ブリア・サヴァランかく語りき 9 それからしばらく経った土曜日の午後。僕は鶏肉アレルギーを名乗る人物と、地元のファーストフード店で向かい合って座っていた。 「アレルギーなら他のを頼めばいいじゃないか」 「キャベツが食べたかったんだよね」 「不自然だ」 「牛丼屋でつゆだくとかが許されるんだからさぁ。みんなもっと自由に頼めばいいのに」 「君のはふざけてるだけだろ」 それに、君はこの手の店は禁止されてるんじゃ、という言葉が喉迄出かかって、ぱさぱさしたハンバーガーがうまく飲み込めない。何度かのメールのやり取りの後、会おうかという話になった時から予想はしていた。何度か会って、彼の要望通りに展覧会やイベントに行ったりもして、まあ確かにこういった場所に本宮を引っ張り出しても気の毒なだけだろう。ヒカリさんなら喜ぶんじゃ、と提案してみたが、余計な物まで見るんだ、ヒカリちゃんは、というよくわからない理由で却下された。そして立ち寄るのは禁止されている筈の店だ。懐具合から言っても自然な行動の筈なのだが、どうも居心地が悪い。実の所はどうなんだろう。味覚の異常についても少し調べてみたりもしたが、なんだか要領を得ない。楽しそうに店員をからかう高石君を見てると、よっぽど好きなんだなあ、と、なんだか気の毒にすらなってくる。皆の気遣いをふいにはしたくないけれど、もし精神的なものならどこかでガスを抜くのもいいんじゃないかという結論に至ったのは、こうして誘ってくる所を見るとやはり彼にとって僕は、部外者な分気が楽であるのだろうし、僕としても頼られているようで少なからず気分がよかったからだ。肉まんの借りを返すいい機会でもあるし、というのは冗談だとしても。 「なんで皆食べ物の事をうるさく言うんだろうね」 僕の勝手な気苦労を知ってか知らずか、高石君が盛大なため息を吐いた。 「それは。生命活動の基本だからだろ」 「そんなの、四年前で骨身に染み通ってるよ。そりゃ、ひどかったんだから」 「ああ、何ヵ月も、だっけ」 「お陰でみんな意地汚くなっちゃってさ〜。お兄ちゃんはああだし、丈さんは普段から避難袋を持ち歩くようになっちゃって、ミミさんはツナマヨ見て泣いちゃうし、空さんは彼氏より食い気だしで」 キャベツだけのチキン○ツタを頬張りながら列挙していく。 「高石はどうなんだ?」 「ボク?ボクはこれ。」 歯形のついたバンズを振って見せる。 「東京にもどってさ、電車賃犠牲にして初めて食べたのがハンバーガーだったんだよね。もう夢じゃないかって位美味しかった」 「・・そういう事情があったのか」 僕は思わず声に出して言ってしまい。 「・・何の事?」 高石君の目が少し細くなる。 「た・高石がハンバーガー好きな理由さ」 「ふぅん」 音を立てて飲み物を啜ると、高石が言った。 「一乗寺はそんなに好きでもないんでしょ?」 「そんな事ないよ、僕だって」 「ウソ」 「嘘って・・」 僕は言葉に詰まる。確かに特に好きという訳でもないけれど、他の物だって似たようなものだ。 「注文の仕方が適当だもん」 「君の方がよっぽど・・」 ふざけてるじゃないか、と叫びそうになって、あれは彼なりにお兄さん達の指示に従っているのかもと思い直す。 「別にボクに付き合ってくれなくてもいいんだよ、牛丼屋とかもある訳だし」 それだってジャンクじゃないか。友達付き合いって本当に難しい。 「それとも」 コト、と紙コップを置いて顎の下で指を組み合わせて人懐こい笑みを浮かべる。 「同情してくれてるのかなぁ、ボクに」 「何の事・・」 自分の顔が引きつっているであろう事を意識しながら僕もなんとか笑い返す。 「お兄ちゃん?太一さん?ヒカリちゃん?そんな筈ないよね、大輔くんでしょ」 畳み掛けるように追求されて僕は頷くしかなく。 「全くもう。人を病人にしてまで世話焼きたいかなぁ、あの人達は」 「そんな事ないよ、皆心配して」 「なんで一乗寺にまで言うかな」 頬杖をついてソッポ向いて。怒らせた?僕の要らない気遣いで。 「それはその。僕も似たようなものだから」 「似たような?」 高石君の表情はわからない。僕が俯いているから当たり前なんだろうけど。 「君みたいに、味の区別がつかないんじゃないけど」 「何食べても特に美味しいとは思わない?」 「うん、まあ」 はあ、と高石君がため息をつく。 「あのね、そういうのって人それぞれでしょ?味覚が鋭いのって確かに一種の才能かもしれないけど」 「そういう問題じゃないだろ、皆が心配してるのは」 「それって子供の生活習慣病とかでしょ。目玉焼きにマヨネーズかける頭に血の昇りやすい人と、ラーメンマニアの頭に血の昇りやすい人に言われたくないね」 よくまあここ迄ポンポン言えるもんだと妙な所で感心する。 「それはそうだろうけど。