火星の夕焼け





ボクは窓辺にたたずんでる一乗寺くんを見てる。もう日が落ちる。ビルの谷間に沈む夕日が、空を紅に染め上げる。窓の外を見ていた一乗寺くんが振り返る。赤い光線に炙られて、一乗寺くんの表情はボクには分からない。ボクは眩しさに目を細める。教室の中にはボクたち二人しか居ないのに、ふと息苦しさを覚える。

「まだ帰らない?」

声を掛けても返事は無い。なんだろう、この感じ。変に胸騒ぎがして落ち着かない。僕の声が聞こえたはずなのに、一乗寺くんは再び窓の外を飽かず眺めてる。今日は早く帰って部屋の方付けをしなくちゃいけないんだ。なんでかっていうと、お兄ちゃんからお下がりで貰ったばかりの腕時計、こないだから部屋の中で行方不明になっちゃったから。なのに、ボクはこうして律儀に彼のことを待っているんだ。



いくらボクがお人よしだからって、存在無視されてでもいる様にここまで知らん振りされていたら、気分がよくないってんで帰っちゃってもいいだろうけど。残念ながら、ボクはただお人よしだとか暇だからとか、そういう理由でここに居るわけじゃないんだ。ボクは特別な感情を持って、あるいは何か期待するものがあってここでこうして飽かず待っている。白い横顔に夕日が照り返していて、ボクはそれに見惚れている。恥を忍んで告白すれば、ボクにとってこうしているのは至福の一時なんだ。感情の読めない端正な横顔。いつまでも見つめていても、今だけは誰にも咎められないから。

「ねぇ……高石は火星の夕焼けって見たことあるかい?」
「えっ?」

やっと口をきいてくれたと思ったら。いつだって彼はボクに対しては、こういう物言いをしてくる。まあ、お前何言ってんのってそれきり遮られちゃう誰かさんには、こういう事言いたくても言えないんだろうけど。

「地球では夕焼けは赤いって常識だけど、火星の夕焼けは赤くないんだよ」
「青いんだったっけ?」

ボクが言うと一乗寺くんは意外そうな顔をする。

「君ほどじゃないけど、ボクも天体少年だったんでね」
「違うよ……僕はそんなんじゃない」

一乗寺くんが近付いてくる。ボクの目を真っ直ぐに見つめながら。ボクはこの黒い瞳が揺らいでいるのに弱い。ひやりとした感触。驚くほど冷たい掌がボクの手首を掴んで次の瞬間引き寄せられた。

「行こうよ高石。僕と一緒に」
「どこへ?」

言葉が途切れた。



夕日の残光溢れる部屋。結局ボクはこうして付いて来てしまったわけなんだけど。誰も居ない静まり返った家の中、真っ直ぐ部屋に連れて来られたところで、繋いでいた手が離れる。そこで漸くボクは、今の今までずうっと手を繋ぎっぱなしだった事に気付いた。分かってる、意識してるのはボクだけなんだ。一乗寺くんは部屋のカーテンを引く。すると一瞬で、周囲の景色が変わる。青い光がボク等の回りを包み込む。これは幻?付けっぱなしのパソコンのモニターが映し出すここではないどこか。視界を遮る物が何もない世界。赤い土が果てもなく続く平原。

「夕日が……もうすぐ沈むよ」
「もうすぐ?」

実際の赤い夕日は、もう既に沈んでしまっていた。カーテンをぎゅうっと掴んだままで、一乗寺くんがボクを振り返る。ボクは急に喉の渇きを覚えた。いつにも増して不可解な彼の行動。
青い光で満たされた部屋の中で、ボク等は存在の不確かさに向き合うことになる。

