ストレッサーズ 2 その日、電話は鳴らなかった。互いのスケジュールを知ってる訳でもなく、大輔くんに聞くほうが早いなんて笑えるんだかどうなんだか。タラタラ学校に行って部活で「爽やかに」汗かいて。それでどうと言う事もなく。忘れていられる、月の裏側の住人ででもあるかのように。律儀に毎日メールや電話のやり取りをしている誰かが僕を呼び止めなければ。大輔くんが彼の名前を発音する。親愛と誇りと照れくささがあんな短い音節にぎゅっと詰まって、聞いてるこっちが恥ずかしいくらいで。 「最近そういえば会ってないなあ。」 「冷てえぞ、お前。」 こともなげに言ってのける。熱心だったらどうだって言うんだろう。一乗寺は大輔くんの親友なわけでしょ? 「賢のやつ、会いたがってたんだぞ。」 「誰に?」 お前だよ、バァカ、と大輔くんが以前ゴーグルがあった場所を掻き毟る。お台場に住むメンバーで彼に頻繁に連絡を入れるのは大輔くんと京さんだ。ヒカリちゃんを入れた四人で、ダブルデートと称してよく出掛けているらしい、というのは大輔くんとヒカリちゃんの双方から話を聞いていて、知っていたけど。 「なあ、伊織も誘ってさあ。」 いいよ、とだけ答えて、足早に。どういう訳だか、大輔くんの口から聞く彼の名前が一番ダメージが大きい。結局昼から何もする気になれなくて、大輔くんと同じ教室にいるのがイヤで。気分が悪いだなんてウソついて保健室で頭の中で彼の名前と肢体を巡らせて。 オレ、金ねえから、の一言で、近場ですませようって事になって、金欠の原因はこの間行ったっていう遊園地のせいだろうな、受験勉強の息抜きだとかって京さんを引っ張り出して。相変わらずだなあ、って。五人、いや、六人?事によっちゃ、二人かもね、いつも一緒だったあの頃に捉われたままの、懐かしの我らが突撃隊長。その後、京さんからヒカリちゃんに「アイツ、〆る!」ってメールが来たって。何があったかは推して知るべしというか。ヒカリちゃんに対する、よそよそしいまでの特別扱いも相変わらずでって所かな。 「京さん、よろしくって。」 席につくなりヒカリちゃんがにっこり笑って言った。大輔くんは咳払いなんかして、伊織くんが何かなだめるように、それから一乗寺に同意を求めて笑いかける。僕の知らない話題、それは別に構わないんだけど。・・まいったな、伊織くんにまでか。一乗寺の表情を見たくなくて、何、どうしたの?なんて大輔くんに。ファーストフード店のぐらぐらする机に突っ伏した大輔くんの頭には例のゴーグル。いい加減に返せばいいのに。ゴムパッチンしてやろうにも、もう伸びきっちゃってて。 「あは、それは。本宮が・・。」 とってつけたように一乗寺が僕に笑いかける。わざとらしいんだよ、一瞬だけ針が振り切れて。 「・・君には聞いてないんだけど?」 しまった、って思った時には遅くて。 「タケルさん?」 目を丸くした伊織くんの向こう側に一乗寺の傷ついた顔を探す。一瞬絡んだ目線で、彼が僕の意図を理解してしまった事を知る。 「こういう事は当事者に聞かなくちゃ、面白くないんじゃない?」 あ〜あ、京さんがいてくれたら。そうか、この場合、京さんも当事者だから。 「何もねえよっ!京がすぐ怒るのはいつもの事じゃねえか。」 ぶすくれた大輔くんの声。 「それは大輔さんにだけですよ。」 「京さん、優しい人じゃないか。」 伊織くんと一乗寺が同時に、それから顔を見合わせて笑う。 「何言ってんだよ。伊織は年下だし、賢にはアイツ、猫被ってやがるんだよ。」 「大輔さんだって年下でしょう。」 「僕、京さんに殴られた事あるんだけどな。」 「うっせえなあ!もう、なんだってんだよぉっ!」 二者同時攻撃に、腕を振り上げて、ついでにハンバーガーの包装紙やなんかを撒き散らしす。大輔さん、本宮、大輔くん、口々に非難の色を滲ませて、それもこれもお約束。 「・・出よっか。」 なんだか耐えられなくって、このお約束の応酬。 「そうね、つい大声になっちゃって迷惑だしね。」 ドリンクを置いて、一呼吸置いてヒカリちゃんが。 それに、ここにいない人の話で盛り上がるのもなんだかね、って、聞き逃してくれなかったな、大輔くんは。 「てめ、タケル!大体お前が・・」 「何?大輔くん。」 目の前で、一乗寺の白くて繊細な指が動いてる。あまり似合わない、でも一乗寺らしい動作、つまり、ゴミをまとめてドリンクの空き容器に詰め込んでるってだけなんだけど。 「オレはお前もちゃんと誘った!」 「え、ダブルデートなんでしょ?お邪魔じゃない。僕一人になっちゃうし。」 「だっ!誰がそんな事言ったよっ」 僕とヒカリちゃんの顔見比べて、大輔くんはあたふたと両手を振り回す。 「大輔くんが。」 「バッ・・カ、アレは言葉のわやだっ!」 「大輔さん、それを言うなら・・。」 