天使も踏むをおそれるところ





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八月一日はボク達の記念日ではあるけれど、2002年のメンバーには関係ないと言えば関係ない。それでも大輔くんの遠慮、いや屈託のなさと伊織くんの律儀さ、それから実は意外に繊細だったりする京さんは、おそらくヒカリちゃんに説得されたかミミさんが帰国している事を聞いたんだろう、とにかく今年も無事全員が顔を揃えた。メインであるところのウィザーモンの墓参り(?)を済ませ、二次会場は受験組の希望で丈さんちだ。総勢12名、迷惑だよね、だけど丈さんは例の困ったような笑顔で、すごく散らかってるんだけど、と何度も念を押しながら招き入れてくれた。買ってきた飲み物と冷房が行き渡り、人心地ついて御歓談。日照時間が足りないっていうのに裏表も判らない位日焼けした大輔くんの第一声は「すげえ・・」だった。滅多にない事だけど、ボクもそれには同感。そういえば丈さんちに来たのは初めてだ。所詮同じようなマンション、間取りはどこも似たり寄ったりなんだけど。ついぐるぐる見渡してしまう、壁という壁に本棚、そこから溢れだし、あちこちに山を作っている本、ビデオ、書類の束。

「ゴメンよ、ひどいだろ?」
その中のひとつを引っかきまわしながら丈さんが苦笑いする。
「これ、全部丈さんのっすか?」
「まさか」
魂を抜かれたような大輔くんの声に丈さんが慌ただしく手を振る。
「君たちも会った事あるだろ、シュウ兄さん。参ったよ、こないだだってさ、白川の古本市の出物だとかってごっそり送ってきてさ」
ひええ、と大輔くんが口の中で呟く。
「姉貴のヤツ、なんでこう身の程知らずなんだよ・・」
「大輔くんのお姉さんがどうかした?」
ボクの問いに大輔くんはなんでもねーよと大袈裟にアタマを振る。
「ふうん。ねえ、丈さん、見せて貰っていーい?」
「そりゃ、もちろん。あ、やっと見つかった」
どうして僕の去年の参考書がこんなとこに、と丈さんはぶつぶつ言いながら受験軍団の所へと戻っていく。

「何見てんだ、タケル」
何気なく手に取った黒っぽい表紙の一冊を大輔くんが覗き込む。
「・・『黒魔術の手帳』?げ。こっちは・・えーと『オカルトへの招待』?マジかよ、丈さんの兄さんって。あっぶねー!」
「うるさいよ、大輔くん」
黄ばんだ不揃いな小口、僅かにカビ臭い湿った匂い。何冊かパラパラめくってみる。お腹の出た、お世辞にもキレイとはいえないハダカの女の人の図版。白黒で印刷された音楽室にあるような肖像画はどれもこれも悪人に見える。
「『怪物の』・・?えーと、賢、これなんて読むんだあ?」
「けいふ、だよ」
その声に心臓が飛び跳ねる。何を今さら、ここには選ばれし子供が12人。もちろん大輔くんの隣には。
「城戸さん、民俗学専攻だっていうから。その資料だろ?」
「へー。お前なんで知ってんだ?」
「前に家まで送って貰った時に」
「あー、あの時な。姉ちゃんがアレから城戸さんにホれちまって・・」
「はは。そうだったんだ」
「なんかさ、バレンタインとかも騒いでて、ちょっと前までヤマトさんヤマトさんってうっさかったクセによー」
「あは」
まるでボクなんかいないみたいな会話。盗み聞きしているみたいな気がして居心地が悪い。
「お前、こんなん詳しいんじゃねーの?」
「まあ。雑学のひとつとしてはね」
染みの浮いた頁をずっと見ていたら目が痛くなってきて、ボクは本を閉じた。思いの外大きな音がして、二人が顔を上げる気配。
「丈さん、これ借りていい?」
女の子達の笑い声に負けないように、声を張り上げる。
「ははあ、誰か呪うつもりだろ、このぉ」
大輔くんが脇腹をつついてくる。
「そんなんじゃないよ」
アバラの間に入って結構痛い。一瞬涙なんか滲んじゃったり。
