止まない雨 目の前にあって、手を伸ばせば届きそうなのに、手を触れてはならないもの。そ れが分っていながら、抑え切れない欲求に何故こんなにも胸掻き毟られる。 琥珀に閉じ込められていた虫を目を輝かせて見ていた頃とは明らかに違ってしま った、ボクの醜い独占欲の故なのだろうか。 密やかな呼吸、静寂が支配する見慣れた空間。なのに君がそこに居るだけで、い つもと違って見える風景。 細い指先が器用に紙を折り畳んでいくのを、息を詰めて見つめている。さらさら した真っ直ぐな黒い髪が頬に掛かる。微かな吐息で、髪の先が揺れる。見てるだ けなのにどこか息苦しさを覚えて、ボクはそっと息を吐く。溜め息を気付かれた くなくて、細心の注意を払いながら。 「はい。出来あがり」 誰に言うともなく声に出して、そして一乗寺くんがボクを見て、にっこりと笑う 。ああ。一瞬、時間が止まったみたいだなんて。 「あ、ああ・・・うんありがとう」 君の手から、小さな鶴を受け取って、掌の上で転がしてみる。 淡い桃色のそれがころんと倒れて、まるで頼りない誰か……みたいだ。 「ちゃんと見てたつもりなんだけど……覚えられなかった……ごめん」 しょうがないなって言って、でも全然咎める風じゃなく。まだ四角く畳まれただ けの僕の手の中のそれを、君は僕に手を添えて、形作って行く。 ほんとは気付かれてしまうかなと。君にボクの下心を勘付かれてしまい、君は尻 込みして、当たり障りのない無害な言葉で断ってくるかもって。でもこうしてた だの四角い色紙は、徐々に形を成していく。 こんな近くに君を感じてると……なんだか妙にふわふわして現実離れしている感 触。 長い睫が心持ち伏せられて、頬に影を落とす様とか、あれ、君の眉ってこんなに 細いんだとか。そんなことばっかり気になってちっとも鶴の折り方なんて頭に入 りやしない。 ボクの机の上にも、冷めてしまったお茶を置いたテーブルの上にも。ありったけ の紙で折られた鶴が並んで。 その間、会話らしい会話は無かったんだけど、それでもボクはどこか満たされる 時間を過ごしていて。 時を告げるチャイムの音が響くまでは……。君は弾かれたように顔を上げて、机 の上の時計に目を留める。 「あっ!?もうこんな時間?」 わかってたんだけど、本当の所は。君がここに居るのは時間つぶしだったって事 。君が大輔くんを待っている間だけの。 君の動きが止まってしまった事で、ボクはそれを思い知る。そして溜め息一つ。 心を入れかえる数秒。 「・・・学校までゆっくり歩いていこうか」 ボクの言葉に、君がしばらく考えて首を縦に振る。酷く考え深げなその表情。部 屋のドアを閉まる時、たくさんの色とりどりの鶴が僕達を見送ってくれた。 いつのまにか雨は小ぶりになってきていて、梅雨ももうじき明けるんだろうかな んて、たわいのない話しをしている内に。 学校が見えてきて、自然ボクの足が遅くなる。それに気付いてるのかどうなのか 、君がそれに合わせてくれる。 まだ……戻ってきてなければいいのに。それとも、知らないうちにすれ違っちゃ って、会えないって可能性だって無いわけじゃない。 「静か……だよね。この辺」 一乗寺くんの迷いが見て取れる。会いたいけど、心配なんだ、大輔くんの反応が 。 大丈夫だよ、君が来てくれたって事実だけで。皆、もう家に帰ったあとの静まり 返った校門。足が止まる。視線を合わせたままで、数秒無言。なにか切りだそう と口を開きかけた瞬間、聞きなれた大きな声が、静寂を破る。 「あれーっ、賢?どうしたんだよっ?」 ばたばたと騒がしく駈け寄ってくる足音。一乗寺くんも慌てて声のほうへ向かお うとして。 ボクを振りかえるその顔が。緊張と、隠そうとしても隠し通せない喜び。花が開 いたのかと見間違うほどに。 息が苦しくなった。足元がぐらぐらする感覚をやりすごして、なんでもないって 風を装い。 「大輔くんいつもと同じで良かったじゃない。じゃ、一乗寺くん、またね。今日 は楽しかったよ」 小さくお礼か何かを口にして、まっすぐ駆け出して行く後姿。透明の傘の中、髪 が扇状に広がるのが見える。 「大輔っ!」 「なんなんだよ?なんで居るの?あっ……もしかして」 「うん……、昨日の事、気になって。僕が感情的になっちゃって……悪かった… …」 「かーっ!……気にすんなよなぁ……まったく」 ボクはそれを最後まで見届ける事無く、踵を返す。だって最初から具合、あんま り良くなかったんだから。早く帰って布団被って眠りたい。来た時よりも早足で 家路を急いだ。 次の朝、大輔くんは自分の差してたビニール傘をボクに差し出した。 「これ……昨日、賢がお前に借りたヤツなんだってな」 え?なんで学校で渡すかなあ?差してきた傘と、いま渡された傘。二つも必要無 いし、第一荷物じゃないか。 サンキューな!って駆けていくその姿はあっという間に小さくなって。ボクはま た溜め息一つ。 帰りはきっと雨が上がっているだろう。こういう予感て当たるんだ。踏んだり蹴 ったりってこういう事いうんじゃないかな。 案の定、下校時間に見上げた空は、雲の隙間から薄く日が差してきていて。気の 効く友人を持って幸せだよって呟きながら、ただの荷物でしかない傘を二本、両 手にぶらぶらさせてボクは家に帰った。まあ、でも許してあげるよ、何せ今は。 家に帰れば、色とりどりの鶴がボクを出迎えてくれるのだから。 END / BACK
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