+ 一方通行 +
何度も何度もこの城に泊まるように頼み込んでも帰ってしまう隣国の英雄に、セリオは不満を感じ始めていた。
当初こそ、より長い時間をアシナの傍で過ごしたいという願望でしかなかったが、何時の間にか「何としてでも泊まらせる」事がセリオの目標になっていた。
そして虎視眈々と機会を待ち続け、ある日シュウから言い付かった用事を利用して、セリオは一計を案じる事に決めた――
「はい」
何の説明もせず、セリオは鍵の束をシーナに渡した。受け取ったシーナは怪訝そうな顔を浮かべたがそれを一瞬で隠し、
「何だ、今日は俺お留守番?」
茶化すようにセリオに尋ねた。
それには気を留めず、セリオはにっこりと笑ってみせる。こうした笑みはお手の物だ。
「そう。ただ……ちょっとお願いがあるんだ」
「おいおい……面倒事は勘弁してくれよ」
裏があると感じたのか、シーナは嫌そうな顔をした。
「ううん、簡単な事だから」
それを宥めて落ち着いた態度を示す。
何としてでもシーナを言いくるめるつもりだった。人選は十分に計算したものだったし、勝算は十分にある。
セリオは渡した鍵の束を指して、説明しだした。
一つ、この鍵は地下牢の鍵である事。
一つ、増築にともない、地下牢に一時的に物資が保管されている事。
一つ、その物資の確認をシュウに頼まれている事。
気乗りしなさそうに聞いていたシーナは、案の定不平をこぼした。
「そういう事は一般兵の仕事じゃないのか? 俺はパス」
「まあまあ。これをルックと一緒にやって貰いたいんだ。……それともう一つ」
セリオは会心の笑みを浮かべてシーナに言った。
一つ、ルックを最低でも明日の朝まで地下牢に閉じ込めておく事。
「は?」
今一つわからないと言った様子のシーナに、もう一枚手札を明かす。
――相手に手札を明かす時は、もっとも効果的な順番でもっとも効果的に明かす事。
セリオは見せつけるように、満面の笑みを浮かべた。
「それとね、僕は今日グレッグミンスターへ行くから」
それの意味するところを、シーナは正確に量るだろう。
側で見ている者にはよくわかる。連れて来ても連れて来ても、必ず帰ってしまう隣国の英雄。テレポートの使い手のうち、一方は彼と仲が良く……
そして、シーナがその使い手に向ける視線に含まれているものを、セリオは正確に知っていた。
シーナの思案顔が情けなさそうに変化した。
「お前なぁ……」
「そうそう、ルックには物資の確認の事は、もう話してあるから」
「………」
シーナは再び、頭の中で計算する様子を見せる。そして、その顔を再び上げた時、
「……面白い」
悪戯に臨むように不敵に笑うと、シーナは鍵束を正式に受け取った。
その様子を満足そうに見届けると、セリオは回れ右して駆け出す。
下準備は万端だった。
――そして夕刻。
通りかかった街に宿泊する、と見せかけて、本拠地に帰ってきた。今からグレッグミンスターへ帰るのでは、もう遅いのではないか、という時刻だ。
計画のついでの小細工だったがアシナは動じなかった。瞬きの手鏡で帰ってきた瞬間、ビッキーに話しかける。
「それじゃ、僕は帰るから。ビッキー、バナーの村まで……」
「そんなぁ、マクドールさん。もう遅いんだから、泊まっていって下さいよ」
セリオは慌ててアシナとビッキーの間に割り込んだ。ルックのテレポートを封じても、ビッキーのテレポートで帰られたのでは、目も当てられない。
「良いじゃないですか。偶にはって事で、グレミオさんも怒りませんよ」
「いや、まだ間に合うし……ビッキー、バナーの村まで頼む」
「駄目! ビッキー、軍主命令! マクドールさんを送っちゃ、絶対、駄目!」
指を突きつけて宣告するセリオに、ビッキーは圧されて肯いた。
「セリオ、ビッキーが怯えてる」
「アシナさん、すいません〜。お、お送りできません〜」
「いいよ、ビッキーが悪いわけじゃないから……」
申し訳なさそうにするビッキーをアシナが親身に宥める。その様子に少し不機嫌になって、セリオはアシナを無理やりその場から連れ出した。その時には、すでに他の仲間たちは解散している。
目の前の石板に、いつもの少年がついていない事にセリオは満足げに笑んだ。
シーナはきちんとセリオとの約束を果たしたようだった。
「ふっふっふ〜、ルックは今ちょうどいないんだ。頼ろうって言ったって、そうはいきませんよ」
「………」
自慢気にセリオが言うと、アシナは子供の悪戯に苦笑するような表情を浮かべた。
「見せたい所がいっぱいあるんです」
さり気無くアシナの手を握って、セリオはそれから石板のすぐ側に佇むクラウスに気付いた。
「あ、クラウスさん。どこかに部屋を用意するよう手配してもらえる?」
「わかりました。……お久しぶりです、マクドール殿」
「いえ、おかまいなく」
二人とも綺麗に笑み、流暢に挨拶を交わした。まるで礼儀作法の見本のようだ。
セリオには、自分の入れないその空気が堪らなく感じた。
「マクドールさんってば、すぐに帰っちゃうんだから。今日はたくさん案内させて下さいね」
急かすようにアシナの腕を取ると、別棟への連絡通路へ引き摺って行く。取り残されたクラウスが、微笑ましげにこちらを見ているのを感じた。
何人かとすれ違い、その度に彼らの視線が珍しく来城しているアシナへ向かう。アシナがトラン共和国の英雄だという事は、誰もが知っていた。
すれ違う度に向けられる羨望の眼差しがとても快感だった。
大人しく後ろに付いてきているアシナを満足げに思い、夢中になって城内の施設について語った。
そして、幾つ目かの角を曲がった時だった。
「……で、ですね、ここがそうなんですけど」
振り返ると、そこにはアシナの姿が見えなかった。
顔が凍りついた。
断り無く消えたアシナに多少怒りを感じたが、すぐさま冷静さを取り戻した。
――ここで逃げられてたまるか!
