雨の降る場所 8 ただ見てるだけのボク達とは対照的に、新しいメンバーはめまぐるしく動き、大輔くんのお姉さんは怯える小さな子を宥めて、背中の傷跡を消毒していた。張りのある良く通る声で、泣くのを堪える子供を元気付けながら。適材適所って言葉があるけど、こうしてみると案外……。大輔くんはただぽかんと、その様子を見ているだけだったけど。ボク等と同じく置いていかれた状態の少年が、ゲンナイさんに食って掛かった。微笑んでゲンナイさんはその少年の肩に手を置いた。 「心細い思いをさせたね。もう大丈夫だよ」 「俺たちは自分たちだけでやっていけるさ!」 「そうだろうね、君たちは強い。ただ、私たちにも手助けさせて欲しい」 それでもう項垂れるしかない少年は、あとは新しいメンバーが自分たちのテリトリーに入るのをただ黙ってやり過ごしていた。放心したような横顔。丈さんのお兄さん、シュウさんがボク等の所まで近づいてきてにこやかな笑顔を向ける。大輔くんはふてくされたような声を出す。見知った信頼できる存在に、少し気を取り直したみたいだ。 「姉貴もシュウさんも……人が悪いっすよー!こういう事情だってんなら、もっと早く―――」 「僕達も、実際どうしたらいいのか最初から理解してたわけじゃないんだよ」 そして丈先輩の面影を宿す困り顔で微笑む。そうしながらも、手元のファイルに子供たちの状態を書き込んでいる。完全に蚊帳の外……みたいな気分でボクは呟いた。 「じゃ今回ボク等は完全に無駄足……だったのかな?」 「ゲートを閉じておいたにもかかわらず、森の奥の異変に気付いたワームモンが、こちらの予想してたよりも迅速に君たちを呼び寄せてしまったのだけれど」 それを聞いた一乗寺くんの肩が軽く揺れるのを、ボクは見た。いったん言葉を切りぐるりと辺りを見回して、ゲンナイさんは続ける。 「幼年期のままのパートナーデジモンと子供たちだけでは、この森は少し危険だったかもしれないからね」 「じゃあ俺達は、姉貴やシュウさんたちが来るまでの繋ぎ……みたいなもんか?」 「あの子たちに接するのには、君たちには荷が重過ぎる。かといって完全な大人では駄目だ。この子達自身が余りに萎縮しているために、パートナーデジモンも育ちきれていない状態だった。デジタルワールドの事情を少なからず分かっていて、なおかつこうやって迅速にヘルプできる人材が必要だったんだよ」 その後のゲンナイさんの説明で、立て篭ってた子供たちはしばらくデジタルワールドの町で体力気力の整うのを待ち、成長したパートナーデジモンとともにリアルワールドに帰されることになるとの事だった。そののち城戸家の長兄シンさんの診断書を携えて、それぞれ施設に行くなどの措置が取られるとも。それを聞きつけた小さな子の一人は、帰りたくないと言って泣いた。ママが怖いと震えながら搾り出す声。どうなのかな?安全が保障された状態でデジタルワールドで暮らせるようにという選択肢は、この子たちには残されていないんだろうか。 「酷な事言うようだけど、いつかは一人立ちして生きていかなきゃならないんだから、現実から逃げてちゃ駄目なんじゃない?」 ジュンさんは、さらりと言ってのけた。この子たちもいつまでも子供のままじゃ居られない。いつかは大人になって、社会に出て行って……という将来を考えれば、辛い現実から目を逸らしていては駄目なんだろう。分かりすぎるくらい分かりやすい理屈だけど。辛い目にあっている子供たちは、実は潜在的にもっと多くて、デジタルワールドに来れたこの子供たちは、まだ幸運な方だということだった。デジタルワールドはこういった子供たちに、この先どんな夢を見せてくれるんだろう。どこかにある筈の、安全な居場所。見つけられないまま大人になるか、あるいは大人になれないで死んでしまう子供たちに、夢と希望の一杯詰まったこの世界は何を約束してくれるだろう。 何だかうらぶれたような気分を抱えて、ボクと一乗寺くんと大輔くんは森の入り口まで歩いてきていた。完全に日が暮れて、夜の森は微かな音も響き渡るようだ。風が木々の梢を揺らし、時折僕らはびくっと体を竦ませた。誰も一言も喋らなかった。ボクの腕の中でパタモンは丸くなったままだったし、ブイモン、ワームモンも足取りが重い。