そうじゃなくて」 どうにも歯切れが悪いのはまだ何かあるのだろうと本宮でさえわかるだろう。高石君は僕の視線を捕らえると、笑顔の純度を高めて言った。 「で?」 咄嗟に何も出てこない僕は話さない訳にもいかず。 「これは僕の推測に過ぎないんだ」 「いいよ、言って」 青い目に剣呑な色をちらつかせて高石君が先を促す。 「つまり。結果ではなく、原因を心配してるんじゃないかと」 高石君の口がぽかんと空いて、胡麻のついたパンが押し込まれ。 「はひっははふぁ」 「すまない、その。立ち入った事を」 しばらくもぐもぐと口を動かして、飲み下すと、高石君が言った。 「あのさあ、犬と猫、どっちが賢いと思う?」 「犬と猫?」 「うん、犬と猫」 話題を変えようとしているのだろうか、やはり立ち入るべきじゃなかったと後悔していた僕は、少しほっとすると同時にどこか寂しく感じていたのも事実だったのだけれど。 「犬、かな、一般的には」 「・・その根拠は?」 「根拠?」 「どうして犬の方が賢いと思うわけ」 「それは。ほら、使役犬とか」 「ああ、盲導犬とかね。確かにすごいよね」 「確か、8位までは数も認識できるとか」 「ふうん。でもさ、犬って喋れないじゃない。どうやって認識してるってわかるわけ?」 「だから。テストするんだろ?詳しくは知らないよ」 「なるほどね。どうして猫が犬より劣ってるってわかるのかな」 誘導尋問だ、これは。僕は苛立ちを感じながらも答えを探す。 「劣っているんじゃなく、猫は犬とは違うだけだ」 「同じテストをすればいいんじゃないの?」 「やれるんならやってるだろうけど。不可能だろうな」 「どうして?」 「猫は。多分、言う事を聞かない」 「あはは、ボール取ってこい、なんて言ってもアクビしてるだろうね」 こっちは笑うどころじゃない。狐ならぬ犬と猫につままれた気分だ。 「高石、一体何が言いたいんだ?」 「テストで何でもわかると思ったら大間違いって事」 澄ました顔で、試験は続行と言いたげに。僕は足すべき1と1をこれ迄の会話の中から探す。キーワードは・・テスト。 「・・君は。わざとだったのか?」 「インスタントなんてやってられっか、なんて言いながら、必死でがんばってたね、大輔くん」 高石君は至極満足気に言った。 「どうして本当の事を・・」 「どうしてって。ボクだって知らなかったよ、一乗寺に知れ渡るまでの騒ぎになってるなんて」 高石君の言葉にちくりと胸が痛む。僕はどうやら高石君にとって仲間の中でも極北らしい。当然だ、最初からわかっていた事。 「それにさあ、なんで信じるかなあ?塩ラーメンと味噌ラーメンの区別がつかないなんて」 「その位は。そうだな、僕でもわかるよ」 「ラーメン屋になりたいのはボクじゃないんだからね、どうだっていいじゃない」 高石君は何度目かのため息をついた。僕なら本宮までとはいかなくても、そこそこ頑張ってしまうだろう。高石君の理屈で言えば、僕だって犬なんだろうな。 「でも、君のお兄さんは本当に心配して・・」 「それなんだよね」 「だから、その。君だって肉抜きのハンバーガーなんか食べてた訳だろ?だったらどうして本当の事を・・」 「え?あはは。そういう意味付けになる訳だ。なるほどね」 「笑いごとじゃ・・」 何なんだよ、さっきの話で言えば、彼は自分は計測不能な猫だとでも言うのだろうか。いつも突っ掛かってる本宮だって心配してたっていうのに。 「ゴメン、そんなつもりじゃなかったんだ」 少しも悪いなんて思ってない顔で高石君が言った。 「怒らないでよ」 そのヘラヘラした笑い顔を見ていると、無性に腹が立ってきて。 「君の問題じゃないか。どうして僕が怒らなきゃならないんだ」 高石君は困ったように頭を掻いた。 「う〜ん。悪かったよ、引っ込みがつかなくてさ」 「小説家志望なだけあるよな、さすがだよ」 「一乗寺?」 刷毛で刷いたように高石君から笑顔が消える。前に一度聞いた事があったけど、この事で高石君をからかった事なんてなかったのに。 「あのねえ、ボクがいつ君を騙したのさ?味がわからないからってどこかおかしいとまで思われてたなんて、今日初めてわかったんだからね」 「知ってて皆をからかってたんじゃないか」 声が恨みがましい調子を帯びる。 「笑いを取るつもりだったんだよ、それが皆本気にしちゃって、お兄ちゃんまで引っ張り出してさ」 高石君が早口に弁明する。 「お兄さんに説明すればよかっただろ」 「あの件とは結びつかなかったんだよ、あの人いつもなんだかんだ心配するじゃない。そのうち、コンビニとハンバーガー屋が駄目だなんて言い出してさ。それで思い出したんだ、あの利き味やった日曜の晩にやってたTV」 「TV?」 「『ある○る大辞典』だよ」 本当に何度目だろう、高石君のため息は。 「皆、見てたって訳」 |