ある一人の格闘家が、16歳というでファイナルのリングを踏んだ。
6年前、見果てぬ夢を小さな胸に抱いて、この塔に乗り込んだ少年が、今まさに夢を叶えようとしていた。
バトルオリンピアのファイナルを控えた前夜・・・・
「ズシ・・・・、よくここまでやって来ましたね。 ・・・・あなたが羨ましい・・・。」
「師範代、まだ勝ったわけじゃないっス。 感慨に耽るのは、まだ早いと思うっス。」
ズシはにこりともせず、ウイングに返した。
「・・・・そうですね・・・、私が悪かった。」
ズシは聞いているのかいないのか、座禅を組んで精神統一を始めた。
ウイングは思い出していた。
天空闘技場に乗り込む以前、
「師範代、自分、絶対にてっぺんまで上り詰めて、師範代のハンター証に星を一つプレゼントしてみせるっス!」
少年格闘技大会に優勝したズシは、大きな目を輝かせ、鼻息荒く宣言してみせた。
8つの秋の日のことだった。
純粋な子供が少なくなった世の中で、ズシだけは違っていた。
強い光の宿ったその瞳を、ウイングはいつしか愛していた。
天空闘技場に挑戦。 ズシに初めての友達が出来、初めての挫折を味わった。
それまで少々天狗になっていたズシには、良い薬になった。
10歳の初夏のことだった。
その年、二人は契りを交わし、想いを遂げた。
ついに200階に到達した。
かつて屈辱を与えられた3人組と、プライドをかけて闘い、リベンジを果たした。
ズシが初めてウイングの教えに異を唱えた。
「・・・・師範代、練を使えるようになった今だから言うっス。
何で自分がキルアさんと50階で闘った時に練を使ったか、分かるっスか?
修行で絶対に手を抜かないのと一緒で、試合でも手を抜くことなんて、自分にはできないっス!
どうせ負けるなら、全力を出し切って負けたいっス!
手加減したから負けたなんて、そんなんじゃいつまでたってもひよっこっス。
どうせそのまま大人になったって、チキン(腰抜け・臆病者)でしかないっスよ!」
ウイングはショックを受けた。
それはかつて、ビスケに言われたのと全く一緒だったから。
「・・・だから、師範代からお許しがでたときは、本当に嬉しかったっス・・・・・・・。
これでやっと胸を張って歩けるっス・・・・・・。 ずっと、情けなくて、辛かったっスよ・・・。」
ズシはウイングの胸に抱きついて涙をこぼした。
12歳の冬のことだった。
フロアマスターに昇格した。
初めて守ってあげたいと思う女性にめぐり合ったけれど、自ら別れを告げてしまった。
「・・・自分の恋人は、やっぱり格闘技だから・・・・・・」
ズシは落ち込むことなく鍛錬を積み、驚くほど腕を磨いた。
日に日に大人への階段を上ってゆくズシを、ウイングは複雑な心境で見守る。
14歳の秋のことだった。
何年も連れ添ってきた愛弟子が、ついに栄光をつかもうとしている。
喜ばしいことなのに、何かが心に引っかかる。
ウイングは無意識のうちに、ズシを自分の好敵手として育て上げようとしていた。
それはハンターの本能であり、自分の後を負わせることによって、自身を高めようとするもの。
だけれどズシは、何時の間にかウイングを追い越し、遥かに前を歩いていた。
ウイングはズシをライバルとして認めていた。
その一方で、いつまでも可愛いままでいて欲しいと強く願ってもいた。
このままではズシがどんどん自分から遠ざかっていくのではないか。
その予感は、不吉な形で当たることになる。
翌日。
控え室に入ったズシは、相変わらず座禅を組んで精神を統一していた。
「ズシ。」
「・・・・・師範代。」
ウイングが部屋に入ってきたのに気づき、ゆっくり目を開く。
「身体の調子はどうですか?」
「はい・・・・・、上々っス。 ・・・・・・・師範代・・・・。」
ズシは立ち上がって、ウイングの背中に腕を回して目を閉じた。
「・・・・ズシ?」
「・・・・。」
ズシは何も答えず、ただウイングの身体を抱きしめていた。
やがて、備え付けのスピーカーからスタンバイするように指示が出る。
「・・・・・・・行ってきます・・・・・。」
ズシはウイングの唇に口付けすると、寂しそうに笑って、リングに通じる廊下に出て行った。
ウイングは、ズシが何を伝えようとしていたのか理解できないまま、観客席に移動した。
試合開始。
ズシはリングの中央に座禅を組んだ。
これではポイントがとられ放題。
クリーンヒット、クリティカルの連発で、ついに9ポイントを失う。
微動だにしないズシ。
傍目からはまるで勝負を捨てているようにしか見えない。
ウイングは不吉な予感がした。
「・・・・・・・まさか・・・・!」
とどめが刺されようとした瞬間、リングがカッとまばゆい光に包まれ、
どういうわけか対戦相手は気を失って、リング上に転がっていた。
KOでズシの優勝が決まった。
歓声に湧く場内。
ゆっくりと座禅を解いて立ち上がると、レースクイーンのような格好をした女性が、
ズシの腰にチャンピオンベルトを巻いた。
片手を上げて歓声に答えようとしたそのとき、ズシは意識を手放した。
「ズシ・・・・・!」
ウイングは観客席から飛び降り、倒れたズシを揺り動かす。
「ズシ! 一体どうしたというのですか!? しっかりしなさい! ついに頂点に立ったというのに!!」
