるものから守っていました。そうこうしているうちに不意に闇が晴れて、仄かな明かりが遠く彼方に見え……あなたの声が聞こえたのです』
「オ…レ…?」
『約束さえしなければ、あなたを縛ることもここまで苦しめることもなかった……ですが、こんな形であれ約束を果たすことはできました。もう、私のことは忘れてください』
なんでそんなことを言うんだ。
忘れろなんて、どこまで残酷なんだ。
「どうして?!どうして忘れないといけないんだ?!どうしてオマエが消えなければいけないんだ!?連れて行ってくれないなら、このままずっと側にいてくれたって…っ」
『あなたは幸せになるべきひとです。過去に留まるようなことをしてはいけません。きちんと前を向いて生きていかなければ…』
コイツは何一つ、わかってくれてない。
オレがどうしてオマエの願いをきいてやったのかも。今まで待っていたのかも。
ここに呼んだことさえ。何も、知ろうとしてくれない。
「オレは!オレは…オマエと、生きていきたかった…一緒に…生きて…っ」
この気持ちをわかって欲しいのに。
どんなにオマエのことを必要としているか、それをわかってもらいたいのに…。
驚いたように目を見開いて、見せてくれたのはあのキレイな笑顔。
『ありがとう』
喜びに満ちた、今まで聞いたこともない、声。
これが、本当の彼。怪盗の仮面を完全に外して、やっと逢ってくれた。
オレの願いを叶えてくれる――――そう心が弾んだのも束の間。
「キッドッ?!」
瞬きをした刹那。
最初から何もなかったかのように、目の前には闇が広がる。
「キッド…っ…キッド…どこに行ったんだっ…キッド!!」
唐突な消失。
呼んでも呼んでも、帰ってくる声はなく。
戻ってきてはくれなかった。
盂蘭盆会。
8月13日の日没に迎え火を焚いて霊を迎え入れ、16日の日没に送り火を焚いて霊を送る。
彼が彼岸に戻るまで、まだ時間はある。
だから、きっとここにいる。
姿を消しているだけで、きっと側にいるはずだ。
酷くだるい四肢をベッドに投げ出して、ぼんやりと天井を見る。
視界がぼやけることはなかったけれど、表面が引きつる感じで瞼を開けているのが辛い。
だけど、閉じることはできない。もしかしたら、彼の姿を捉えられるかもしれないから。
ああ、でも。本当に彼は現れたのだろうか。
夢だったのではないのか。
そうだ。逢いたいと思っていたのは、オレ。
どこまでも未練を引き摺っているのも。
『……オレも、一緒に生きたいよ』
耳に木霊する声が、あやふやな思考を追い払う。
そうだ。
彼が消えるときに、流れ込んできた心。
もし、彼の言っていたように先に進まず留まるとしたら。
そうしたら、ずっと一緒にいてくれるかな…。
…いてくれる。
だって、一緒に生きたいと言ったのだから。
耳を塞いで眼を閉じて意識を封じて、暗闇のなかにいれば。
彼は一緒にいてくれるはず。
なんだろう。
頬に触れてくるあたたかなものは。
気持ちがいい、きっとこれは彼の手だ。
やっぱり、側にいてくれている。
こうしている限り、彼は留まってくれる。
『…………て…』
なに…?
『目を覚まして』
イヤだ。
起きれば、オマエはいなくなる。
この闇の中に、ずっとずっとオマエといるんだ。
『そんな何もないところに、ずっと?』
だって、ここにしかオマエはいない。側にいてくれない。
『いるよ』
嘘ばっかり。
さっさと消えてしまったくせに。一緒にいろと言ったのに、聞きもしないで。
それに、オマエは自分勝手だ。酷くてずるくて、オレをちゃんと見てくれたこともなかった。
『見ていたよ。いつだって、見ていた』
嘘だ。
オマエは口がうまいから。適当なことを言って、丸め込むつもりだろう。
『いいや。いつだって、伝えたい言葉をもっていた。知って欲しい心を抱いていた。だけど、未来に何の保証もできない身だったから、何もできないままだった』
嘘。
『だからアノ夜、逢いに行った。約束をどういうふうに受け取ったかわからないけど…必ず帰ってくるための拠り所を必要としたからじゃない。怪盗ではない真実のオレでも、キミは逢ってくれるのか…それが知りたかったんだ』
う、そ…だ。
『オレは、沢山の偽りを纏って多くの人を騙してきた。でも、キミにだけは嘘をついたことはない。だから、あの約束をしたときのように、もう一度だけオレを信じてくれ』
いて…くれるのか…?
目を、開けても…この闇から抜け出ても…?
『いるよ。ずっと、側にいる』
『新一が、大好きだから』
『だから、もう離さない』
……眩しい。
あ、れ……なんか、すごくだるい…。
瞼が重くて…むくんでる…カンジだ。
「ようやく、お目覚めね」
あ…?灰原だ。機嫌悪そう、でもホッとしている。どうして…?
「この数日、眠りっぱなしだったのよ。いくら叩いても叫んでも起きなくって」
疲れ果てたような表情、目のしたの隈。幼い少女には不似合いなそれ。
何が何だかよくわからないけど、申し訳ない気持ちになる。
「…ご…めん…」
「いいのよ。単なる現実逃避だってことくらいわかっていたから」
「……?」
首をかしげると、頬にあたたかな何かが触れる。
そっと横を向くと、隣に眠る人がいた。
ひどく端正な男の面。
柔らかな髪の間から覗く、切れ長な瞼、その下に隠されている―――決して忘れることのできないやさしい光を宿している―――瞳。それを確かめなくとも、誰であるかなんて…。
「な…んで…?」
なんで、こんなところで寝ているのだろう。
彼は、死んだはず…なのに…どうして……?
「あなたが起きなくなった翌日に来たのよ。体を引き摺りながらね。そして、あなたを見た途端、倒れてしまったのよ」
「なん…で…?」
「彼に付き添ってきた方に教えてもらったのだけど、打ち所が悪かったのと出血多量で、この一ヶ月昏睡状態だったんですって。植物状態すら覚悟していたのに、突然意識を取り戻して、起き上がるや否やここに行くといって聞かなかったそうよ。そんな無茶なことをすれば当然よね」
確かな吐息、そのあたたかさ。
彼が生きていることの何よりの証。
重い手を動かして胸のあたりをさぐってみると、しっかりとした鼓動が伝わってくる。
「生き…てる……ずっと、側に…いてくれる…んだ…」
信じてくれと、言った彼。
今度もちゃんと、約束を果たしてくれた。
「ねぇ、工藤くん。もうとっくに16日は過ぎたけど、送り火は焚かなくていいの?迎えた人、ずっと居座りつづけることになるわよ」
冗談じゃない。
誰が、手放すもんか!
むっとした顔で睨みつけると、声を立てて笑い出す。
……からかわれたのか。
ああ、でも。
彼が目を覚ましたら、そしたらオレも言わなければ。
オマエが、好きだ。
だから、絶対に離れない。
いつまでも、一緒に生きていこう。
end
02.08.22
|