New world 1 夏が終わる。ボクにとって特別な夏が。一人思い悩んで、堂々巡りして、結局は心の奥深くしまいこんでおくつもりだったのに。偶然がもたらした何万分の一かの確率で、ボクは君を見つけた。去って行く君の後ろ姿が鮮烈な印象を残し、ボクを今も悩ませる。君に会いたい。君のあえかな息使い、髪が揺れる度に香る匂い。君に触れる以前よりも、想うだけでボクは苦しくなる。会いたくて何度も受話器を上げたけど、どうしてもその先に進めなかった。そして、君がボクを思うより、ボクの君への思いの方がどれだけ大きいかを思い知る。 二学期が始まって最初の休み、集まったいつものメンバーの中、君の姿を盗み見る。少し日に焼けたみたい、ボクに気付いて君は軽く会釈する。大輔くんが当たり前のように君の隣に。また背が伸びたんじゃないかって言って、君の頭に触れる。その自然な仕草に、ボクは息が詰まる。いつからボクは、こんなに分かりやすくなったんだろう。君が笑う。大輔くんに向けられたその笑顔。ボクの胸の中に暗くて重い澱が、どんどん降り積もってゆく。しまいにボクは、どこからどう見ても挙動不審、さすがにみんなに気付かれて詰問の嵐に晒される。 「あーっ!もう何でもないってば」 大声出してから、しまったって思う。君の方見て、一瞬のうちに後悔。全員引いちゃってボクを見てる中で、君だけそっと視線を逸らせた。胸が痛い。こんなふうに見えない傷が痛むのを、ボクは経験済みだったけど。二度と浮上出来ないと思う、でもボクは一分の隙もない笑顔で。 「更年期障害なんだ、お先に失礼するね」 全然冴えないギャグ、一生の汚点だよ、でも一刻も早くこの場を立ち去りたかった。余計に不審がる声なんか無視。ヒカリちゃんがお大事にねって言う声音、言葉とは裏腹な、少しも案じてない真っ直ぐな視線。怖い、何かが怖いのかそれとも自分のみっともなさが痛いのか、良くわからないまま。ボクは闇雲に走って、人に思いきり体当たりなんかしちゃいながら。見慣れたルート、最短距離で自分の部屋に駆け戻る。ベッドにダイビング、ついでに大声で泣いてしまえればいいのに。ここで君が涙こぼすのを見た。しがみついて、ぼーっと煙る目でボクを見上げた。まるで現実の事とは思えない。思いに沈んで居ると唐突にDターミナルの、妙に脳天気な着信音。慌てて開いて、発信者名を見てドキンとなる。一番会いたくて、でも怖くて会えない君。 そして今ボクの目の前に座ってかしこまっているのは、会いたくてたまらなかった一乗寺。 「具合悪くなったのか?」 たどたどしく君は言葉を選ぶ。 「ううん」 ボクも同じように慎重に。 「今日は、高石に会えて嬉しかったんだ」 「そう?意外だな。あのさ……。君、ボクを避けてたでしょ」 慌てて君は、言いにくそうに言葉をつなぐ。 「避けてなんか」 「嘘!ずっとボクの方見なかった」 「だって……」 言葉に詰まって俯いてしまった君、赤く染まった頬が艶やかな髪の隙間から覗く。 「まだ解散した訳じゃないんでしょ。何て言って抜けて来たの?」 「用事を思いだしたって言って」 所詮真面目な君が思いつくいい訳なんて、そんなものか。絶対怪しまれてるよ、でもボクはそんな事はどうでもいいんだ。君がボクを追いかけて来てくれた。会えない寂しさも君のつれなさも全て帳消しになるくらい、ボクは有頂天になる。今すぐ君に触れたい、その頬を撫で回したい。柔らかい君の肉に包まれたい。 「ボクがどんなに君に会いたかったかわかる?」 はっとして顔を上げる君、揺れる眼差し。それを見てたら、涙さえこぼれそう、長い沈黙がボクを苛む。ほんとに、思いの強さはどうしてこれ程。抱き寄せようと腕を伸ばすと、体が逃げる。一瞬の戸惑い。にじりよって、端に追いつめると、弾かれたように立ち上がる。後を追ってボクも立って、君を腕の中に囲ってしまう。そわそわと落ち着かない様子、ちょっと不審に思いながらも、唇を寄せると、君は両腕でボクを押し退けようと。 