「…………」
「……三郎……」
THE DAYS24-光
視線が、交わされる。
は三郎の姿を見て、目を疑った。
体中、ぐっしょりと雨に濡れ、水滴が床に染みを広げた。
体術の授業でも、髪一筋乱したことがない彼が、
今は肩を上下させるほどに息をきらしている。
こんな三郎を見たのは初めてだった。
「……」
三郎が、一歩部屋に踏み込もうとすると、肩に大きな手がかかった。
「鉢屋!」
大木だ。
大木は強く三郎を引き止めた。
しかし、
「先生!」
三郎は、その手を勢いよくふりはらう。
そして強く大木の目を見据えた。
「………お願いします」
大木は当惑した。
三郎の目は、を担いでやってきたときの死んだそれとも、
平素の自信に満ち、どこか飄々としたそれとも違った。
必死なのだ。
それを訴えかけるかのように、三郎の目は、大木の眼の奥を鋭く見定める。
大木はゆっくりと目を離し、二人に背を向け、今度は静かに、三郎の肩に手を触れた。
そして、頼む、と小さく呟き、三郎とを残し、部屋の戸を閉めた。
は、壁にもたれ、膝を抱えて、その間に顔を埋めている。
三郎はその正面まで行くと、腰を下ろし胡座をかいた。
ザー――――――……。
雨と、沈黙の音だ。
どれだけ時間が経ったか、数刻か、それとももっと短い時間かもしれない。
ただ、お互いに身じろぎ一つせず、床の一点をわけもなく見つめたままだった。
「…濡れたまんまだと、風邪ひくぞ」
の服装は、森を抜けて帰ってきたときと同じままだった。
「…そうだね」
ぽつりと、わずかに無気力に返された言葉に、三郎は胸中でわずかな溜息をついた。
そこには、ほんの少しの安堵が含まれていた。
会話の切り口がつかめず、とりとめのない言葉群を必死に模索する。
自分がこれからしたいこと、言いたい事に匹敵するような言葉が見つからない。
しかし、伝えたい事があるのは明らかで、少しずつ、言葉を紡ぎだした。
「…立花先輩に、大体、聞いてきた」
「………」
床にまた、ポタリと水が滴る。
服にこびりついていた泥は、あの雨でまた綺麗に流れ落ちた。
「俺は、お前の事何も知らなくて、それで…、何も、知ろうとして…なかったんだと、思う」
わずかながらに言葉を濁すのは、俺がまだ怖がっているからだろう。
三郎は、胸中でわずかに自分に舌打ちをした。
「…俺、自分の事ばかり考えてて、お前に愛されたいって、それだけしか、
頭になくて、それでそればっかりに躍起になってて、お前の事考えてなかった」
これは事実。
「それで、お前が苦しんでるの目に見えてたのに、守るどころか、
もっと、いやなことばかり言って、怒鳴って…苦しませた」
これも事実。
事実だ。
事実しか言ってない。
事実ばかりが言葉になって、ほんとうに伝えたい事は何一つとして出てこない。
泥の海から走り出て、大雨の中ここまでやってきた意味は何だ。
何がいいたくて、ここまで来た。
もどかしさに歯噛みする。
すると、
「…三郎は、私を守ってくれたよ」
が口を聞いた。
三郎は、わずかに首を上げた。
は相変わらず、目を伏せて、床を見つめたままだ。
「…兄上も、私を守ってくれた」
「………兄貴」
きっとが苦悩する一番の要因はこの人だ。
が一番に愛し、そしてを一番に愛した人。
「私、弱かった。だから、兄上は私を置いて行ったんだと思う…。
もし私が、もっと強かったら、兄上はあのとき死なずに済んだかもしれない」
「………」
「でも、また置いていかれちゃった……」
「それは…!」
そうだったのだ。
を置いて、男を片付ける為に行こうとした時、
あんなにも必死に自分を引きとめたのは、過去を思い出したから。
過去の記憶に飲み込まれる前の、最後の抵抗だったのだ。
それを、自分は無視したのだ。
三郎は改めて自責の念に駆られた。
「私、思い出してからずっと考えてた。何であんなことになったんだろうって」
「…うん」
「最初は、母さんが憎くて憎くてしょうがなかった。
でも、思ったの。もし、私がいなかったら、って」
「何だって?」
「もし私が生まれてなかったら、あんなことなんて起こらなかったかもしれない。
兄上は死なずに済んだかもしれない。
母さんだって、おかしくなることはなかったかもしれないって…!」
「何言ってんだ…、馬鹿なこと言うな」
「だって今ならわかるんだもん!大好きな人がどっちも自分から離れていって、
その上、私みたいな望まない子が残って、村の人には冷たい目で見られてて!