リアルワールドとの中継地点、モニターの前で3人と3匹は暫く立ち尽くしていた。 「あの子供たち……あれでよかったんだよな?」 「僕達にはもうどうすることも出来ないよ」 「せめて帰るまでに、楽しい思い出たくさん作れるといいよね」 リアルワールドに帰るときに、パートナーデジモンとともにこのゲートをくぐれるのなら、いくらか気持ちの上で救いになるんじゃないだろうか?自分の家に帰ってなお、命の危険を感じるなんて経験はボクには無かったけれど。そうこうしてるうちに、久しぶりの懐かしいこの世界から、ボク等は帰らなければならない時間が来たらしい。夜半を過ぎて、風はそよとも動かない。 「賢ちゃん、離れていてもずっと賢ちゃんの事想ってるよ」 「すぐにまた行き来が自由になるサ!!」 「そうだよねーぇ、そしたらまたお菓子たくさん買ってね、タケリュ!」 お互いのパートナーとの、名残惜しい別れの儀式。パタモンの柔らかいお腹に顔を埋めたら、ほわほわした柔毛がくすぐったい。お日様のような匂い。そのまま思い切り息を吸い込んで、これで暫くは感触を忘れないでいられるよ。顔を上げたら、お互いを小突きあって笑ってる大輔くんとブイモン。大輔くんは最後にブイモンの丸い頭をぐりぐりと撫でて、鼻の下を擦ってにかっと笑う。湿っぽさはまるで感じさせない潔さ。一乗寺くんとワームモンはといえば……。仕方ないよね、彼らは特別。ワームモンの涙交じりの声に、一乗寺くんもつられて泣いてしまってる。短い言葉のやり取りが暫く続いて、とうとう大輔くんが終わりを促す。ちゃんと分かってる、名残惜しいのはみんな一緒だよ。これ以上長引いたら、泣かない決心が鈍っちゃうんでしょ。伸ばした腕の先をモニターに向ける。いつもボク等を温かく迎えてくれるこの世界に、暫しのお別れを。 まばゆい光の中で霞んでいくパートナーを、ボクはずっと見ていた。最後には輪郭さえぼやけて、その微笑みだけその感触だけが残って、ボクは網膜にそれをしっかりと焼き付けた。次の瞬間、3人ともどもボクの部屋の床に投げ出されていた。レースのカーテンの向こうでは、夜が白々と明け始めていて、体の芯に残る気だるさを一段と明確に知らしめる。ボク達は黙って身を起こして、そのまま床に座ってみたりした。相変わらず誰も口をきかないから落ち着かない気分も相変わらずで、大輔くんはとうとうボクの部屋のベッドに潜り込んだ。 「俺、少し寝る!起きたら光子郎さんとこ行って、事情説明してそんで……そのあとぱーっと遊ぼうぜ!」 怒ったようなぶっきらぼうな言い方は、多分自分でも気持ち持て余してるからなんだろうけど。ボクは、いつもより少し大袈裟に声を張り上げる。掛け布団に潜り込んだ塊を揺さぶりながら。 「ベッド一つしかないのに!!ボクだって一乗寺くんだって疲れてるんだよ?!」 「大輔がそういう気の回し方しないの良く分かってるだろ、僕たち」 それもそうだねって、顔見合わせて笑った。一乗寺くんを追ってデジタルワールドへ行ってからこっち、暫くぶりに見る笑顔のような気がした。 「客用布団持ってこようか……」 「手伝うよ」 だるい体を奮い立たせて、和室の押入れから布団を下ろした。枕を一乗寺くんに手渡した瞬間、ちょっと意地悪な気持ちが沸き起こる。どうしてそういう気持ちになったのかと言えば。きっとものすごく疲れていたんだろう……と思う。 「布団は一組しかないんだ。一緒に寝る?」 一乗寺くんは一瞬あっけに取られたような表情ののち、ふんって鼻で笑って、さっきの泣き顔はどこへ行ったのやら。 「君が大輔と一緒に寝ればいいよ」 「えぇ?!」 次の瞬間、ひんやりした両手で頬を包まれた。額がぶつかる。触れ合う寸前で囁かれる、良く聞き取れないような小さな声。 「君が来てくれてすごく嬉しかったんだよ」 ボクは目の前の体を力の限り抱きしめた。そうするしかないと思ったんだ。愛しくて、やるせなくて、それこそ涙が堰を切ったように溢れてきて。もうどうしようもなかった。今まで感情をコントロールするのがこんなに難しいなんて、思ったこともなかった。それきり後のことは覚えていなかった。そのままボクは眠ってしまったらしい。遠く近く、声が聞こえる。 『僕は、僕たちは新しい世界を手に入れる。そして僕たちは生き延びるんだ』 |