+  秋雨前線  +



 時計の針と、遠くから響く鉄を打つ音。それと、筆を走らせる音。静まりかえったシュウの部屋は蝋燭の灯りで揺れていた。
 ふと、手元の書類から目を離すと、クラウスが窓の外を見ていた。書類を整理する手をそのままに、じっと外を見つめている。
 視線をなぞって窓の外を見ると、普段より暗い空を背景に細かな雨が流れていた。耳を澄ませば、しとしとと微かな音が聞こえる。昨夜から危ぶまれた雲行きは、とうとう本格的に崩れ始めたようだった。

 筆と紙の織り成す音が途絶えたせいか、クラウスはシュウの目線にすぐ気付いた。
「どうかしたか」
「いえ、雨が、降っているな、と」
 彼独特の物静かさを壊さずに、薄く笑った。軽く会釈して、再び手元の書類の整理を始める。
「………」
 シュウは音を殺して筆を置くと窓際に寄った。冷えた硝子に触れると、表面に白い跡が残った。
 窓の外は果ての無い曇天と霧のような雨で、色無く彩られている。この季節、この地ではよくある風景だった。
 窓枠に切り取られた風景の中で雨足だけが目に付く。硝子の中の自分が顔を顰めた。
 蝋燭の灯りに包まれた部屋を振り返る。クラウスは、シュウのそんな一連の動作を気に留めた様子も無く、黙々と書類を繰っていた。
 ――横顔はいつもと大差なかったが。
 きっと彼は思い出している。
 この地と、彼の故郷の差を。
「比較するな、と言っても無駄か」
 呟いた言葉に、クラウスの手が僅かに止まる。そして、そうと気付かせる前に再び動き出す。
「比較……ですか? いいえ、少し思い出していただけです。この時期でしたら雨ではなく、雪が降っていましたので」
 何の感情も見せずに紡がれる言葉。返すシュウも読み上げるように言葉を発した。
「デュナン湖の南部は温帯に属しているからな。雪が降る事は滅多に無い」
「そうですね。書物を読んで知っていはいましたけれど、実際に同盟領に来た時、気候の違いに驚いたものです」
「そうか」
「雪は、同盟領に来てから見た事はありませんね」
 窓の外の雨音に目を細める。
「……雪が、懐かしいか?」
「懐かしい……?」
 手に持った書類を机に置き、窓を振り返る。挑発するように、窓の側で腕組みしたシュウと視線を絡ませた。
「そういった考え方もありましたね。
 ……ですが私にとって、雪の訪れはその年の行軍の終わりであり、雪に閉ざされた期間は情報を収集し策を練る期間、そして雪解けは進軍の合図。
 それだけの事です」
 真っ直ぐ見つめながら、けれど自分を見ず言い切ったクラウスに、シュウは眉根を寄せた。
「つまらない生き方をしてきたな」
「そうですか? 軍師としては当然の考え方だと思いますが」
 ――あなただって、そう考えるでしょう?
 シュウを見つめたまま、気持ち程度に首を傾げる。額にかかっていた髪が、微かに揺れた。
 シュウは引き寄せられるようにその髪を一房つまみ上げると、指先で遊ばせた。
「悪いが、俺はお前ほど軍師という肩書きに拘ってはいないんでな」
「……肩書きに拘っているつもりはありませんが」
「ほう?」
 面白そうに目を細めるシュウを睨みつけ、クラウスは自分の髪を弄ぶ手を払った。
「肩書きなど無くても、出来る事はあります。名を伴わなくても、実があればそれで十分ではないですか。……だからこそ、あなたは敵であった私と父上をデュナン軍に入れたのでしょう?」
「そうだな。俺は名よりも実を取る。お前はどうだ?」
「同意見ですね」
 シュウは再び窓枠に寄りかかり腕を組んだ。
「だろうな」
「そうおっしゃるのならば、何故私が肩書きに拘るなどと……」
 目の奥で抗議を示しながら、椅子から身を乗り出す。そんなクラウスをシュウは手で止めた。
「自分で考えてみる気は無いのか? こういう事は他人から解答を聞いても、大して意味はあるまい。自分で考え気づく事に意味がある。少しは考えろ。」
 口の端を少し噛んで、クラウスは黙り込んだ。大人しく椅子に座り直す。
「………」
「彼を知り、己を知れば何とやら、だ。自分自身を知る事も無駄ではあるまい。
 ……なに、時間はある。ハイランドは今雪なのだろう?」
 揶揄するように言うと射殺すような視線を送ってくる。
 シュウはくつくつと笑うと、ゆっくりとクラウスの座るすぐ側に立った。故意に目を合わさないよう、身を屈めクラウスの耳元に囁く。
「クラウス、お前はお前自身のために名声を求める事は無いだろう。だが……」
 蝋燭の炎が揺らぎ、壁に映った二人の影が一つにぼやけて揺れた。雨音がやけに大きく感じる。時計の音が遠ざかるようだ。
「……たまには自分自身の為に生きても良いのではないか?」
 父親の顔を立てるために、お前は名を欲していたのだろう?
 暗に仄めかしても気付くまい。おそらく、自覚症状も無いままに過ごして来たのだから。それは、毒気を抜かれたように自分を見つめ直すクラウスの表情でわかる。
 無意識の領域は、他人に指摘されても簡単に変えられるものではない。クラウス自身が気付く以外、手は無いだろう。
 シュウは心中でそっと自らを嘲笑った。
 釈然としない様子のクラウスに手を伸ばす。

 どうせ己の為に生きるつもりが無いのなら、最後の最後まで他人の為に生きてみるが良い――
 未だに訝しげに自分を見上げるクラウスの項に手を添え、噛みつくように口付けた。
「……っ!」
 一瞬の空白の後、顔を背け身を捩るようにしてシュウの身体を突き放す。椅子が音を立てて倒れた。クラウスは勢いのままに身を翻すと、部屋の出口へと向かった。
 シュウはただ手の甲で口元を拭ってその様子を見ていた。底冷えするように静かに見守る中、クラウスは扉の前で、きっ、と振り返った。
「……私見ながら申し上げますが……シュウ殿、あなたも御自身を理解なさっていないように見うけられますが?」
 ともすれば上がりかける息を抑え、牽制するように見返す。逸る足を叱咤し、失礼します、と一礼するとクラウスは大きな音を立てて部屋を出て行った。

 誰もいない、蝋燭に照らし出された自分の部屋で、シュウはくつくつと笑った。乱れた髪をかきあげ、姿の消えた扉を見つめる。
「謎掛けが自分に返ってきたな……」
 扉に背を向け窓を開け放つ。風に流されて降りかかる雫が冷たい。
 まだ秋だというのに冬の心配をしている自分を、シュウは一人笑った。



end
1999/11/18初出 ・ 2001/10/12改稿

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