「自由研究かぁ?なんかヒカリちゃん言ってたなあ。ひええ、タケル、お前のってまさか」
「違うよ。大体万年朝顔のキミには言われたくないなあ」
くす、と控えめに笑う声に大輔くんが言い訳している隙にボクは女の子達の方に声をかける。
「何、何の話?」
間に割って入ろうとするボクの場所を作るために体をずらして、ヒカリちゃんがちょっとイヤそうに答える。
「ミミさんがね、折角帰国したんだから温泉行きたいって」
「そーなのよっ!納豆もツナマヨもだけど、やっぱ温泉よね!」
今日のミミさんは、ほとんど水着っていうか、そこに昔のロック歌手みたいたびらびらが一杯くっついてて。
「アタシもミミさんと温泉行きたい!」
京さんが両手の平を握り合わせてうっとり叫ぶ。
「とにかく向こうじゃお風呂には苦労したもんね〜」
「そうだったんですか〜。大変だったのね、ヒカリちゃんも」
「アタシは途中からだからあんまり」
「でもね、どーゆー訳だか、デビモンの館のお風呂はそりゃゴージャスだったのよ〜!ライオンの口からお湯が出たり。ね、タケルくん」
「うん、すごいご馳走も出たしね」
「わ〜、いいな、そういえばデジタルワールドって食べ物美味しいですよね、ラーメンとかも肉マンも美味しかった〜」
「水と空気がいいからかしら」
「う〜ん、でもね、あそこの場合はみーんなマボロシだったわけ〜。夜中に目が覚めたらベッドごとばびゅ〜ん!」
ミミさんが大袈裟にため息を吐く。
「あはは。あれはビックリしたよね」
ボクはひとりで始まりの町に飛ばされ、そこではじめてデジタマに触れたんだ。
「あれが悪夢の始まりっていうかね」
ミミさんは光子郎さんと遺蹟に飛ばされたんだっけ。
「そこで初めて敵の姿が明確になった訳ですね」
伊織くんが感慨深げに言う。
「そうだね、暗黒デジモンを見たのはあれが最初だったね」
伊織くんの真っすぐな視線を宥めるようにボクはちょっと笑ってみせる。
「コワイなんてもんじゃなかったわよ〜、トゲモン達、全然適わなくて」
「パタモンなんかまだ進化できなくてさ」
「でも予感はあったのね、パタモンは」
「え?」
「パタモン、天使の絵をじっと見てたって」
少し悪戯っぽい目でボクをちらっと見て、ヒカリちゃんが続けた。
「あはは、エンジェウーモンの絵だったりして〜」
京さんが、通り過ぎようとした大輔くんの足を叩いた。
「ね、聞いた?御両人は前世からの繋がりがあったそうよ、ブイモンには悪いけどっ」
「んだよ、そんなんカンケーねえだろ!」
「属性という点ではそうかもしれませんが」
むしろ姉弟のようなものじゃ、と呟く伊織くんに、いいのよ、面白いから、と京さんが耳打ちする。
「ミミさん、マイケルどーしてんすか?オヤジさんの映画、こないだ観たよな、賢。カッコいかったあ」
「あ、うん」
「あ〜!アタシも賢くんと映画行きたかったあ!なんで誘ってくんなかったのよ〜」
京さんが立ち上がる。
「だって京お前テスト前だっつーて」
参考書の山を前に頭を寄せ合っていた年長組が一斉にこっちを見る。
「おーい、大輔、犬も喰わねえって知ってるか〜」
「はぁ?先輩、それ何すか?」
傍らの誰かに解説されたらしい、大輔くんは手を振り回して猛然と抗議を始めた。
「あはは。相変わらずだね」
「タケルくん、いい本みつかった?」
ヒカリちゃんがボクの顔を覗き込む。
「う〜ん。ちょっと方向違いだけど」
「自由研究?懐かしい〜。アタシ、創作料理だったな。ヒカリちゃんは何するの?」
「お母さんと手作りハーブ石鹸作ろうと思って」
「それって、もしかして材料買ってくるだけだったり〜」
「やだ、ミミさんたら。アタシ、全部お母さんに作ってもらったりなんてしませんよ」
「タケルさん、タケルさんの自由研究は?」
ピンク色の火花が見えたのはボクだけじゃなかったらしい、伊織くんが思い出したように尋ねてきた。
