ベルト
鉄の味がする。
唾を吐く。赤いものが混じっている。それを見て、舌打ちする。
舌先で口の中を探る。歯は全部ある。傷もない。
不思議に思って、あたりを見回す。
すると、部屋の隅に、白い固まりがあった。
近づいてみると、それはどうやら女のようだった。
黒い下着を身に着けた、三分で忘れるような地味な顔の女。
女の年はよくわからない。十代ではなさそうだが、二十代なのか、それとも三十に手が届くのか。
よく見てみると、白い身体のあちこちに血が滲んでいる。
これは歯形だろうか。
眠っているのかと思っていた女の口が動く。
「……モウ、ウチニ、カエシテ……」
何を言っているのか、よくわからない。
「ダレニモ、イワナイカラ……オネガイ、ダカラ……」
日本の女ではないのかもしれない。
なんとなく気の毒になって、笑顔をつくってみる。
女の青い顔が、いっそう青ざめる。
ズルズルと重い荷物のように体を引きずって、オレから離れようとする。
ムカついて、反射的に右手を振り上げる。
バシッと重い手応えがして、白い頬がオレの手の形に染まる。
手が痛いじゃないか。
オレは女の唾液か何かで汚れた手を見つめて顔をしかめる。
部屋を見まわす。
傍らに、見たことのない服が落ちている。
高そうな、黒のジャケットとパンツ。こんな服、持っていたろうか。
ベルト。そう、ベルトがいい。
パンツからベルトを抜き取り、女に笑いかける。
大丈夫だ、これでもう手が痛くならないから。
歌が聞こえる。誰かの鼻歌。
楽しげなメロディーにあわせて、ベルトを振り降ろす。
パシーンと、小気味のいい乾いた音が響く。
女が奇妙な音を発しながら、バタバタと踊っている。
全然音楽にあっていないのがおかしくてたまらない。
オレはゲラゲラ笑いながら、ベルトを振る。
違うよ、全然調子がはずれてるよ。
投げ出された女の薬指に、指輪が光っているのに気がついた。
指ごとはずしてやろうか。
指輪に向かって、ベルトを振る。
女はピアノを引いているように手を躍らせる。
指輪は、はずれない。
指も、はずれない。
なんだか負けている気がして、床に落ちている女の頭を踏みつけてみる。
涙やら鼻水やらよだれやら、いろんな液体でぐちゃぐちゃになった女の顔を、力任せに踏みつける。
女が、聞いたことがあるような音を出す。
オーボエだ。オーボエに似てるんだ。
オーボエは好きだ。物悲しい音色がいい。
ウンウンうなずきながら、ベルトを振る。
足の裏に、ぬるぬるした感触が伝わってくる。
かわいいよ。おまえ、ほんとにかわいいよ。
足もとの女は、オレの好きな音を出す。
そのくせ、全然リズムはあっていない。
そうだ、オレは指揮者だ。
音に、色が混じってくる。
女が白いのか赤いのか、よくわからない。
めちゃくちゃに空を切っているベルト。
女に当たっているのは、もしかしたらバックルの方なのかもしれない。
そんなことはどうだっていい。
目の前がぼやけてくる。
背筋に甘い旋律が入ってくる。
やがて主旋律に、水音が混じる。
目を開けると、女の身体が濡れている。
オレはいつから目を閉じていた?
懐かしいような臭気を放って、女の全身が濡れている。
オレはいつのまにか、失禁していた。
女は、ピクリとも動かない。