下準備までしたのだ、きっと今が勝負どころだ。
身を翻すと、ビッキーの元へ駆けつける。
「ビッキー! マクドールさんはここに来た?!」
「え、え、え、アシナさんですか? 来ていませんけど」
「もし通りかかったら、足止めしといて!」
返事もそこそこに、今度は地下牢へ向かう。
……ちらと中を覗き、ルックがいる事を確認した。
――ルックはまだここにいる。と言う事は、鍵さえ確保しておけば……
城内を駆け巡る。酒場で一人酒を飲んでいたシーナを発見した。外へ戦闘に出ていた誰よりも、包帯で白くなっていた。
「シーナ、鍵はどうした?」
「シュウのところ……なあ、もう止めとけば?」
「やだ」
シーナの言葉を一刀両断すると、再び城内を駆け抜けた。
「シュウっ!」
勢いよく扉を開けると、偶々顔を上げていたシュウと目が合った。
「鍵、地下牢の鍵貸して!」
「………」
シュウは少し視線を彷徨わせると、首を振った。
「駄目です。用事の無い者には、たとえ軍主と言えども貸し出すわけにはいきません」
「うー、けちっ。……ああ、でも待って、そういう事なら誰にも貸し出す事はないよね」
「正当な理由があれば渡しますが」
「うーん。まあ、いいや」
大人しく引き下がると、静かに扉を閉めた。
――さて、どうしようか。
あとは足で探し回るしかない。一つ大きく息を吸うと、三度城内を駆け回った。
………何度目かに、ルックが地下牢に居るかを確認しに来た時だった。
もういい加減に空は暗くなり、普段人気の無い地下牢の周辺は薄闇に包まれていた。
「おっと……」
地下牢につながる廊下の角で、誰かとすれ違った。二人分の人影、薄汚れた布を羽織ったそれは、セリオと同じ少年のもので……
思わず見送ってしまい、二人が曲がり角に消えた所で、それが誰だか気付いた。
「……あーーっ!!」
走り出す前に自分のものではない、慌しい足音が聞こえた。
先導するように城内に響き渡る足音を追いかける。階段を駆け上り、今日何度目かで訪れたシュウの部屋の前でクラウスに出会った。
「クラウスさん?! マクドールさんとルック、通りませんでしたか?!」
「え? あの……」
戸惑いながらクラウスは階上を示した。……屋上か?
「ありがとっ」
セリオは短く返すと背を翻し、一気に階段を上りきり、屋上に飛び込んだ。
……屋上の端に、ひらりと消えたものがあった。一瞬の残像を残し、屋根の陰、屋上の外側へ消える。風が、吹いた。
「……えっ?!」
急いで駆け寄り、地上を見下ろす。そこには、もちろん何の影も無く、ただ地上よりもやや強い風が吹いているだけだった。
「………」
あまりの唐突さに、呆気に取られて風に吹かれていると、ふと足元に金属片を見つけた。
「地下牢の……鍵……」
それは見間違うはずもなく、今朝セリオがシーナに渡したものだった。そしてシーナがシュウに渡したと言い、シュウがセリオに渡さなかったものだ。
しかし、それがここにあるという事は。
「……やられたぁーー!!」
シュウからアシナの手に渡り、ルックを解放して、その後ここに寄ったという証拠だ。
セリオは鍵の束を握り締めると脱力して床に座り込んだ。あとには、風に乗ってセリオの叫び声が響き渡るだけだった。
end
2000/04/13初出 ・ 2001/10/13改稿
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