夜のエーテル








雪のひとひら―


思い出を、柔らかく甘美な記憶の底に沈める事が出来たなら。

あの辛い経験を経て、僕は今まで生きてきた何倍もの生きてるという実感をおぼえた。その頃、隣を見れば親友と呼べる彼が居た。闇の底に蹲る僕を引き上げてくれた仲間が居たのに。今の僕には何もない。時間の経過はあまりに残酷に、僕等を変えてしまった。自分達の力で何かを為すことが出来るという錯覚に僕は酔っていた。そして、気が付けば取り残されていた、僕だけが。打ち込める何かを探して、それも叶わず。足掻けば足掻くほど、空回り、僕を憐れむように見る視線に、無性に苛立ちを感じた。会えば言い争う事になるからと、冷却期間を置こうと言った時の本宮の顔が今も僕を苦しめる。

今もありありと一言一句蘇る。感情をぶつける言葉で、ごりごりと傷つけ合う。

「どうしちゃったんだよ、お前おかしい!」
「おかしくなんかないよ、僕はいつものままだ。君は見たくない部分を見てなかっただけなんだ」
「もう会わないなんて言うな!」
「そんな事言ってない…ただしばらく…時間をおこうって」

こんな風に取り乱す人を見るのは辛い。いつから僕はこんなふうに本宮に距離を感じるようになってしまったのか。腕を掴まれて乱暴に揺すられて、その気持ちに答えることもままならない。




雪のひとひら2―


「…くすぐったいよ、離してくれないか」

視界の先の見慣れぬ天井、自分の置かれた状況を思い出して、僕は意識を引き戻す。首筋を辿る唇の感触に身を捩り、僕の上跨ってる高石の頭を押しやる。聞こえてる筈なのに、高石はチラッと目を上げただけ。

「もう帰るから、だから……」

返事の変わりにキスの雨が降ってくる。僕の言ってる事、聞くつもりは毛頭ないって事に気付いて、乱暴に高石の体を押し返した。触れあった部分の抗いがたい人肌の温もり、でもこんな状況でこんな風になんて、あまりに安易過るじゃないか。

「お金にならないんじゃ、こんな事する気になんてならない?」

やけに突っかかる物言いに、僕は振りかえる。俯いていて表情が読めない。

「何か誤解してるみたいだけど、僕は別に君が想像してるような事は」

僕を遮って高石が机の上、拳を叩き付ける。大きく響く音。もはや苛立ちを隠そうともしない。このまま振りきって帰る事は可能だろうかとか、適当にあしらった方が早くすむだろうとか、僕は素早く考えを巡らせる。

「高石くん……本当に僕は」

高石の前まで行って、なるべくこれ以上は君を刺激したくないから。俯く肩、手を置いて小さく呟く。小手先で誤魔化される君じゃないから、僕は精一杯気持ちを伝えたい。胸の内、懸命に言葉を探す。

「僕を心配してくれてるんだよね……ありがとう」

はっとして上げた顔覗き込めば、傷ついたような視線。その外見とは裏腹の、何倍も繊細なのは本当は。胸の奥が痛んで、息が詰まる。僕は何かを言い掛けて、でも声にはならずに。身体ごとぶつかって来る高石を受け止める。僕の腕の中、小さく収まってしま身体を抱きしめながら、柔かな髪の先、頬に感じて、僕は今度こそ本当に帰れなくなったなあなんて、頭の隅でどこか冷静に。君の苛立ちを静めたくて髪を撫で、キスで宥めて、額から頬から。香り立つ潮の匂いを感じて、なんだか胸いっぱいになる。その香りを僕は思うさま堪能する。そうするうちにいつのまにか僕は、再び柔かな吐息を間近に感じて。しまいには、どれもこ れもがすべて現実感を失いつつ、意識だけを置き去りにしていく。薄い手のひらのひんやりした感触、今はそれを追うだけ。僕は酸素が足りないみたいだ。息苦しさを感じて口を開けば、溜め息ともつかない声が漏れた。



next  戻る

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル