なんではわかってくれないんだよ
おれはね、ずっと、のことがね
男と女のディスタンス
――――――――夢。
真っ白な野原に、おれが佇んでいる。
視界一面に、膝丈程度の白い草が生えて、ざわめきあっている。
ふと前を見たら、離れた所にが立っていた。
!
俺はを呼んだ。
はおれに気がついて、笑って手を振る。
おれも手を振りかえして、走って駆け寄ろうとした。
だけど、突然に足が重くなる。
思うように走れない。
足下を見たら、真っ白い草が脚に無数に絡みついていた。
引っ張っても千切れもせず、強力な磁石のように引っ付いたまま。
離せよ、おい、離せよ。
もどかしくてもどかしくて、イライラしてきた頃、の後方の白い草原から
もう一人の人影が現れた。
最初は、輪郭がぼやけて見えたが、それが近付いてくると、明確に判断できた。
『先輩』。
先輩が、の名前を呼ぶと、はそちらを振り返って笑った。
おれに対するそれとは違った、「女」の顔をした、。
はおれの方を一度振り返ると、少し手を振って先輩のほうへ駆け出していった。
待てよ。
が先輩の所まで辿り着くと、二人は微笑みあい、手を取って歩きだした。
待てってば。
は二度とおれを振り返らない。
おれは、懸命に足にからみつく草を取り去ろうとした。
なのに、草は何をしても俺の脚を放そうとしなかった。
そうしている間に、と先輩は白い草原の向こうに消えていってしまった。
いらだって、つらくて、やるせなくて、くやしくて。
おれはついに、うずくまって、泣き出してしまった。
―――――――――――――――夢だ。
目が覚めた。
どくん、どくんと悪夢から覚めたあとのように心臓の音が響く。
部屋の中はすでに暗闇が支配しており、わずかな月の光が差し込んでいた。
―――――――――――――夢。
いやな、夢だった。
起き上がって、目をこする。
すると、ほんの少しであったが、涙が出ていた。
夢で、泣いたんだ、おれ…。
ガキじゃあるまいし。
けど…、
が、他の男と行ってしまうなんて、おれには耐えられないよ…。
「こへ、いる?」
突然、部屋の外での声がして、びっくりして急いで涙を拭った。
「いるよ!」
声をかけると同時に、障子がサッと綺麗な音をたてて開いた。
「よかったぁ、いたいた!」
そこには手に何かを持って、声の主、が立っていた。
「どしたの?」
おれはいつもの笑顔でを迎えた。
「へへ〜、今日のお礼!」
そう言って、は団子が二つ載った皿を机の上に置いた。
「おー、うまそー!ありがと!」
おれは、普段どおり、嬉しそうに笑った。
「簪ほんとにありがとね。結構高かったでしょ?」
「いいっていいって。でも、簪あんまりつける機会ないだろ?」
実際、上級生にもなれば街へ遊びにいったりする機会も少なくなる。
「そうでもないよ?」
「来週、仙蔵が祭に連れてってくれるの」
一瞬、心臓が止まった。
「そのときに早速つけようかと思って」
は何も知らずに無邪気に微笑む。
「あ、こへも行く?結構大きな祭なんだって!」
気が付くと、おれはを押し倒していた。
「……こへ…?」
は、何がどうなったのかわからずに、ただおれの名前を呼んだ。
たったそれだけの動作なのに、おれは心を締め付けられたように苦しかった。
「…は…残酷だよ…」
に覆い被さって、肩を押さえつけて言葉を搾り出した。
は、突然の狼藉に体を硬くして、怖がった。
「何で…、何で?あたしたち友達じゃなかったの?」
「友達じゃないんだよ!!」
思わず、怒鳴った。
はすごく傷ついたような顔をした。
「おれは男でさ…、は女じゃん…」
きっと、今度はおれの方が辛い顔してる。
きっと、すごく痛い顔してる。
「なんではわかってくれないんだよ…!
