+  停滞台風  +



 ――何となく、何かあると予感していたのだ、その日は。

「ルック、お願いがあるんだけど」
 喜色あらわに石板の前に現れた軍主から、ルックは思わず逃げそうになった。
 セリオがこうした顔をして現れる時は、何かを企んでいる。
 ルックは経験則から身構えた。一部には好んでセリオの企みに加わろうとする者もいたが、自分はごめんだとルックは考えていた。
「つまらない“お願い”だったら怒るよ」
「大丈夫、僕は面白いから。それでね、」
 睨み付けて牽制したつもりだったが、セリオには欠片も効いていない様だった。口を挟む余裕すら与えず、セリオは用件を繰り出した。
「最近増築して、あぶれた物資が地下牢に臨時的に保管されているんだ。知ってた? それの確認をしてきて」
「……それはあんたでも十分に果たせる仕事なんじゃないの?」
「だって僕はもうすぐ出かけるもの。じゃ、よろしく〜」
 反論はまったく許されなかった。
 一方的に用事を済ませると、セリオはルックに背を向ける。
「……ちょっと!」
「そうだ、忘れてた。あとで誰かに地下牢の鍵持ってこさせるから、そこで待っててね」
 付け足し、といった様子で振り返るとセリオはにっこりと笑った。そしてそのまま視界から消える。
 ルックは諦めたように溜息をついた。

 それからしばらくして。
 飄々と近付いてきた人物――シーナを見て、ルックは眉を跳ね上げた。
「よう」
 かけられた声を無視してそっぽを向くと、シーナがそちらに回り込んできた。
 不機嫌さに磨きをかけて、睨めつける。
「なに、何か用?」
「セリオから聞いていないか?」
 妙に勝ち誇ったような表情をして、シーナは鍵の束を示した。
「ああ、地下牢の……」
 最悪の人選だ、と心の中でセリオを罵った。
「一般兵の仕事だと思うんだけど。……シーナ一人で行ってくれば?」
「ふーん、ルックは軍主自らの指名に背くのか」
 レックナートに言いつけるぞ、と暗に言われたような気がした。……多分にルックの思い込みだろうが。
 レックナート自身は何も咎めはしないだろうが、不愉快だった。
 乗せられた、と思わなくもなかったが、そう思った時には既に地下牢に向かっていた。
「さっさと終わらせるから、早く!」
 足早に、地下へと踏み入れる。
 普段は使われる事など滅多にない地下牢の周辺は必要最低限の光源しかなく、いたる所に影ができていた。
 鉄格子を開けると、その中はひどく陰気くさかった。
 ――手早く終わらせて、さっさと引き上げよう。
 ルックは天井近くまで積み上げられた物資の包みを数え始めた。
「一つ、二つ……」
「随分適当に積み上げてあるなぁ……」
 ルックとは反対に、シーナはほとんど来る事のない地下牢を興味深げに眺めていた。
「へえ、うちの城にもこんなのあったんだ」
「シーナ、なに気を散らしているんだよ」
 全く役に立ちそうにないシーナを、投げやりに咎めた。いまさら、何を言っても無駄かもしれない、と思いながら。
「………これで全部、と」
 結局一人で来ても、大差はなかったかもしれない。確認した事項を簡潔に書き留める。そして、早く地下牢から出よう、とシーナに背を向けた時だった。
「ああ、ルック、あっち」
「え?」
 シーナが指差した天井の隅を、ルックは何の疑いなく見上げた。
 かちり、という小さな音がした。
 ふいに重くなった左手首に目をやる。
 ――何だ、これは。
 鉄の輪。手錠だ。自分の手首から鎖が伸び、その先は壁に繋がっている。訳がわからず、ルックは自分の拘束された手首を唖然と眺めた。
 がちゃん、という音に、我に返った。鉄格子の外にシーナが立っている。もちろん鉄格子には鍵がかかっているようだった。
「……ちょっと、これは……どういうつもり?」
 鉄格子を挟んで、ルックはシーナを睨み付けた。ふつふつと怒りが込み上げる。
 自分がどんなに口が悪くても、地下牢に閉じ込められる謂われは無い筈だ。
「いや、頼まれ事」
「……何だって?」
 普段と変わりない口調で話すシーナに、肩と声を震わせた。その態度が許せない。
「短くても明日の朝までルックを地下牢にでも閉じ込めておけって」
「誰からっ?!」
「……先に言っておくけど、俺は何の関係も無いからな」
 実際に鍵をかけたのはシーナだろうに、今更関係ないとは言わせない。誰が止めても、血祭りにあげてやろうと決心した。
「早くっ」
 短い沈黙の後、躊躇しつつシーナは口を開いた。
「………我らが軍主殿」
「――切り裂きっ!」
 鉄格子には対魔法加工がしてあったので、傷一つつかなかった。だが、鉄格子の向こうで、多少は役目を果たしたようだった。
 絶叫が聞こえたが、ルックは気にも留めなかった。

 おそらく、全力を出せば手錠も鉄格子も破る事は出来ただろう。だが、それをする気にはなれなかった。
 何かある、とは思っていたのだ。そして予想通り、“何か”はあり、その結果がこの鉄格子であり、この手錠だ。
 今、下手に動いてさらに悪い結果は出したくなかった。シーナの言葉を信じれば、明日の朝になれば、確実に出る事はできるのだから。
 たかだか半日程度だ。性には合わないが、待つ事にしようとルックは思った。


