+  未知と既知  +



 地面に寝ていた。

 目の前に横たわるのは、憧れの隣国の英雄と自軍の魔法兵団長の少年。
 頭を寄せ合うように眠るその姿は、整った顔立ちと相まって、まるで等身大の人形が横たわっているようにも見えた。
 それでも、二人の顔に浮かんでいる淡い表情と微かに漏れ聞こえる寝息とが、確かに生きているのだと伝えている。
 セリオは二人を見出した位置から、気配を絶ってそっと足を踏み出した。
 驚かせようとか、そういうつもりは無かったが、掻き分ける潅木が音を立てないよう、細心の注意を払う。
 無理して静めた呼吸音の代わりに、心臓を打つ鼓動がやけに大きく聞こえた。


 本拠地の裏手にある森の、僅かに開けた草地だった。見上げれば余す所なく枝葉の天井が続く中、その場だけはぽっかりと空が覗いていた。流れる雲の白と、抜けるような空の青の境目が、はっきりと見て取れる。
 木漏れ日と吹き抜ける風で、それはさぞかし気持ち良かっただろう。午後の陽気はひどく眠気を誘う。
 けれど、どう言い繕ってもここは城壁の外で、何が起こってもおかしくはない状況だ。何の構えなく眠る危険性を考えはしなかったのだろうか――
 つい他人事ながら、セリオは考えてしまう。
 アシナもルックも、そういった思慮深さは十分に過ぎるほど持っているものだとばかり思っていた。
 それなのに。
 手を伸ばせば届く位置まで近寄り、セリオはそっと二人の顔を覗き込む。
 柔らかな草の上で、二人は普段からは想像できないほど無防備に寝息を立てていた。
 ――何だか、想像していたのと違うなぁ……
 心の中で生じた感情は、思い描いていた理想像を崩された落胆。と同時に湧き上がったのは二人の見知らぬ一面を見出した、微笑みたいばかりの衝動だった。
 それは、危惧していたほど二人が自分とかけ離れた存在ではなかったとの安心感だったかもしれない。
 きっと、滅多に見れるものじゃないんだろうな、とセリオはしげしげと眠る二人を観察した。
 眠りにつく直前まで本の内容について語り合っていたのだろうか、アシナとルックの間には開かれたままの魔法書が置かれている。ちらりと内容を盗み見たが、理解できそうになかった。
 軍主たるに相応しい知識を身につけて下さい、と渋面を浮かべるシュウが思い浮かんだ。思わず本から顔を逸らす。
 そして目に入ったのは。
 何の制約もなく伸ばされた四肢、規則正しく繰り返される呼吸音。ちょうど今は木陰になっているおかげで眩しくないのだろう、惜しげもなく晒された安らかな寝顔。
 ――起こすの、悪いかな………、っと。
 あまりに二人が気持ち良さそうだったので、セリオはここに来た目的を忘れて引き返すところだった。
 ――いけない、いけない。
 戒めるように、セリオは自分の頬を軽く叩いた。