おれはね、ずっと、のことがね…!」
「好きだったのに…」
「…こへ……」
「おれさ、のことがさ、好きで好きで好きで、たまんないよ…」
「こへ…」
涙でもう前が見れなくて、泣き顔を見せたくなくて、の肩越しに顔をうずめた。
はそっと上体を起こして、おれの頭を撫ではじめた。
おれは、涙を止められなくて、ぎゅうとを抱きしめた。
「おれ以外の男と行ってしまわないで。頼むからおれを置いていってしまわないで。
先輩のとこにも、仙蔵のとこにも、どうか俺以外のとこには行かないで」
ひたすらに強く抱き締めた。
逃がさないように、逃げないように。
子供のわがままのように。
「こへ…」
子供をあやすようにおれの髪を撫でつづけてくれる。
その手の温もりがあんまり愛しいから、涙が止め処なく溢れてきてしまう。
おれ、ガキみたい。
いや、実際ガキのようなもんだと思うけど。
「…、こへ、あのね、あたし、先輩とは、もうずっと前に終わってるよ」
「…………え?」
……おわってる?
思いもよらなかった言葉に、おれは思わず顔を上げた。
「だって…、あのとき、、先輩の事おっかけていったじゃん」
「追いかけていったよ。ちゃんと追いついたし、思いも伝えた。
けど、それでおしまい。先輩、里に約束した人がいたんだって」
じゃあ…、じゃあ、おれってば一年近くは先輩と付き合ってるって思い込んだまま
片思いし続けてたってわけ…?
おれは力が抜けてずるずると床に倒れこんでしまった。
「おれ…、そんなの聞いてねえっての…」
「ごめん、言う機会もなくって…………。あのさ、こへ」
何?と顔を上げる。
そのとき、おれは思わず驚いてしまった。
いつもの笑顔を浮かべて、背中から淡い月の光を浴びたが目に映る。
「あたし、こへのこと、そういう風に見れるようになるまで、まだ時間が要ると思う。
だからさ…、ごめん、それまで待っててくれる?」
あんまり綺麗で、暖かくて、その声がやさしくて。
がこんなにきれいだったことを知らなかったおれは、
戸惑いながらも、いつもの笑顔で、うん、と頷いた。
それから、ふいに言葉が口をついた。
「だから…、もう一回だけ、抱き締めてもいい?」
は、とても柔らかく微笑んで、おれに手を伸ばしてくれた。
「で。筆下ろしは。」
その次の日、を誘ったという事の真偽を問う為に仙蔵の所に押しかけた。
そのときの仙蔵の第一声がこれである。
「私が折角お前を男にしてやろうとしたのに。情けない奴だな」
「やっぱり仙ちゃんわざと誘ったんだ!」
「当然だろう。で、筆下ろしは。どこまでいった」
「残念だけど仙ちゃんの思惑通りにはいかないもんねー、
おれはを大事にして、もーすこし片思いしとくって決めたの!」
「ほーぉ、そうか。じゃあが今度の休みに私とどこへ行こうが勝手って事だな」
「それとこれは別問題ー!片思い続けても他の男にわたすつもりはないもんねー!」
じゃ、そんだけ!というと小平太は仙蔵の部屋から飛び出していった。
「あいつは何しに来たんだ…」
と、文次郎が寝転がったままでいう。
「さぁなぁ…、思い立ったら吉日ってやつだろ。
馬鹿で真っ直ぐで、小平太らしくていいんじゃないか?」
仙蔵は一つあくびをする。
「だけど、こんな朝っぱらから殴りこんでくるのはお前への嫌がらせにしか思えねえけどな」
東の空が白み始めたが、まだ部屋の中は暗い中、文次郎は布団を被りなおした。
そうかもな、と少し笑って、仙蔵も布団に入りなおす。
そして、
「けど、…やっぱり馬鹿で真っ直ぐさ」
そう言って、仙蔵ももう一度目を瞑った。
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