雨の降る場所



『僕達の身内にパートナーデジモンが突如出現したわけ』

今回の集まりのテーマはこれ。光子郎さんは、神妙な顔付きでその場に居るメンバーをざっと見渡す。

「ということで、やはりこの問題は、デジタルワールドでの何らかの不具合が原因、であるからして……」

新旧の選ばれし子供達。一同に集められたPCルーム。ボクはさりげなくみんなの顔を伺った。誰もが言葉も無く俯いてたり、どこかあらぬ方を見ていたり。

「そういう訳で、長期戦を覚悟の上で、根本的な原因を突き止めると言うことにして……一時的に全てのパートナーデジモンたちにはデジタルワールドにて待機してもらう事になりました」

異存がないのを確認するように光子郎さんはボク達の顔を見回す。一体ボク達ににどんな反論が出来るだろう?ことさら硬い表情を作って、ボクはただ黙って頷いた。




事の始まりはこの春。丈さんのお兄さん、大輔くんのお姉さんに、突然パートナーデジモンが現われた。いくら事情を知る身内とはいえ、流石に今回の事態に混乱を極めて、ボク等には緊急に収集がかけられた。そして、どうやらパートナーデジモンが現われたのは、どうやらその二人だけでは無かった事が判明した。そして冒頭のやりとり。今の今まで、パタモンとしばらく離れることになろうとは、ボクは全く予想だにしていなかった。ほんの少しだけ、不安そうな面持ち。それでも振り向きざまに笑顔を残して、ボクのパートナーは光に呑みこまれていった。胸の奥、ちくりと残る痛み。そうして送り出したボク達全員に、なんとか取り繕ってるのに見え隠れしてしまう、傷ついたような表情が見て取れる。




皆いつもより無口になって足取り重く、帰途につくために昇降口に降り立ったら、あいにく雨が降っていた。雨は勢いを増すばかり。ボク達は一瞬躊躇して、せーので雨の中に一気に駆け出した。止むのを待つより走った方がいいと判断したからだったのだけど、すぐにそれは間違いだと気付いた。気付いた時には遅かった。すぐに服はずぶぬれになって、ぴったりと肌に張り付き、脚を鈍らせる。

「もうっ、帰ったらすぐにお風呂だわ〜!!」
「じゃあね、気をつけて」
「じゃ、気をつけてな!!」

途中で別れていって、集団は徐々に数を減らしてく。駅までもう少し。ボクは、帽子を隣を走るずぶ濡れの頭に被せた。帽子だって濡れてる。でもないよりマシかな…って。髪の毛がびっしょりで、頬に貼りついてるのがあんまり気になったから。ちょっと考えると気障だったかなって思ったけど、一乗寺くんは何にも言わずに被ったままで居てくれた。その一乗寺くんとも駅で別れて、マンションへ向かう。もう走ったって濡れるのは変わらない。だから、雨に煙って見えるマンションの手前、ボクはゆっくり歩いて行く。そしたら、突然肘を引かれて驚いた。一乗寺くんだった。もう片方の手に帽子を持って。髪はさっきよりも濡れて、毛先からは雫が垂れていた。

「これ、うっかり忘れるところだったよ」

そう言って、帽子を差し出す。いいのにそれは……。君の生真面目さにボクは一瞬呆れて、肩を竦めてみせた。いや、帽子を返しておこうと思ったのは、本当は生真面目なんかじゃなくて……。一瞬そんな考えが脳裏をよぎったけど。

「あーあ。なんか……君と居るといっつも雨が降る」
「え?」
「傘、貸すから。おいでよ」

立ち尽くすボク等の足元、エントランスの床に小さな水溜りが広がっていく。滑らないように気をつけて。慎重に歩いてエレベータに向かう。ボク等は、透明な軌跡を残しながら移動する。ボクの目印はこれだよ、辿っておいで。決して迷わずに。そしてボク等は滑らずに迷わずに、無事に目的地に辿りついた。ボクが家の中に上がって行くのを見送りながら、君は玄関に佇んだままで足元の水溜りを大きくしていってる。ボクはすぐに引返して、一乗寺くんにバスタオルを投げた。受けとって髪を拭う君。

「着替えも貸すよ。君、ゆりかもめの冷房できっと風邪ひくから」

一瞬考えて、君は頷いた。そして止まってた手の動きを再開させながら、考え考え物を言う。

「前もこんな事あったね」

覚えていてくれた。駅前に住んでて良かったって、こんなに強く思ったことはないよ。廊下に残る足跡を気にする君の手を引いて。濡れた髪から香る、ふわりとした芳香。あの時とシャンプーが変わった。相変わらず細い手首。息苦しさに眩 暈が起きる。気づかれないように、ボクは細く息を漏らす。濡れた服の置き場所にちょっと困りながら、君は手早く服を着替える。ボクも服を取りかえる振りをしながら、そっと視界の端で君を盗み見る。途端に溢れ出てくる、言葉にならない思い。



帰らないで、ここに居て。行かないで、側に居て。ボクは必死に言葉を飲み込んで、飲み込み過ぎた言葉が喉を塞いで、一言も喋れなくなる。

「タケルくん?」

背後で、少し枯れた声を聞く。ぎゅううんって音立てて、頭の中で血が回る。そしたら、訳がわからなくなった。すっかり濡れた服が冷たい。ボクは、暗い部屋で一人なんだ。一人で、服を着替えて、お腹を満たして、そして一人寝る。出掛ける直前まで、パタモンがおもちゃを散らかしてたこの部屋で。

「帰っちゃいやだ」

無意識に漏れた自分の声に吃驚して、思わず口元を押さえたけど、もはや遅し。言葉は君に届いてしまった。

「雷……怖いんだろ」

軽い含み笑いとともに君は言う。怖くないわけないじゃないか。君だって平気じゃない筈。ボクにはわかる。だって掴んだ手首は、さっきから微かに震えていたから。本当のひとりぼっちを知ってるなら、その後に訪れた平安を再び失った怖さを、平気で受け入れられる訳ないじゃないか。今までみたいに、帰って来るのが当たり前なんて、そんなの誰にもわからない。ボクが望んだ訳じゃないのに。

「またすぐに会えるよ」

そっと肩に置かれた手の重みに、ボクは不覚にも。本当に弱気になっていたんだ。だって、床の上の食べこぼし、帰ったら絶対に綺麗にするからって約束して。ねえ、怒られるのはいつもボクなんだからね、わかってる?甘ったるく反論してくる声、今は聞こえるわけないのに。ボクは思わず漏れそうになる嗚咽を抑えながら、肩を震わせていた。肩に置かれた手に、徐々に力が入ってきていたけど、ボクは気付かない振りで、自分の煩いごとで頭をいっぱいにして、床の模様ばっかり見つめてた。





どのくらいそうしてただろう。雷が轟いて、暗い部屋のなかを光が走って行く。 そして、ボクは一乗寺くんの表情が微かに歪んでいる事に、ようやく気付いた。










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