「なんで?」 自分でも抑揚の無い冷淡な声に驚く。全然余裕ないじゃない。 「嫌?」 逃げる視線、無理矢理顎を固定して目の中を覗き込むと、本気の抵抗が見て取れた。何でこんなに傷つくんだろう。なんで君は、ボクを絶望の淵に追いやるんだろう。焦れてたまらなくて、無理矢理に唇を重ねたら、体を捩って逃げようとする。力が抜けたボクは押された弾みで、簡単に床に膝をついてしまう。 「どうしてなんだよ」 絞り出す声、あまりにも惨めすぎる。そろそろとボクの肩に、君は手を触れる。ボクの名を呼ぶ小さな声に酔いしれる。 「実はあの後……、僕は熱が出て」 ボクは次の言葉を待つ。あの後。華火大会の日の事、言ってるんだろうけど。 「両親が必要以上に心配してしまって、熱が下がってもしばらく外出が許されなくて」 だから?連絡を入れなかった理由がそれなの?メールも出来ない程の。ボクが黙ってると一乗寺が譲舌になる。 「空気が綺麗な場所に避暑にいきましょうって事になって」 それでボクの事忘れたんだ。 「そうか。じゃ仕方ないよね」 両親に心配掛けたくない君は、毒にも薬にもならないような生温い環境で、これからの一生を過ごす。スポイルされた人生。君がそれでいいのなら。 「心配してくれてありがと。ボクもうなんともないし、駅まで送って行こうか?」 「えっ?」 君がそんな顔するなんて。ああもう……。ボクの決意なんて簡単に吹き飛んでしまう。せめて最後にキスだけ。だって君は、ほんとはキスが大好きなんだ。 「ね、キスだけ」 ボクの指から逃げない、ほっそりと締まった顎のライン。形のいい唇、軽く開かせて、口づける。そのままぎゅっと抱きしめる。ボクの手が、華奢な肩胛骨に触れる。キスが好きな君は抵抗しない。君を好きなボクは、このまま時間が止まってしまえばいいのにと思う。そうすれば最も薄い皮膚を通して、僕らはお互いを近くに感じる事が出来る。舌を差し入れるとたどたどしく絡めてくる。小さくて柔らかい、滑らかな舌で。ずうんと突き上げてくる、理性を吹き飛ばす快感。こんなキスしちゃって、キスだけで終わる訳はない。いつまでも溺れていたい君は、離れる唇をあきらめきれない。ボクの手が背中を這い回るのを、自由にさせてくれる。腰に手を滑らせるとようやくボクの目を見る。 「駄目だ、高石」 「まだそんな事言ってるの!」 君の望むもの、ボクは君に惜しみなく与えてあげるのに。床の上に引き倒し、手首を押さえつける。ボクの脚の下、君の暴れる体。無意識に上げた手に、君の体が竦むのをいい気味だなんて。大丈夫、ぶったりなんてしないから。 「溺れちゃえばいいんだよ」 はやる手で君の服を乱暴に取り去る。 「駄目なんだ。止めてくれ、高石」 駄目駄目って君はいったい何を怖がってるのか。ボクらはお互いを確かめあって、あれほどの一体感を感じたというのに。 「そんなにボクが嫌い?」 君は頭を振る。 「じゃあ問題ないじゃない」 シャツのボタンを手早く外して行く。仄白い肌に胸の奥で暗い情念が沸き上がる。例え抵抗されたって、ボクは止められないだろう。乳首を挟んで、いくつかの小さなひきつれた跡、以前ボクがつけた印が完全に直りきらずに残ってる。無意識にそこに触れる。 「触るな」 その声に驚いて視線を上に戻す。横に背けた顔、何かを耐えるように激しく上下する胸板。小さな傷跡、ようやくボクは合点がいく。 「まさかこれ……」 母親だったら子供の様子がおかしいって気付くのは、当然といえば当然。 「ばれたんだ?」 深刻に聞こえないように言うと、君は傷ついた表情をする。 「何て言い訳したの?友達としちゃったって?」 親としては深刻な事態だったろうな。大人しい息子がいつのまにか性非行。ゆっくり君は半身を起こす。大きく息を吐いて段々と平静を取り戻した君が妙に大人びて見える。 「母は何も言わなかったよ。ただ」 ずっと見つめてるだけ。同い年の子供達と比べるといやに悟りきった自分の子供を。 |