 どうしても外せない急用が出来たのだ。
 ただし、それはせいぜい一刻もあれば終わらせる事の出来るような用事だった。
 その事を伝えられたセリオの側で、アシナはその間にグレッグミンスターへ帰ろうと試みた。当然の如く、セリオはそれを引き留める。
「諦めれば? あんたがラダトまで歩いて行く間に、これはテレポートで先回りしているよ」
 これ、呼ばわりされたのは多少気に障ったが、このルックの言葉でアシナは苦笑しながらセリオの言葉に肯いてくれた。
 すぐ戻りますからと言い残し、シュウやアップルが驚く速さで仕事を片付ける。その様子をすごいすごいと言いながら見ていた(決して手伝っていた訳ではない)ナナミと共に戻ってみると、そこにはアシナとルックの姿はなかった。
 結果的には、こうして帰らずにいてくれたとわかったのだが、てっきり帰ってしまったのかとばかり思っていた。
 そう思っていただけに、帰らずにいてくれた事が純粋に嬉しかった。ただ、こうも熟睡している姿を見せられると、最近無理を言い過ぎたかな、と心配してしまう。
 近頃は各地に飛び回っている事が多く、その度に連れ回されているアシナにとっては堪ったものではなかっただろう。
 自覚があったので、心の中でごめんなさいと呟く。
 そう思ってしまうと、なおさら二人を起こし難くなってしまった。このまま眠らせておいた方が良いのかもしれない。
 ――うーん、どうしよう……今日は出かけるの止めとこうかなぁ。
 悩みながら二人の側に腰を下ろす。
 腰を落ち着けてしまうと、ますますそう考えてしまう。膝の上に頬杖をついて、一層悩み始めた。
 もっとも、悩み始めてはみたものの、すぐ側からは安らかな寝息が聞こえてきて、気付くと眠気が伝染していた。舟を漕ぎかけて、セリオは慌てて頭を振った。
 ――ここで僕まで眠っちゃったら、まずいって!
 羨ましげに隣で寝ている人物を見る。
 見られているとも知らず、当の人物は穏やかそうに寝ていた。
 ……それにしても、本当にこれが憧れていた英雄の姿だろうか。
 セリオはふと違和感を感じた。
 常に泰然とした姿勢を崩さず、彼我関わらず冷静に見つめるアシナと。今ここに目を閉じる、安らいだ表情のアシナと。
 同じ姿形をしてはいるものの、受ける印象は異なっていた。
 どこが違うのだろう、そう考えてセリオは突然気付いた。
 やんわりと微笑む姿と、伏せ目がちに悲しむ姿。それ以外のアシナを、セリオは思い出す事が出来なかった。
 その事実に愕然とする。
 自分は、本当に限られた一面しか見た事がなかったのか。
 翻せばそれは、アシナがセリオに己の大部分を隠して接してきた事を意味するのではないだろうか。
 選んだ顔しか見せない、それはセリオに限った事ではないだろう。かつての解放軍の同志たちに向ける仕草も、セリオに対するそれと大差はないように感じられた。
 そもそも、限られた感情の表現以外を忘れてしまったような、そういう印象すら感じさせていたというのに。
 ならば、何故今こうして気付いてしまったのだろう。
 さやさやと細い枝を震わせる風が、アシナの前髪をそよがせた。その動きに、セリオは手を伸ばす。
 誰よりも、隣国の英雄について知りたいと思っていた。だからこそ、周囲に少しは自重しろと言われても、度々グレッグミンスターへ赴いていた。
 それなのに、自分は悲しいくらいに彼の事を知り得ていない。
 溜息をついた。……悔しい。
 伸ばした手で、アシナの髪を軽くつまむ。
「……ん」
 身動ぎしながら漏らした声に、セリオは反射的に手を引っ込めてしまった。
 眠りを妨げてしまった事を、僅かながら申し訳なく思う。
「マクドールさ……」
「ルック……?」
 同時に発せられた声に、セリオは表情を固くした。それが、あまりにも自然に和らいだ声だったから。
 自分はこのように名を呼ばれた事はない。
 薄目を開けたアシナは、すぐに自分を見下ろしているのがセリオだと気付いた。
「ごめん。眠ってたみたいだね」
 身を起こして苦笑した。――いつもならば、見惚れてしまうほど綺麗に笑んで。
 それが今は胸を締め付ける。
「用事は済んだのかい?」
「はい……」
 思いつめた表情で頷くセリオに気付いて首を傾げながら、アシナはすぐ側で寝ているルックを呼びかけた。
「ルック……、ルック。起きて」
「……うるさい、起きてるよ」
 未だ微睡みの中にいるような、ルックのくぐもった声がした。それでも素直に上体を起こすと、面倒臭そうに髪をかきあげる。
「起こしてごめんね。もうそろそろ、出発するから……」
 刺激しないよう、そっと話し掛ける。それでルックは漸くセリオの存在に気付いたようだった。
 しばらくセリオの顔をじっと見つめた後、ルックは露骨に嫌そうな顔をした。
「……僕は今日は遠慮しておくよ」
「え?」
 突然言い出したルックに、セリオは慌てた。自分の顔に何か不愉快にさせるものでもあったのだろうかと、思わず手をやる。
「他の連中が待っているんじゃないの? さっさと行けば?」
 まるきり行く気の無さそうな素振りをして、傍らの魔法書を手に取る。そしてそのまま魔法で去ろうとするのを、
「軍主の命令は、それに見合うだけの理由がない限り従うべきだよ。そうしなければ、軍が瓦解する」
 アシナが止めた。穏やかそうな声で、表情で言いながら、その目だけは明らかに上に立つ者の、それ、だ。
「あ、あの、マクドールさん、ルックが嫌だって言うんなら……」
「……わかったよ」
 セリオが言葉を言い終わる前に、ルックがアシナに従った。
 溜息をつきながら、ルックの顔はどこか嬉しげだった。
「本は持っていけないから、片付けに先に行っているよ」
 魔法書をアシナとセリオに示すと、ルックは短い呪文を唱えてその場から姿を消した。
 口を挟む暇さえ与えられない内に、セリオはアシナと二人取り残されてしまった。
「あまりゆっくり行くと、待っている人たちに迷惑がかかるよ。早く行こう」
 それに、ルックを待たせるとさらに機嫌が悪くなるし。くすくすと笑いながら、アシナはセリオを促した。
 その笑う様子が、普段と微妙に違う事にセリオは気付いた。笑う声の、どこかが温かい。
 草木を掻き分けて先を歩むアシナに、何とはなしにセリオは尋ねた。
「マクドールさんて……、ルックと仲良いですよね」
 ぽつりと投げかけられた言葉に、アシナは足を止める事も、振り向く事もせず、
「そうだね」
 短く小さく答えた。
 それ以上続けるつもりがない事は、たとえ一面だけであってもアシナを見続けていたセリオにはわかった。
 そして、今だからこそわかった。――たった一言のうちに、密かに好意の欠片が織り込まれている事に。
 ――堪らないなぁ、こんなんじゃ。
 大きく、ゆっくりと深呼吸した。
 心の中でもやもやしていたものを、それで一気に吐き出した。
 間もなく辿り着く本拠地を目指し、セリオは駆け出す。追い越したアシナを、数歩進んだ位置で振り返った。
 思いっきり、自分でもこれ以上は出来ないだろうと思えるほどの笑みを浮かべた。
「今はまだ及ばなくても、いつか追いついて、追い越してみせますから!」
 指を突きつけて宣言する。
 一○八星を統べるに値する人間として、アシナに。
 そのアシナに好意を向けられているルックに。
 きっと追いついてみせるから、そして追い越してみせるから。
 心の中で付け足した言葉は語らず、アシナに背を向けて走り出す。
 少しずつ人が増え、大きくなる本拠地をセリオは見上げた。
 自分の思惑を越えて育つ軍と自分の歩む路に、アシナも惑う事はあったのだろうか。
 今まで、セリオはそれを重荷にしか感じていなかったが。
 自分の肩にかかる重みが憧れの英雄に近付く手助けになるのならば、それも良いと思った。

 本拠地の正面の門から、待ちくたびれたのかナナミがのぞいた。駆け戻ってきた弟に気付き、両手を振って大声で名前を呼ぶ。
 手を振るナナミに応えて、セリオは大きく手を振った。



end
2000/05/21初出、原題「午睡の森」
2001/10/13改稿

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