私は母さんが憎い!!けど、わかるんだもん!」
「だからって、何でお前がいなかったら良いなんてことになるんだよ!」
「だって…だって、もし私がいなかったら、兄上は無駄死にしなかった!」
「っ無駄死になんかじゃねえ!!」
三郎は思わず声を荒げた。
いけないとわかっていても、それでも、抑えられなかった。
にそんなことを言って欲しくなかった。
「お前を守りたかったんだよ、お前の兄貴も!俺も!
その為に賭けた命なら、落しても全然無駄なんかじゃない!」
「…私の為に投げ出された命なんて欲しくない!
私なんかに…、命なんて賭けてもらいたくない!」
は、三郎の言葉を撥ね付ける勢いで喋りだした。
「私は三郎が思ってるほど綺麗じゃない…醜い!」
「それがどうしたんだよ」
「私…、私がいなかったらよかったなんていってるけど、
ほんとは何考えてたかわかる…?わからないでしょ!?
母さんなんて大嫌い。死んでしまえばよかったのに。
私がいなければ、なんて、そんなの大嘘。
私と、兄上が生きていたら、他のものなんて消えたって良い。
兄上を奪ったもの全部が憎い、無くなっちゃえばいいのに、って。
そんな事ばっかり考えてた。そしたら本当にそうなったのぉ…!
こんな私醜いでしょ!最低でしょ!」
「…そんなことない」
「嘘!」
「嘘じゃない!!」
知らないうちに、手がの腕を掴んでいた。
「お前が考えてた事、…何となく、わかった」
は突然の事に驚いたのか、その手を振り解こうともがいた。
しかし、腕を掴む力は極めて柔らかく、それに気付き、止めた。
「俺も…そうだったから」
は、顔を上げた。
「俺は、お前にとっての兄貴みたいに、愛してくれる人、誰もいなかった。
何で俺は愛されないんだろうって、おかしくなるくらい悩んだ。
お前に愛してもらって、それまで欲しかったもん全部もらった。
そんで、お前のこと、それまで愛して欲しかった人と重ねてみてた。
それで、お前が兄貴ばっかり見て、俺のこと見てくれなくなったとか考えて、
それで、俺ばっかり何でって思って、俺、お前から目を逸らそうとしてた。
けど、お前はやっぱりお前で、俺はお前の事、ちゃんと愛したくて…、
でもどうしたらいいか、全然分からなかった。俺は馬鹿だったから。
でも、今、これだけはわかってるんだ」
一息おいて、言った。
「おれは、お前の事、救いたい」
は目を見開いた。
「…三郎」
言葉がたくさん思い浮かんだ。
もともと悩む必要はなかった。
の言うことを聞いているうちに気付いた。
どんな不器用な言葉でも、本当の気持ちを伝えたいと思っていたら、伝わる事に。
「…俺は、お前と会えて、一緒にいれて、それで死ぬほど幸せだった。
お前は、俺のことずっと救ってくれてたのに、俺はそれに今まで気付いてなかった。
でも、今はもうわかったんだよ。遅いかもしれないけど」
視界が微かに滲んだ。
かっこわりい、俺泣きそう。
涙を目の奥に飲み込み、三郎は言葉を続けた。
「もう遅いかもしれないけど、俺、お前に謝りたい。
許してくれないかもしれないけど、俺はお前の救いになりたい。
せめて、お前が俺にくれた分ぐらい報いたい」
「……………さぶろ…」
の眼も、かすかに滲んでいた。
三郎は、の眼を覗き込み、涙を抑え、静かに語りかけた。