 特にする事もなく、膝を抱えてうとうととしていた頃だった。
「……?」
 人の気配がした。妙に慌てているようで……この足音は、セリオか?
 何が起こったのかと首を傾げ、今日起こった出来事を反芻した。
 ――地下牢の物資を。セリオ。最低でも明日の朝まで。これから出かけるから。シーナ。閉じ込めて。大丈夫。ルックを。僕は面白いから。面白いから。
 ルックは身を起こした。
 ――もしかすると、朝まで待つ必要はないかもしれない。
 読めた。
「本当に、下らない事だけには力を注ぐんだから……」
 毎回毎回アシナをグレッグミンスターへ送ってしまう、ルックを閉じ込めたかったのか。セリオのその企みは成功したようだったが。
 あの様子だと、予定外の事が起こったらしい。本拠地に着いてから余程の事がない限りアシナを放さないセリオの事を考えると、どうやらアシナに逃げられたらしい。
 さらに城内を探し回っている事を考慮すれば、アシナはまだ城内にいる。どうせビッキーにはテレポート禁止命令を出されているに決まっているから、いずれルックを探し当てる事になるだろう。
 ――さて、どの位かかるかな。
 手錠から繋がる鎖をちゃらちゃら鳴らしながら、腕組みした。
 その顔には、すでにいつもの皮肉を交えた笑みが浮かんでいた。

 その後、二、三度セリオが覗きに来た。ルックが牢の中にいる事を確認すると、安心したように道を引き返す。ルックはその音を何とはなしに聞いていた。
 その足音が、変わった。
「遅かったじゃない」
 さも当たり前のように、皮肉を滲ませて笑ってみせる。鉄格子の向こう側にいるアシナが肩をすくめるのがわかった。
「……ごめん」
 アシナは苦笑しながら鉄格子の鍵を開けた。ルックの側に駆け寄ると、手錠の鍵を手に取る。暗い手元に戸惑いつつ、鍵を回した。
「シーナに感謝しないとね。いくら何でも、地下牢にいるとは思わなかったよ」
「シーナ? ……ふぅん」
 突然改心したとも思えなかった。そもそも、この地下牢に閉じ込めた犯人がシーナなのだから。
 拘束していた手錠を放り出すと、シーナがねぇ、と呟いた。
「ちょっと待っていて。鍵を返しに行って来るから」
「セリオに見つかるよ」
「捕まる前に逃げる……」
 鉄格子を出たところで、二人は押し黙った。微かに聞こえる、こちらに向かう足音。
「返しに行く暇なんてないじゃない」
「そうみたいだ」
 くすくす笑いながら、側に置いてあった布を被る。
「おっと……」
 曲がり角で、セリオとすれ違った。さり気無さをよそおって――意味なく通りかかる者などいない場所ではあったが――、そのまま通り過ぎる。
 角を曲がり、セリオの姿が消えた所で布を捨てた。
「……あーーっ!!」
 後方でセリオの叫び声が聞こえたが、それには構わず駆け出す。全力疾走で、上へ、上へと階段を駆け上る。後ろは振り向かない。たまにアシナの顔を覗いて、お互いこの“追いかけっこ”を楽しんでいる事を確認した。
 何度目か扉を開けた時に、シュウの部屋の前にいたクラウスに出会った。自分達を驚いた表情で見つめるクラウスには、一瞥しただけで構わず屋上へ向かう。
 特に理由もなく向かっていた屋外へ出ると、すでに辺りは暗くなっている事に気づいた。
 星空には目立った雲は見かけられなかったが、地上から離れているせいか、風がやや強かった。
 セリオが追いつくまでには、まだ少し時間があるようだった。荒い息を押さえ込みながら、アシナに尋ねた。
「で? どうするの?」
「鍵を返し損なっちゃったな」
 アシナは屋上の端へ歩み寄ると、足元に鍵を置いた。
 ルックを手招く。一歩踏み出せば、数秒後には地上、といった場所だ。
 ……背後から足音が近付いてきた。間違え様もなくセリオだろう。
「大人しく捕まる気?」
「まさか。グレッグミンスターまで送って行ってくれるだろ?」
 悪戯好きのする笑みを浮かべると、アシナはルックの手を取って足場のない宙へ身を躍らせた。急激に下降する視界の中、ちらと振り返った屋上の入り口に、人影が現れた気がした。
 慣れ親しんだ浮遊感とは違う落下感。腕に触れる自分への信頼感。
 すぐ近くの顔が笑った。
 ――自分勝手だね。
 それを心地良くも感じながら、ルックは短く言葉を紡ぐ。
 ……次の瞬間、視界が一転した。

 僅かな誤差もなく、二人はグレッグミンスターのマクドール家、その目の前に降り立った。横目でアシナを睨む。
「地下牢からの救出代としては、高すぎる気がするんだけど」
 そもそもの原因は、アシナが本拠地に泊まる事を良しとしない所にあった筈だ。今回のルックは、どう考えてもそのとばっちりを受けているとしか考えられなかった。
 アシナはルックの嫌味をあっさり受け流した。
「そう? それよりも夕飯はまだだろう? 泊まっていきなよ」
 返事を聞こうともしなかった。玄関をくぐると、アシナはルックを置いて、台所へ向かう。グレミオに知らせに行ったのだろう。
 その後ろ姿を、ルックはくすぐったそうに見つめた。
「……ま、足代はそれで帳消しにしてあげるよ」
 肩をすくめると、ルックはアシナについて台所へと向かった。



end
2000/04/13初出 ・ 2001/10/13改稿

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