FLY AWAY 5 僕等はいったい何回触れ合って、感じ合えば満たされるのだろう。少し眠ったせいか幾らか楽に動けるようで、僕はベッドから降り立って、部屋を歩き回った。こうして見回していると部屋の中の物全て、高石らしい。素っ気ないようでいて、どこか暖かい。そして普段は冷ややかな瞳が、ゆらゆらと不安定に揺れるのを、僕は知ってしまった。自然と顔が上気してくる。僕は無性に高石の顔が見たくなって、部屋のドアを開けた。廊下を進んでリビングまで来て、ようやく目指すその姿を見つけた。ソファに座って身じろぎもしない。 「高石?」 返事が無くて顔を覗き込んで僕は気付く。高石は眠ってしまってた。座ったままの姿勢、少し窮屈そうにソファにもたれ掛かって。僕がベッドで寝ていたからだ。起こしてしまうのは可哀相だけど、高石の肩に手を添えてそっと揺さぶった。 「ベッドで寝ないと後で……」 小さく身じろいで高石は目を覚ます。青い瞳が僕をまっすぐに貫いて息が止まりそうに。次の瞬間、高石が手を乱暴に引っ張るもんだから、僕は高石の胸に倒れ込んだ。 「どこにも行くなっ」 慌てて見上げると必死の形相。 「えーと。今はどこにも」 僕はどこかずれた答えを。 「ボクを置いていかないでよ。君にひどい事したのはわかってるけど」 僕はマジマジと高石を見つめてしまう。今さらそんな言葉を聞くとは思わなかった。高石の名を呼ぶとボクを抱きしめる腕に力がこもる。 「君が好きでたまらない、気持ち抑えきれなかった」 頬が熱くなる。 「これで君の心まで手に入ったなんて、思い上がってる訳じゃないけど」 夢見てるみたいだと囁く声をぼんやりと聞く。僕は高石の背中に手を回す。僕らは抱き合ってしばらくそのまま。何も持ってない、何もわからない、それでも人の温もりだけが僕らの拠り所みたいに。 ********* 「もうここまででいいから」 前を行く背中に声を掛ける。高石は振り返り、繋がれた手はゆっくりと離れた。昨日の喧噪は嘘のよう、暮れてゆく街並みは夢のように穏やか。 「気をつけて帰るんだよ」 「僕は子供じゃない」 「昨日は、はぐれて泣いてたくせに」 「泣いてないっ!」 いじわるそうな笑み。僕は言葉を失って、高石の青い瞳を見る。笑ってはいない真剣なその目を覗き込むと、高石は口元の笑みを引っ込めた。しばらく視線が交わった後、目が泳いで高石は俯いた。 「君はずるい、ボクの気持ちわかってるくせに」 胸の奥、痛みが走る。いつものクールな仮面が剥がれて、その向こうから恐る恐る覗くのは。僕も高石も無慈悲な世界にたった一人で立ち向かう、孤独な魂。詰めてた息を吐きだして、僕は一歩前へ踏み出す。誰かに見られたら恥ずかしい。でもどうしても今、僕はそうしたかった。高石を両腕で抱きしめる。 「僕は……君と触れ合えた事、後悔してない」 柔らかな髪に顔を埋めるとやっと息をつけた。揺れる瞳、何かを言おうと唇が。言葉は無い。でも僕は聞かなくてもわかる。僕は世界に立ち向かう方法と武器とを、たった今手に入れたのだ。今度の闘いは世界を救う為じゃない。いうなれば僕が生きていく為の。道を見失って、僕は立ち竦む。動けなくなって隣を見たら、同じように前だけ見つめて、いつの間にかそこに高石が居た。僕が気付くのが遅かっただけで、本当は随分前から、そこに居たのかもしれない。始めは戸惑いを感じていた僕。でも今となっては、もう君なしじゃ居られない。 「ボクは自惚れてもいいのかな?」 耳に心地良く響く声。高石の肩に頭を預けたままで、僕は頷いた。シャンプーのいい匂い、きっと君も同じ匂いに酔っているって確信しながら。 突然強く抱きすくめられて、素早く僕の唇をかすめてく柔らかな感触。さすがにまずいだろ?ここは往来で、それに人だって。僕の抗議なんて少しも聞いてない、高石は満面の笑み。呆然と立ち尽くしてると、差し出される手。その手に触れたら、もう何だかいろんな事がどうでも良くなった。 「ボク見た目がこうで良かったって、今ほど思った事ないよ」 へぇと見つめると、高石は肩をすくめる。 「外人は、挨拶代わりにキスしてても怪しまれないでしょ?」 何だか分かったような分からないような、でも高石がいいっていうなら、まぁそうなんだろう。 切符買って、自動改札機通り抜けて、僕は振り返る。改札挟んで向こうとこっち。近いけど遠いその距離は、手を伸ばせば触れ合えるけど。後ろ髪引かれるみたい、ちょっとの間見つめ合う僕等の周りだけ、時間の流れが変わる。 「また近いうち会おうね」 高石が右手を上げる。つられて僕も中途半端に手を上げて、その行為がなんだか気恥ずかしくて、妙に。 「うん、メールする」 ぎこちない会話、好き同士ってこういう時、どういう風に。良く分からないから、今までのような、そうじゃないようなどっちつかずの。高石が小さく手を振る。僕は高石の方むいたまま2、3歩後ずさる。さよなら、僕は口の中で呟いて、踵を返して走り出す。でないと高石の視線振りほどけないから。階段駆け上ったら、すぐに電車がホームに滑り込んで来た。扉に張り付いて、外を見る。見えるかどうか定かではないけど、僕は必死に下を。マンションの前、見上げる人影、心臓が跳ね上がる。ガラス隔てて、僕らは視線を絡め合う。胸が締め付けられて、僕は苦しくなる。直に、必死に目を凝らしても霞んで。僕は力無く座席に腰を下ろし、そして一人泣いた。辺りはばかる事なく。 何もかも、後ろに飛んで行く。全ての出来事が、今までの時間全てが。僕は取りこぼしてく。どうする事も出来ないもどかしさに胸掻き毟られる。そしてしまいには、その想いさえ薄れていくのをただ……。 end / Back |