君の名は…。



「待てって!」
 半ば怒り口調の桃城の静止も聞かず、リョーマは早足で歩きつづける。
「越前!!」
 足を止める様子のない恋人の背中にため息をつき、自転車を押しながら後を追う。
「ったく、何でこんなことになったんだよ・・・」
 始まりは部活前に遡る。


 掃除当番で遅くなった桃城がコートに出たとき、部長以外のレギュラーを含むほとんどの部員が揃っていた。
 コートに入ったときから、やけに視線が刺さるのを感じた。それだけなら何とも思わなかったのだが、コートの端に立っていたリョーマにあからさまに視線を逸らされたことが気にかかった。
 近くに行って問いただそうとしたが、手塚の到着により集合がかかり、結局部活中は言葉を交わすチャンスが全くなかった。


「お先ッス」
「あ、越前!チャリ乗ってかねえのか?」
 シャツのボタンを留めながら慌てて呼び止める。ここで帰られては心に溜まったもやもやが晴れない。
 しかし、リョーマから返ってきた答えは冷たかった。
「いいッス。今日は歩いて帰りますから」
 かなりのショックを受けた桃城の内心を知ってか知らずか、英二の明るい声が聞こえた。
「じゃあおチビ、オレと一緒に帰ろ〜♪みんなおっ先〜」
 そして2人は部室を後にした。
 もちろん桃城がそのまま2人を見送るわけもない。急いで着替えを終えると、そのまま体当たりでもしそうな勢いでドアに手を伸ばした。
 その瞬間、ドアが開いた。勢いのついた桃城の身体は、急停止することも出来ず、慣性の法則に従って、ドアを開けた人物へとぶつかった。
「うわっ!!」
 桃城は、相手もろとも転ぶことを覚悟したが、その人物は倒れることなく桃城を受け止めた。
「桃?どうしたんだい、そんなに慌てて」
 顔を上げると、十センチほど上に先輩の顔があった。
「乾先輩!?すいません!」
 謝りつつも、勢いのついた自分を軽々と受け止めた乾を凝視してしまう。一体この人はどんな鍛え方をしているんだろう、と。
「いや、大丈夫だから」
 桃城の視線を気にすることもなく、軽く手を振る。
「あ、そうだ!俺、急いでたんだ・・・」
 お疲れ様でした、と脇をすり抜けようとした桃城の肩を、乾の手が掴んだ。
「先輩?何か用っすか?」
「うん、ちょっとデータをね」
 見ると、乾の手には彼の命とも言うべき丸秘データノートが開かれている。
「データって・・・何のデータっすか?」
「そうだな、まず・・・いつから付き合ってるのか、ってことからかな」
「・・・は?」
 一瞬、乾の言ったことを理解できなかった。そして次の瞬間、リョーマの顔が頭に浮かんだ。
「な、何のことか全然・・・」
「とぼけても無駄だよ。もう部員のほとんどが知っちゃってることだしね」
 その一言で謎が解けた。部員たちの視線、リョーマの態度、全ては自分とリョーマの関係がばれてしまった事にあったのだ。
 しかし、と桃城は不思議に思った。何故、何処から、自分たちの関係がばれたのか、と。
「乾先輩、どこからそんな情報仕入れたんですか?」
「荒井たちが昨日目撃したそうだよ。楽しそうにデートしてたらしいね」
「昨日・・・?」
 そこで桃城は、自分の間違いに気付いた。
「あの、それってもしかして橘杏のことですか?」
「いや、名前までは・・・そうか、橘杏、っと。あれ?橘杏って確か、不動峰の部長の・・・」
「はい、妹っす」
「へぇ、桃も結構チャレンジャーだなぁ」
「ち、違いますって。メモんないでくださいよ!違うんですから!!」
 慌てて乾の手を止める。照れなくてもいいのに、と言いたげな乾の目を見つめ、きっぱりと否定する。
「俺は、橘杏とは付き合ってません。単なる友達です!」
「ホントに?」
「ホントです!」
 いつになく真剣な表情の桃城に納得したのか、しぶしぶメモをとる手を止めた。
「他の部員にも言っといて下さいよ。どうせ俺が言っても信じてくんないんですから。特に荒井にはしつこいぐらい言い聞かせて下さい!」
「分かった分かった。引き止めて悪かったな。急いでたんだろ?」
「え・・・?あぁっ!そうだ、急いでたんだった!それじゃ、お先に失礼しますっ」
 乾に言われてようやく、自分が急いでいたことを思い出した桃城であった。


 桃城が乾に捕まっている間、リョーマと英二は順調に学校から遠ざかっていた。
「おチビ、今日はずっと元気ないにゃ?」
「んなことないっス・・・」
 横目でそっとリョーマを見やる。部活中にも感じたことだが、今日のリョーマの瞳は、いつも通り挑戦的な光を放ってはいたものの、どこか悲しげな色を帯びていた。
 その理由らしきものには心当たりがある。確証はないが、何となく2人の関係には気付いていた。だからといってそれを本人たちに言うつもりはなかったのだが・・・。
「桃の噂なら心配ないって。言い出したの荒井だし。そんなに深刻に考えることないと思うぞっ」
 リョーマは、予想外の言葉に、一瞬、ほんの一瞬だけ驚いたような表情を見せ、すぐに普段のポーカーフェイスに戻った。
「・・・別に桃先輩のコトなんかどうでもいいっス」
「素直じゃないにゃあ。せっかく俺がアドバイスしてやってんのに」
「頼んだ覚えないから」
「なっまいき〜。でもまぁやっとおチビらしくなってきたにゃ〜」
 その言葉に、足も、開きかけた口も止まった。
 英二が驚いて振り返る。
「おチビ?」
「・・・さんきゅ、菊丸先輩」
「うにゃ?おチビが素直だと何か気持ち悪い・・・」
「どーゆー意味っすか」
「じょーだんだっ・・・」
 不意に言葉を切った英二の視線が、リョーマの後方に固定されている。
「菊丸先輩?」
 視線を追って振り向こうとしたリョーマを、英二の声が止めた。
「あ、おチビ、俺やっぱ先帰る。そんじゃな〜また明日〜」
「先輩?ちょっ・・・」
 呼び止める間もなく小さくなる背中を見つめていると、後ろからいきなり声を掛けられた。
「越前!」
 咄嗟に、走り出してしまった。しかし自転車を走り負かせる訳もなく、すぐさま追いつかれてしまう。
「越前、逃げんなって」
 聞こえないフリをして早足で進んでいく。
 ここで冒頭のシーンへと繋がるのである。