「え、ボク?」
「苦労してらっしゃるって。難しいテーマなんですか?」
言い争いが一段落ついたらしい、大輔くんがどかっとボクの隣に座った。
「その事なんだけどよ、タケル。おい賢、こっち来いよ」
「何?大輔くん」
何にもならないってわかってるのに振り返らないで済むように、口の端で返事をする。
「お前がさー資料がねーだの生意気な事抜かしてるって聞いたもんでさ、な?」
大輔くんの向こう側で黒い毛先が揺れる。
「賢がなんか協力してやるって」
「協力?」
「僕の学校に図書資料室というのがあって」
大輔くんの向こうから声がする。それってボクに言ってるのかな、念を集めれば透視できるかのように大輔くんの頭に向かってボクは言う。
「ありがたいけど、ボクが探してるのは絵なんだ」
「さっきのパタモンが見てたって絵よね」
ヒカリちゃん、なんだってそんな余計な補足を・・。
「はぁ?お前パタモンで自由研究済ませようってのか?ずっる〜」
「ずるいってね。そういうんじゃなくて。」
「絵画の資料もかなりあったと思う。中等部や高等部とも共通で、その。かなり旧いものも保管してるはずだから・・」
彼には珍しく、言い募るように、でも語尾は段々小さくなってく。
「天使の絵かぁ。ロマンチックね〜」
「ね、みんなそう思っちゃうでしょ」
ボクは京さんに苦笑してみせる。
「そういうんじゃなくて・・戦う天使っていうかさ」
「なんだよ、エンジェモンかよ。やっぱデジモンじゃん」
「もとはと言えばさ、人間の作ったデータというか。イメージな訳じゃない、それがどこから来てるのかな、なんてね」
「なるほど、考えた事なかった。興味深いですね。」
伊織くんの真面目な声に、だからボクの話はもういいから、と一応の逃げは打ったつもりだったんだけど。大輔くんは、一乗寺くんの事となるとしつこかった。
「おい、タケル。せっかく賢がなあ」
「いいよ、大輔、僕はその。お節介だった、すまない」
謝られるとこっちが悪いみたいじゃない。
「タケルくん・・」
ヒカリちゃんまで心配そうな声出さないでよ。
「・・いいの?余所の学校の子が使ってもさ」
あぐらを組んだ足首の辺りを意味もなく握りしめる。
「禁止されてるかどうかは・・。頼めば大丈夫だと思う」
「いいじゃない、タケル君!甘えちゃいなさいよ、確かにお台場小学校の図書館って何もなかったわよね〜」
「う〜ん。それはそうなんだけど」
京さんに背中をどやされてボクは情けない声を上げる。
「管理の職員さんに懇意にして貰ってたんだ。事前に連絡すれば・・」
「『こ・・い』って、賢、お前」
大輔くんが金魚のように口をぱくぱくさせて後ずさる。
「え、何?大輔」
「こ・ん・い!親しくするって事よ!」
心なしか京さんの顔が赤い。
「あ〜。びっくった〜。そりゃー賢はもてるけどさ〜」
「バッカじゃない?ごめんね、賢くん、コイツったら」
「まあまあ、京ちゃん落ち着いて。アタシも一瞬わかんなかったぁ。日本語って難しいよね〜」
ミミさんがテヘ、と笑った。
「おーい、アイス喰うヤツ!」
頭の上からお兄ちゃんの声とコンビニの袋が降ってくる。
「全部100円アイス、平等だからね」
「ありがとう、空さぁん!あ〜うれし、絶対食べ物は日本が美味しい〜」
「あ、オレ、ガリガリくん!」
「大輔、がっつかないでよ!」
全員が袋の中を物色しはじめる。ボクはどうせ余るというか、お兄ちゃんがボク用に選んだんだろう、あずきバーを手に取る。
「タケル・・君」
おずおずと発音される聞き慣れない呼称。ボクは振り返って。
「お盆前だったら僕はいつでも構わないから。それとも今決めようか?」
この日初めて一乗寺くんの顔を見た。










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