「これはね……火星探査車 が送ってきた画像なんだって。 夕焼けが青いのは、火星の大気に含まれる塵が、赤い光が届くのを邪魔するためで―――」

ボクが一乗寺くんの肩を掴んだせいで、彼は口を噤む。ボクをここに連れてきた事にどんな意図があるのかなんて、もうどうだっていい。一乗寺くんの身体を、ボクは細心の注意を払ってそっと抱きしめた。しばらくそうして抱きしめていたら、強張る身体から徐々に力が抜ける。一乗寺くんとボクの身長はほぼ同じ。だから、抱き合うとボクの頬にはちょうど彼の髪があたる。さらさらと真っ直ぐな髪の毛を掻き分け耳に辿り着いて、ボクは薄い耳たぶに口付けた。そうしたら、腕の中に抱きとめている身体は小さく震える。本当は嫌だよね?ボクの事苦手だと思ってるんでしょ?たくさんの思いを封じ込めて、たった一言ごめんねって囁いた。どこか危うさを秘めた一乗寺くんの言動、ボクは薄っすらとその原因に思い当たっていたから。このところ閉じられっぱなしのゲート、多忙を極めている親友、生活の匂いのしない家の中。不安定なこんな時に、ボクは付け入るみたいなそんなずるをする。でもきっと、どうしようもなくなって最後に思い浮かんだのが高石岳だったんじゃないかな……なんて都合のいい解釈を出来るくらいには、ボクはうぬぼれてもいた。好きなようにさせてくれる彼に甘えて、ボクはそっと触れるだけの口付けをした。なんとなく気恥ずかしくてすぐに唇を離して、でも名残惜しむようにボクは一乗寺くんの頬や鼻の頭にキスし頬擦りをする。

「祖母には僕が分からなくなったみたいだ」

しばらく黙ったままでいた一乗寺くんは、ボクに凭れて呟くようにそう言った。ボクは宥めるように、背中を撫でてあげる。

「確かずっと入院してるって言ってたよね?」
「……僕の事、治って呼ぶんだ」

そう言ったきり瞼を閉じる。瞼の皮膚が薄くて血管が透けて見えた。青く走る軌跡、その繊細さになんだかドキッとする。

「そっか」
「もう長くないんだって。……人は死んだらどこへ行くのかな」

これは、ボクにだって答えられない。デジモンは死んだらデジタマに戻って、再び始まりの町で産声を上げる。では人間は?生まれ変わりがあるのなら、きっと魂は再び蘇ってくるのだろうけど。前世の記憶を持たない魂は、果たして個の特定が可能なのだろうか?そんな事をぐるぐると考えて、なかなか答えないでいたら、一乗寺くんはボクをまっすぐに見据えて僅かに微笑んだ……ように見えた。

「いつもみたいにシニカルに即答してくれないか?」

求められているものが何なのか思い当たり、ボクの頭には一気に血が上った。こうして会話してるのなんて、ただの言葉遊び。どんな答えが返ってくるかなんて期待されちゃいないんでしょ?激情に任せて細い身体をきつく抱き締めた。なだれ込むようにベッドの上に組み敷く。

「高石!」
「人はね、死んでもどこにも行かない。生き残った人の記憶の中に宿るんだ」

近付きすぎたせいで、大きく見開いた瞳の中にやばいくらい焦ってるボクの顔が映りこむ。ほら答えてあげたよ。ボクの答えはお気に召したかな?揺らめく視線。言葉を慎重に選んでいるんだろう、ゆっくりと喉のところが上下してる。

「僕は……僕だったら。出来るなら、火星の青い大気に溶けこんでしまいたい。太陽の輝きを受け止めて、どこまでも青く青く広がりながら」

どこか遠くを見つめる視線。いかにも君の言いそうな事だよね。一乗寺くんはきっと思い出しているはず。デジタルワールドの大気となり意思となり、再生の手助けをすることを以って生涯を終えたあの人の事を。……でも、なんで火星?

「火星じゃちょっと遠すぎるから、とりあえずこの部屋で妥協してみない?」

青いカーテンを通してボク等を照らす光は、今はもう僅かな残光を残すばかり。密着した身体、体温が上がる。ボクは、いつのまにか君を好きになっていたんだから。たまに垣間見える訳の分からなさ、ボクを突き放す素っ気無さも何もかも。ボク等は口付けを交わして、お互いの名前を何度も呼び合った。気が付けば、ボクの腕の中、青い光に包まれて一乗寺くんは柔らかく穏やかに溶けていた。



END

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