「待てって!」
 半ば怒り口調の桃城の静止も聞かず、リョーマは早足で歩きつづける。
「越前!!」
 足を止める様子のない恋人の背中にため息をつき、自転車を押しながら後を追う。
「ったく、何でこんなことになったんだよ・・・」
 疲れたようにタメイキを吐くものの、リョーマは全く気にもかけず進んでいく。仕方なく、もう何度目かも分からなくなった静止の言葉を掛ける。
「越前、待てって」
「・・・・・・」
 案の定、返事もなく足も止まらない。とうとう我慢の限界を超えた桃城は、自転車をその場に放り出して走り、リョーマの前に立ちふさがった。
「越前・・・」
「・・・何っすか?」
 目線をそらしながらも、初めてリョーマが言葉を返した。
「お前絶対誤解してんだろ!」
 不機嫌そうな声だったが、ようやく返答があったことに安堵する。話があまり深刻にならないように、努めて明るい声で、普段の口調で問い掛けた。しかし、それに対するリョーマの返答は、決して明るいものではなかった。
「・・・誤解なんかしてないっす。大体、桃先輩が誰と付き合ってようと俺には関係ないから」
 嘘だと分かっていても、リョーマの言葉は桃城に多大なショックを与えた。しかし、ここで退いてしまえば誤解は解けないままである。
「っ、それが誤解だって言ってんだよ」
「・・・それってどれ?」
 相変わらずリョーマの口調は冷たい。
「俺が付き合ってんのはお前だろ?俺と杏とは何の関係もないんだ」
 ゆっくりと、言い聞かせるように話す。すると、リョーマが視線を上げ、桃城を上目遣いに見やった。
「ふーん」
「お前なぁ、信じてないだろ・・・」
「・・・別に」
 あまりにも頑固なリョーマの態度に、次第に腹が立ってきた。
 何故自分に全く責任のない事で、これほどまで自分が苦労しなければならないのだろうか。
 怒りに任せて怒鳴り返してやろうかと思った瞬間、リョーマがポツリと呟いた。
「・・・何で?」
「え?」
 突然の問いに、何のことを言っているのか見当もつかなかった。
「何で・・・名前なの?」
 俯いているので、表情はまったく見えない。声は――桃城の受けた印象では――悲しそうな声だった。
「名前?・・・・・・あぁ、杏のことか?」
 予想だにしていなかった質問に驚いた。同時に、リョーマのそれが焼きもちであることに気付いた。
 可愛い恋人の態度に、さっきの怒りはどこかに行ってしまったが、あまりにも可愛いので、多少からかってやりたくなった。
「名前で呼んで欲しいのか?」
「・・・まさか」
 予想通りの答えが返ると同時に、リョーマの身体を抱き寄せる。そして、耳元に口唇を寄せ、囁いた。
「リョーマ」
 耳まで真っ赤にしたリョーマは、桃城の腕から逃れようと暴れたが、力ではどちらに分があるかは一目瞭然である。
「リョーマ、愛してる。世界中で一番・・・」
 普段は絶対に言わないような、絶対に自分には似合わないであろうキザな台詞を囁く。と、リョーマが桃城の身体を押し返そうとした。
「リョーマ?」
 顔を覗き込むと、いつもの挑戦的な瞳からはまず想像できない弱気な、潤んだ瞳に見つめられた。
「・・・ホントに?」
「当たり前だろ」
 さっきまでのやりとりから、言葉だけでは信じてもらえないかもしれないので、行動でも示しておくことにした。
 一応周りに誰もいないことを確認して、そっと、リョーマの口唇に自分のそれを重ね・・・・・・ようとしたところで逃げられた。
「おいっ、リョーマ」
「甘いよ、桃先輩。俺、まだ昨日のデートの言い訳聞いてないんだから」
 ベェ、と舌を出して、わざと不機嫌そうな顔をする。
「あれはデートとかじゃなくって・・・」
「ストップ。続きはバーガー屋で。もちろん桃先輩の奢りだからね」
 タメイキと頷きによって了承の意を示す桃城を見て、満足げに微笑む。
「じゃあ自転車拾ってくる」
 うん、と素直な返事を背中で聞きながら、荒井のことを考える。
 めったに見られない――というより初めて見た――焼きもちをやくリョーマが見られたのだから、明日荒井にしようと思っていた「お礼」はやめておくかな、と。
「よし、じゃあ行くか」
「うぃっス」


「明日荒井が桃に殴られる確率5%、と・・・」
 2人の去った空間に、鉛筆を走らせる音だけが静かに響いた・・・。


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あとがき

 初書き桃リョ・・・というかテニプリ自体が初書きです。
 桃リョを前面に押し出したかったのですが、何故か乾先輩が出張ってます(笑)
 そして、もっと甘口に仕上げたかったのですが(そこ、これ以上甘く?とか突っ込まない!・笑)、
 初めてということで、あまり飛ばさず甘さ控えめ(自称)にしてみました。
 一発目からぶっ飛ばして、読んだ方に引かれると困るので・・・。
 (それでも相棒には甘いと言われましたが)
 タイトルは一昔前の日本映画のようです・・・。
 題名付けないと、と思ったときにこれしか浮かばなかったんです(苦笑)
 ちなみに、仮タイトルは『杏ちゃん事件(仮)』でした。
 付け直したのが吉と出るか凶と出るか・・・。皆様のお好みはどちらでしょうか?
 次は絶対に跡部を書くぞ〜!と宣言をしたところで、後書き終了とさせて頂きます。

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