「一人で抱え込もうとすんな」
「誰のせいとか考えるな」
「お前の考えた事、わかった」
「だから、今度は、お前の正直な気持ちを受け止めてやれ」
は首を傾げた。
「正直な…気持ち?」
三郎は頷く。
「兄貴が死んで、はじめにどう思ったんだよ」
「はじめ…?」
「悩む前に、思っただろ。…なにか」
「なにか…」
模索するように眼を泳がせ、やがては呟いた。
「…悲しかった」
「…うん」
ポロリと、の眸から雫がこぼれた。
「…つらかった」
「うん」
「…寂しかった」
「うん」
「…不安、だった…」
「うん」
「こ、怖くて…」
「うん」
「一人は…一人は、嫌だったァ…!」
「………うん」
そしてやっと、は泣いた。
はじめて、まっすぐに泣いた。
とても大きな声で泣いた。
何度も何度も涙を拭って、鼻をすすって、肩を震わせ、喉の奥から嗚咽を漏らして、
三郎に縋り、まるで生まれたばかりの赤子のように、懸命に泣いた。
三郎は、声をあげて泣きじゃくるを、それ以上何も言わないかわりに、
強く、強く抱きこんだ。
もっと泣け。
もっと泣け。
そんで、今まで溜めてたもん、全部一緒に流しちまえ。
三郎は、優しく、の背を撫でつづけた。
俺は、もうにつらい思いなんてさせない。
たとえ置いていくことがあっても、そのまま消えたりしない。
必ず、こいつの元に帰って来る。
ひとしきり泣いて、は三郎の腕の中に収まりながら、
嗚咽を漏らしながら、何事かを言葉にした。
よく聞き取れずに、三郎はそれにもういちど耳を傾けた。
そして、がこういうのを聞いた。
「 」
…言葉に、できない。
ただ、じんわりと、目頭が熱くなってゆくのを感じた。
「当たり前だろ、バカヤロー…」
なんでこいつには敵わないんだろう。
最後まで、ちょっとくらいカッコつけさせろ。
そんなことを思いながら、さらに強く、の体を抱きすくめた。
「ありがと…」
一筋の涙が、三郎の頬を伝った。
「…静かになったの…」
大木は隣の部屋で、二人の声が静まるのを窺っていた。
雨もだんだんとあがり、わずかに西日が差し込み始めていた。
すっかり静かになった二人の様子を見に、大木は立ち上がって戸の前に立った。
中からは全く声は聞こえず、首を傾げつつ、大木は戸をわずかに引いた。
そして、思わず苦笑を漏らし、戸を大きく開けきった。
「なんとまぁ…」
三郎とは、抱き合ったままで穏やかな寝息を立てていたのだ。
ふたりの寝顔はあまりに安らかで、大木はつい破顔した。
そして毛布でもかけてやるかと思い立ち、大木はまた部屋を後にした。
夕陽は、やさしく、ふたりの寝顔を照らし出した。
かすかに残る涙のあとも、西日にあたたかく包み込まれた。
三郎の胸には、が泣きながら呟いた、あのことばがまだ残っている。
を救いたいと、必死にそう訴えた彼に、がまた訴えた。
ただ強く抱きすくめることでしか存分に応えられなかった。
の愛はなくてもいいなんて、言えなくなった。
下手にかっこつけることなんてできなくさせた。
何も言えず、知らず知らずに涙させられたあの言葉が。
私にも、三郎を救える?
雨はやんだ。
そして鮮やかな夕陽が、やさしく二人をいだきこむ。
暗闇←→日々
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