月の輝く聖夜。
ひどく独りになりたい衝動に駆られて、コナンは一人、高層ビルの屋上に佇んでいた。
眼下に広がる無数の人口の光の群は、天上の輝きとは違うがそれもまた美しかった。
吐息は白く、硬く、冴え冴えとしていて寒さに震えながらも何故か心地よかった。
ここでは独り。
誰もいない。
自分を認識する必要もない。
月と、風に優しく撫でられて、闇にその身を委ねて、一時のまどろみに安堵する。
自分は今「江戸川コナン」だけれど、本当は「工藤新一」で。
だけど今は違って。違わないのに、違う。
真実は、いつもたった一つのはずなのに。
そんな風に自分の内包する歪みにどうしようもなく足元がぐらついた時はよくコナンは空を遮るものの何もない、高い処へ来ていた。
広い空には自分を押し潰そうとするものが何もないから。
それは「逃げ」ではなく、「防衛」なのだと自分に懸命に言い聞かせて。
ここに来れば、安堵するのは確かだったから。
ところがその優しく残酷な静寂を突如破る、サイレンの音と赤い光。
興が削がれた、とばかりにコナンはその形の良い柳眉を顰めた。
「・・・・五月蝿いな・・・・なんか事件か?」
柵に近寄ってコナンは下を覗く。
バトカーが群を成して一方向を目指して疾走している。まるで何かを追うように・・・・
「ん?追・う?」
嫌な予感がした。最近塞いでいた所為で新聞をチェックしていない。
まさか・・・まさかとは思うが、というかたぶん絶対というか。あの、派手好きの怪盗がこの聖夜というイベントに警察にとってはた迷惑なショーを開くには充分な理由に成り得るのではなかろうか・・・・
そこまで考えて、コナンは家路に着くべく踵を返した。が。
「今晩わ、名探偵。」
時既に遅し。コナンの眼の前に、優雅にマントを靡かせて舞い降りたのは、かの
大怪盗・怪盗キッドだった。
「・・・・・・・今日仕事だったのか・・・」
「おや、ご存知いただけませんでしたか?」
「知ってたらこんな処に来ずに大人しくしてたっつの。」
「それはつれませんね・・・私を今夜待っていてくださったのかと喜びましたのに。」
「誰が泥棒に会う為に待つか。」
ケッ、と凶悪に可愛らしい外見には似合わずに吐き捨てるコナンの様子をキッドはじっと見詰めた。
「・・・・・何かあったんですか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
「どこか、沈んでらっしゃるように見えますが・・・?」
「・・・・・・・・何が。どこが?俺が、この俺が、沈んでる!?ハッ、お前にゃ関係ねぇだろ!!」
激しい拒絶。しかしそれはとてもとても痛々しくて。
毛を逆立てた手負いの獣のような瞳。
何か考える前にキッドはその腕にコナンを抱き締めていた。
「なッ・・・・離せ!」
現状を理解するとコナンはキッドの腕の中でじたばたと暴れたがキッドは抱く力を強め、搾り出すような声でコナンの耳に直接囁いた。
「・・・・・独りで、苦しまないで、吐き出してください・・・・独りは、辛いでしょう?」
「辛くなんか・・・ッ」
「人に寄りかかることは、弱さではありませんよ・・・逃げたかったら逃げてもいいんです。誰も貴方を傷つけさせたりはしない・・・非難させはしない。」
「ッ・・・・・・!」
「泣きたい時は、泣けばいいんですよ。」
そんな言葉は知らない。
誰も言わなかった。
助けて、って言う事はいけないことじゃないのか?
泣きたい、って思う事は弱さじゃないのか?
いいのか?
本当にいいのか?
「一時退避も、時には必要ですよ。」
ニコリ、と笑ってコイツはこんな事を言ってくれるから。
「・・・・っく・・・・」
ぼろぼろと、コナンの白い頬を、雫が伝った。
一度堰をきったように溢れ出した涙は止まる術を知らず、ひたすらに、流れた。
まるでコナンの心の裡に燻っていた感情を優しく洗い出すように。
ああ、俺はずっと、泣きたかったんだ。
その間中、キッドは優しくコナンの身を撫でるように梳いていた。
しばらくして、ようやくコナンは顔を上げた。
「・・・・悪い・・・」
「どうして謝るんですか?どうせ言うなら違う言葉があるでしょう?」
パチ、と綺麗にウインクしてみせたキッドにコナンは笑う。ようやく。
「・・・・サンキュ」
「どういたしまして。名探偵は泣き顔も綺麗なんですね。」
「なんだ、それ。」
ガラリと変わってふざけるキッドに呆れてコナンは返したが、先程までの刺々しさはない。
そんなコナンの様子を今度はキッドは優しげな微笑で見詰め、徐に口を開いた。
「さて・・・では名探偵にとびきりのマジックをプレゼントしましょう。」
「マジック?」
「今夜はイブですからね、特別です。」
バサリ、とマントを捌いて立ち上がると、キッドは月を背に優雅に一礼してみせた。
「・・・・聖夜の奇跡を今宵、親愛なる名探偵に。」
と、言うや否やポン!と軽快な音と共に煙幕が上がった。
「!?」
煙の晴れた先に居たのは白装束の気障な怪盗ではなくて黒いコートに身を包んだ
人懐っこい笑顔の少年。
「はじめまして!黒羽快斗といいます。」
にっこり、と太陽のような笑顔を浮かべてそう自己紹介した少年、快斗はふっと、真顔になってコナンを見た。それは先程まで居た怪盗と同じ、優しい眼差しで。
「・・・名探偵には、俺の「真実」知ってて欲しかったんだ。俺は名探偵と同じ
歪みを持っているから・・・その中でも真実を追求しようとする名探偵の姿勢は・・・俺にとって憧れなんだ。」
「・・・・・・」
そんな快斗をコナンは無表情で見遣った。だんだんと快斗は不安になってきて伺うようにコナンを見る。が。
「冗談じゃねぇ!」
なのにコナンの第一声はこんなモノ。
「−−−−−は?」
「冗談じゃねぇっつったんだよ!あーあ正体ばらしやがって!俺がこの手でお前の謎は一つ残らず暴いてやる予定だったのに!!」
「えーと、名探偵・・・・?」
「あんだよ?」
先程とはちょっと違うと何故か判る刺々しさで睨んでくるコナンに快斗は言葉に詰まる。
「えー・・・と、その・・・」
「あー、じゃあいいか。いいや。うん、お互い様って事でいいや。」
快斗を無視してブツブツと呟くと、コナンはクルリと快斗の方を向いて挑むように眼を合わせた。
そして、眼鏡を外す。
「知ってると思うけど、俺もどうやらお前に知ってて欲しいらしいから。」
そう言って、ニヤッ、と笑う。子供ではない、笑み。
「はじめまして。工藤新一といいます。」
それは聖夜の奇跡。
月と風と闇は相変わらず優しくて、でも冷たくて、でも自分は独りじゃないから。
貴方が、いるから。
独りじゃない。
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