+ New Adventure +
若木が萌え、空が高く感じる。
初夏。
昼下がりの校舎はもうじき開催される体育大会の準備の為、にわかに慌しさを増していた。その片隅、屋上へ続く階段の踊り場で、不二は本を読んでいた。
少し暑くなり始めたこの季節、屋上近くのこの日陰は風通しの良い事もあり他より涼しく感じられる。階下の騒々しさも届きにくく、絶好の読書の場だ。
時折吹き抜ける風に前髪を揺すられながら、不二はページを捲っていた。
これが、ぼくにとっては、この世で一ばん美しくって、一ばんかなしい景色です。
そこまで読んだ所で、午後の授業の予鈴が鳴った。残り少ないページ数を確かめて、栞を挟む。
あとがきさえ無視すれば、そのページを読めばもう読み切った事になる。けれど、本鈴までまだ時間はあったが後に取っておく事にした。もう何度も読み返している本だ。急ぐ事は無い。
これを読み終わったら、次は原書で読んでみようか。
そう考えながら、不二は腰を上げた。
立ち上がると窓の外に校庭が見える。予鈴で校内に戻る者、体育の授業で外に出る者、それぞれ半々。その割合が目に見えて変わっていく。
校内に吸い込まれていく生徒を目で追っている内に、不二は廊下を歩いている手塚を見つけた。
体育大会の委員会会合でもあったのか、授業のものとは思えないノートと筆記用具を持っている。その姿が、廊下の向こうから手前に移動する。
白いシャツが目に付く。
日陰の校内で光が反射している訳もないが、やけに眩しく感じられた。
そろそろ教室に戻らなくては、と、その場を動き難く思いながら、不二は目を眇めた。
春休み明け、手塚と試合をした。
校内ランキングのような大したものではなく、セルフジャッジの簡易なものだった。一年の頃から彼の実力には舌を巻いていたが、案の定敵わないまま勝負は終わった。
この男には敵わないかもしれない、と思ったのは、その時が初めてだった。
これまでどんな相手でも、今は負けてもいずれ再戦した時には勝つ自信があった。まだ成長しきっていない身体、完成されていない技術、それらを加味して考えれば、まだ自分にも勝算があると。
手塚に対しては、それを見つけられなかった。
自分が上達すればその分、彼も上達する。決して越えられない壁を目の当たりにしたような気分だったが、けれどそれを認めたくはなかった。
他の多くの部員たちのように、彼を尊敬する気にはなれなかった――その中には少なからず敬遠する気持ちも含まれていた事を不二は感じ取っていたから。「あいつは違う」と一線を画す事は簡単だ。けれど不二は、それだけは絶対に避けたいと思っていた。
廊下を歩く手塚は、屋上近くの窓から見つめる不二には気付かず教室へと入って行った。それを見送ってから、不二は階段を下り始めた。
唯一、自分に絶対的な敗北感を与えた男。
心に引っ掛かった棘のように、その存在が不二の意識を刺激する。
既に勝利した相手。いずれ勝利しようと思う相手。
そのどちらでもなかった、彼。
こんな相手は初めてだ。
さあ、この棘の処理をどうしよう?
抜く事も身に残す事もどちらも保留したまま。
不二はじくじくと苛む棘の痛みを楽しんでいた。
――この時は。
end
2003/05/24
≫back