担架が運ばれてきたのに気づかず、揺すり続けているので、ウイングは警備員に取り押さえられた。
「動かしては危険です! まだ脈はあるから、大丈夫です! 落ち着いてください!!」
「放してください! ズシは私の弟子なんだ! このままでは危ないんです!!」
ウイングは冷静さを失い、説得にも耳を貸さず警備員を振り払おうとする。
しかし念のある程度使える警備員5人に囲まれては、いくらウイングでもかなわない。
「気道を確保して! そうだ。 頭を低くして、揺らさないように担架に!」
「1・2・3!」
「よし、救急ヘリは来ているか!?」
「準備OKです!」
「それではヘリポートまで運ぶぞ! 振動を与えないように気をつけろ!」
ウイングのもがいている前で、的確な応急処置が施され、ズシは病院に空輸された。
ウイングが病院に到着することが出来たのは、
インタビュアーや、雑誌の取材に引っかかってしまい、それから3時間後のことだった。
「ズシ!」
「・・・・・・師範代・・・。」
意識を取り戻していたズシが、ウイングの呼びかけに蚊の泣くような声で答えた。
「良かった・・・・・。 気が付いていたんですね・・・。」
「・・・師範代、どこにいるっスか・・。」
ズシの手が宙を泳ぐ。
「ほら、ここにいるじゃないですか。」
ズシの手を強く握る。
「・・・・・ごめんなさい。 眼がチカチカしてよく見えないから。」
「疲れたんでしょう。 今夜はゆっくりと休みなさい。」
「押忍・・・。」
「・・・・・・師範代、自分、夢がかなってしまったっスね・・・。」
ポツリと言って、力なく笑う。
「ええ・・・。」
「本当に今までありがとうございました・・・。」
「ズシ・・・・・・・。」
2日後。
ウイングのもとに1本の電話が入った。
「はい、ウイングです。」
「もしもし、天空闘技場付属病院です。
今日の午後2時から、ズシ様の緊急手術が決まりましたので、お電話を差し上げました。」
「しゅ・手術・・・!? ズシに何か異常でも・・・・。」
「いえ、命に別状はないのですが、網膜剥離の症状が見られましたので・・・・。」
ウイングは受話器を落とした。
「そんな・・・・・・・、そんな・・・・・。 あれだけ努力した結果が・・こうだなんて・・・・。 私のミスだ・・。」
ショックは大きかった。
並々ならぬ愛情を注いで育て上げた愛弟子を、二度と闘うことの出来ない身体にしてしまった。
手術後、ズシと何度か面会したが、ウイングは何も言うことが出来なかった。
「・・・・師範代、落ち込まないで下さい。 これは自分でやったことっス。
もう長くは闘えないことは、前々から感じていました。
だから自分の格闘家生命を懸けて闘ったっス。」
ウイングは「制約」と「誓約」について、一言も話さなかった。
なぜなら、ズシのその後の人生を台無しにしかねなかったから。
だが、「命がけで努力して、命がけで修行して、命がけで闘って、栄光をつかめないはずがない」
というズシの持論が、自然とズシの念に「制約」と「誓約」を施してしまったのだ。
「もうそろそろ面会時間が・・・・・。」
眼帯の取れたばかりのズシは、ウイングの背中に手を回した。
それは決勝戦の前に見せたのと同じ仕草だった。
ズシはウイングの肩口に顔を埋めて、しばらくその状態が続く。
「大好きな匂いだ・・・・。」
小さく言ってズシはウイングを放した。
そしてまた寂しそうに笑った。
「また明日来ます。」
そう言い残してウイングは病室の扉を静かに閉じた。
「また、明日・・・・・か。」
ズシは小さく溜息をついた。
次の日、面会に来ると、ズシの姿がなかった。
きっと用を足しに行っているのだろうと思ってベッドの横の椅子に腰をかけると、
ベッドの上にチャンピオンベルトが置かれているのに気が付いた。
「まったく、盗まれでもしたらどうするんだ・・・・、ん、これは・・・?」
チャンピオンベルトの下に、紙切れが置いてあるのに気が付く。
「ここまで自分を大事に育て上げてくださって、ありがとうございました。
師範代のおかげで、最上階に立つことができました。
世界一なんて馬鹿げた夢を本当に叶えてくださって、師範代にはとても感謝してるっス。
何もお礼ができないのは悲しいけれど、これからもきっと強く生きていきます。
だから心配しないで下さい。
さようなら。 ズシ」
「そんな・・・・・・・・・・・」
心に穴があいた気分。
いつも傍にいた愛弟子が自分の前から消えたなんて、信じたくなかった。
きっとこれは何かの悪い夢なのだ・・・と。
数日後、星の一つ入ったハンター証が郵送された。
真っ先に見せたかった愛弟子が、もはや傍にいないのを悟ったとき、ウイングは人知れず慟哭した。
「師範代、自分、絶対にてっぺんまで上り詰めて、師範代のハンター証に星を一つプレゼントしてみせるっス!」
いつかのズシの言葉がウイングの胸の中を行ったりきたりしていた。
ズシは約束を守って、ウイングの下を去って行った。
ウイングの切ない恋心と、ズシの少年時代が静かに幕を下ろした。
あとがき
ぎゃ〜っ! こんなの最後まで読んでくださった方がいたら、本当にごめんなさい!
まーすが勝手に考えた二人の未来です。
せっかくズシがああいうキャラなんだから、一度はスポ魂にも挑戦してみるべきかな・・・と。