+  水平線  +



「ゲブラー総司令官に指名されたと、聞きました」
 静かな声が、緑のざわめきと共に聞こえた。

 中庭の人工林。室内なのに何故木々が揺れ動くのだろうと思った。すぐに、換気のために空調が動いている事に気付いた。
 自然を真似たこの木々も、そうと知らなければ本物になるだろうか。そう、ぼんやりと考えた。
「先輩?」
「あ?」
 芝生の上に寝ている自分を後輩がじっと見詰めていた。上の空で聞いていた質問を反芻する。笑いがこみ上げた。
「俺がゲブラー総司令官……か。それも面白いかもしれないな」
「おかしな真似はしないで下さいね、迷惑するのは私なんですから」
「困る事は無いだろうさ。問題を起す前に消えてやるよ」
 梢の先にソラリスと外界を隔てる境界――硝子が見える。見えている筈だ。そして、その先に地上が見える。
 青い。
 空かと思った。微かにそれと気付く波で海とわかる。
 海の青と空の青はどちらが綺麗だろう。その境界線の青はどのような色をしているだろう。一度、見てみたい……
 ゆっくりと体を起こした。
 訳も無く、全てが許せる様な気がした。
「ゲブラー総司令官の座は誰かにくれてやるさ」
 だから、言うつもりなどなかった言葉がするりと出た。
「俺は……地上に、降りる……」
「……地上、ですか?」
「おかしいか」
 後輩は黙って首を振った。
「それも……一つの選択肢でしたね。気付きませんでした」
「だからお前は甘いんだよ。選択肢は一つじゃない」
 遠くで人の声が聞こえた。それ以外は葉擦れの音しか聞こえない。
 静寂の中、天上に見える海を思った。

「いつソラリスを出るんですか?」
 ポツリと出た言葉に思考が中断される。
「シグルドみたいに強行突破するつもりは無いからな。とりあえずゲブラー総司令官は辞退して、……そうだな、地上の辺境保安官にでもなるさ。今はそれで良い」
「その後は」
「……さあな」
「滅多な事はしないで下さいね。この手で先輩を殺すのは辛いですから」
「そう思うなら、んな物騒な事、さらりと言うな」
「そうですね」
「その気が無いなら素直に返事するんじゃない」
「ええ……」
 手元の刀を引き寄せる動作に、目が行った。
「人と穏やかな話をしている時くらい、それ、離せよ」
「穏やかですかね……無理ですよ、離すと落ち着かないんで」
「あまり良い趣味じゃないな」
「そうかもしれませんが、良いんです。私の場合は」
「一生持ち続けるのか」
 顔をしかめて見せたが、対するは平然としたものだった。
「それもまた一興ですよ」

「海を見て不思議に思わなかったか?」
「は? 随分話が飛びますね」
「はん、このぐらいで驚いてちゃまだまだだな」
「………」
「子供の頃の話だけどな、……海の水が落ちてこないのを不思議に思ったよ。周りの奴らはそうは思わなかったらしいがな。
 今じゃどうしてなのか、わかってる。だが、当時はわからなかった。
 “チジョウは、こことは重力が反対に働いているから。”
 ただそう繰り返されたよ。
 ユーゲントに入って、始めてソラリスと地上の関係を知った。俺は驚いたね。ソラリスが、地上とは反対に立っていたんだ。
 もし知らなければずっと、地上がソラリスとは逆の位置にあると考えていただろうな」
 海の水が落ちないか心配する気持ち、それは真実だったのに。
 実際は、自分たちが落ちないか心配するべきだった。
「真実と事実の差は少ない方が良い」
 それがより良い判断の土台となるのだから。
「知らない方が幸せになれる事もありますよ」
「かもな。だが、知らない事により招いた不幸を、知らなかったからしょうがないじゃぁ済まされないだろ?」
「知らない事は罪……ですか」
「それは流石に極論だがな。知らずにいるよりも知っている方が良いに決まってる。……たとえそれが痛みを伴っても」
 立ち上がる気配がした。見上げると、鞘を持ち、歩き出そうとしていた。
「行くのか」
「ええ」
 中庭の出口に向かっていた足が、ふと止まった。
 振り向いて、思い出したように訊いた。
「先輩、忘れてると思いますが、明日私の誕生日なんです。祝ってもらえますか」
「パーティーでも開いてやろうか?ラケルに用意させるぞ」
「いえ、それは結構です」
「いくつになるんだ?」
「二十歳ですよ」
「そりゃ祝わんとな」
「ええ、それと同時に守護天使にもなります。それでも、祝ってもらえますか?」
 足早に立ち去るヒュウガを、ジェサイアは見えなくなるまでじっと見つめた。

 奴ならば、きっと優秀な守護天使になるにちがいない。
 かつての同胞も躊躇無く切り捨てる事が出来るだろう。
 冷酷ゆえに美しい天使の誕生だ。

 ……ラムズ出身のソラリス守護天使か。

 もう一眠りしようと横になる。
 窓の外に海が見えた。
 海と空の交わる所。ああ、水平線だ。
 きっと綺麗な色をしているだろう。
 ヒュウガと同じ、境界上ゆえの美しさだ。

 そう思いながら、ジェサイアは目を閉じた。



end
1999/05/27初出 ・ 2001/10/13改稿

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