賀茂別雷神社、通称上賀茂神社と呼ばれる社のほど近くに其処はある。蔦の這う古びた煉瓦造りの小さな店。
看板は出ておらず扉の前に今日出せるメニューの記された黒板がそっけなく立ててあるのみ、名乗らないその店を、人は"煮込み屋"と呼ぶ。
供される料理の殆どが和洋を問わない世界各地の煮込み料理であるが為の安易な命名ではあるが、果たして店の者たちは気に入っている。

その"煮込み屋"の内部。カウンター奥のキッチンに丸椅子を持ち込み、背を丸め座っている娘が一人。手には小ぶりのナイフと…歪なかたちのじゃがいも。側に立ち同じ作業をしている青年が彼女の手元を覗き込み苦笑した。
「相変わらずの器用さだな、お前」
「あてこすりならやめてください、これでも昔よりは上手くなったんです」
「それは認める。だが可食部の減り具合は矢張り酷い」
「そんなこと言うならあたしにさせるのやめてくださいよう芽さんの莫迦ああああ」
「俺に当たるな。させたくないのはやまやまだが何分逸平の奴の厳命だからな、お前に厨房の手伝いをさせてやってくれって」
「こういうちんまりした作業あたし向かないつってんのにお師様めええええ…」
うううう、と唸り声を上げつつそれでも手はきっちり動かすことを諦めないあたりが負けず嫌いの面目躍如、といったところか。青年、一之瀬芽が小さく笑う。
「そら、みつるちゃんに繊細さ身につけて欲しい思てるんやわ、逸平ちゃんは。修行の一環やよ、頑張り」
流しに立ち、まるで精密機械の如く正確にたまねぎを刻んでゆく年配の女性がころころと笑った。この店の主、一之瀬真砂。声のみ聞けば妙齢の女性としか思えない張りのある声の持ち主である。
「…これが何の修行になるんだろ。あたしこんなでほんとに鬼になれるのかなぁ真砂さん」
「日々のこまごまのなかに修行はあるもんやよ、それが真理。みつるちゃんが小さい思うさまざまも積み重なれば大きい力になります。それは間違いあらしまへん」
「鬼になる上で本気で役立つかどうかはさておいてな」
「…やっぱし?」
「みつるちゃん、真ぁに受けへんの。芽も、阿呆なこと言うてみつるちゃんからこうてへんで手ぇさっさと動かしなはれ」
「済みません、伯母さん」
矢張り育ててくれた伯母には弱いらしい芽が軽く頭を下げ作業に戻る。彼の手の中のじゃがいもは素晴らしい勢いでくるくると裸になってゆく。
その様を目に、みつるが自分の手の中に視線を落とす。あまりにも歪なじゃがいも。これでも昔ほど皮は分厚くないのだけど。
「…あたし、なにやってんだろ」
「どうしたん?」
「何だ。とうとう自分の不器用さ加減に絶望したか」
「芽、黙っとり」
「…伝説の鬼って呼ばれてた人の弟子になれて、あたし本当に嬉しかったんです。 でもお師様が教えてくれることっていったら、学校には毎日きちんと通いなさい、此処に来て店のお手伝いをしなさい、そんなんばっかりなんですよ。
それ以外がたまーにあるかと思ったら、植木の育て方に星の読み方や鳥の探し方、ロープの結び方とか山菜のみつけかた…。
あたし、いつになったらきちんとした鬼の修行が出来るんですか?させてもらえるんですか?」
みつるの口から次から次へと湧き出る言葉に、芽と真砂が顔を見合わせる。
「弟子入り、17って確かに遅いと思うけど、でもそれでも…」
「でもお前うちの仕事結構まともにこなせるようになったよな、厨房の仕事以外は」
言葉を断ち切るように、芽がすぱりと口を挟んだ。
「此処来て二ヶ月だっけか、学校ある日も毎日。よく続いたもんだ」
「それは、だって、根気良く教えて貰えたし、教えて貰ってるのに逃げるのやだし、できるようになったらそれなりに嬉しいし」
「…その心意気だけは買うべきところだと言ってやっても悪くはないな」
「芽さん褒めてんだかなんなんだかわかんないです」
「事実を言っているだけだ気にするな」
「芽、くちばし余計やよ。
…毎日の積み重ねが大きな力になる。体現、してるやないのみつるちゃん。
先刻も言うたけど、日々の暮らしの中にこそ修行はあるんやよ?」
諭すように真砂がゆっくりと言葉を紡いだ。
「でも鬼としては」
「さて、どうやろねえ?ま、みつるちゃんが思うてる鬼の修行ってものが始まったときにいろいろとわかることもあるやろうと私は思いますけどねぇ。楽しみやこと」
「それにお前、元々鬼の系譜に生まれてるんだから基礎知識は大体昔っからあるだろう。
其処に足りない部分を補おうとしてるんじゃないのか、あれでも一応逸平の奴も考えなしではない筈だからな」
「…其処で一応、がつくんですね」
「長い付き合いでもあるもんで」
しれっと言った芽の手から剥き終わった最後のじゃがいもがボウルへと落とされた。
「しかしこういう不満は、逸平の奴がきっちり教えてやってればない筈なんだけどな」
「其処は明らかに逸平ちゃんの怠慢やね。後で確り言うたげますから、安心しぃねみつるちゃん」
「…はぁ」
「さしあたってお前の手の中で明らかに温くなってるだろうそのじゃがいもを早く剥いてくれないか。夜の分の仕込みが終わらないと開店できやしない」
「あ、すみません!」



前に書いたもの、お蔵出し。
鈴の鬼さん、御巫みつる修行中。女子高生の頃です。





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