「本宮、『言葉の綾』だよ。」 打てば響くように、真面目なふたりが反応する。 「うっせえな、ちゃんと通じてんじゃねえか!なんなんだよ〜、お前等ふたりはよ〜。」 「はは、ゴメン、本宮。つい、ね。」 一乗寺の手が僕の前を横切る。なんてことはない、ただ大輔くんの撒き散らしたゴミを集めてるだけ。 「本宮、それかせよ。」 「んあ?あー、賢、サンキュ。」 伸び上がった彼の 髪が揺れる。大輔くんに向かって手を差し出している彼の。 「あ!」 思いのほか量があったらしい、倒れた紙コップからテーブルへ、僕の膝へとぼたぼたと。 「うわ。」 「すまない、高石!今拭くからっ・・」 そんなに狼狽えなくても。 「いいよ、これウーロン茶だから。ベタベタしないし。」 取り敢えず立ち上がって紙ナプキンで適当に。 「でも。お茶は染みになるよ、タケルくん。」 ・・ヒカリちゃん。 「お水で叩いておいた方がいいよ。」 「さっすがあ〜。ヒカリちゃんの言う通りだ、行けっ、タケル!」 それって命令?号令?突撃隊長の言う事に・・いつから逆らえなくなったんだろう。 ・・なんだかなあ。立ち上がって洗面所に向かう僕を一乗寺が追う。 「高石!」 聞こえないフリ、西部劇みたいなドア押して、とんだ茶番だよ、全く。一乗寺の手を引いて個室に。息を飲む気配、見上げてくる目は、自惚れてもいいかな、おそらく僕だけが知ってる。オレンジの味の唇が離れて、息をつく間もなく、また。ホント、こんなトコで何やってんだか。 「わざと、でしょ。」 一乗寺が首を振る。顔にかかる髪、除けてやって、僕は吹き出してしまった。 「な・・何がおかし・・」 「陳腐なんだよね、ナントカカイザーの頃からさ、君のやる事は。」 一乗寺の頬にさっと赤みがさす。 「高石っ・・!」 「こんな所に連れ込んで、どうするつもりなのさ?」 真っ黒な髪の影、透き通るみたいに青白い柔らかい場所。髪を持ち上げて、耳の後ろから項まで指でそうっと辿る。安っぽい芳香剤と消毒薬の匂いから逃れるように鼻を寄せて。 「誰か来たら。」 「鍵、かけてる。」 「二人で出て行ったら・・おかしいよ。」 「あ、何かやってたな、で済むでしょ。」 鼻を擽る柔らかい髪。わざと唾液をのせて脈を探っていく。 「本宮や伊織君でも?」 「おい、タケル、遅えぞ・・あれ?」 地声が大きいって便利っていうか。びく、って一乗寺が身を竦ませる。なんだかエッチの最中の仕草みたいでコーフンしちゃって、ああ、もう。なんでこんな時に。名残惜しいけど、耳の後ろ、きゅって吸って開放して。 「あ、大輔くん?」 「タケル、何やってんだ?ウンコかあ?賢は?」 「あのねえ、小学生じゃないんだからさ、そういう事大声で言わないでくれる?」 「いーだろーがあ、別に。賢もそこにいるのか?」 一乗寺が僕の顔を見上げる。ホント、こんな事も一人じゃ決められないかな。 はあ、と、わざとらしいため息をついて。 「一乗寺くんはここにはいないよ。ていうか、なんで僕が一乗寺くんとこんなとこ入るのさ。」 携帯を取り出して何文字か打ち込んで、一乗寺に渡す。 「はあ?んじゃあ、どこ行ったんだよ、賢の奴。」 「ズボン買いに、ね。いいって言ったんだけど。飛び出してっちゃって。」 「わざわざ?あいつもなあ・・。」 大輔くんの声は、サッカリンのように甘かった。もちろん、そんなの舐めた事なんかないんだから、ただのありがちな比喩なんだけど。僕は不審げな顏した一乗寺の髪に手を突っ込んで、かき回し、不審を嫌悪に変える。 「携帯、電話して呼び戻しなよ。ズボンはもういいからって。」 ああ、ってしばらく沈黙、あちゃあ〜、圏外かよ、って飛び出してく足音。 「全く。騒々しいんだから。」 返事は、ない。そのまま僕は一乗寺を置いて、個室を出た。明るい店内、喫煙席と観用植物を隔てた向こうに知ってる顔は見当たらない。 「今の内だよ?」 小声で、鏡に映る一乗寺を促す。 「地下に降りて、ぐるっと回っておいでよ。大輔くんは電波を求めて外なんだろうし。」 「高石、こんな事・・」 「茶番だって?じゃ、君がなんとかしてくれた訳?」 まだ頬が紅潮したままで、首を左右に振る。わかる奴にはわかる、その表情が何を物語っているのか。 一乗寺は鏡の前でつっ立ったまま。籠抜け詐欺はスピードが命だってのに、なんてね。もうどうでも、そっちがその気がないんなら。 「僕は、行くからね。後は好きにしなよ。」 きびすを返して席に戻る。 「お待たせっ!行こうか?」 「大丈夫ですか?」 「ごめん、ごめん。みんな大げさだなあ、お茶がかかったぐらいでさ。」 「いえ、そうじゃなくて。」 伊織くんが真っすぐ 僕を見る。ジョグレスがどうの、と言う訳じゃないけど彼に隠し事をするのは難しい。放たれた矢のように真実を目指す心、まあ、今みたいな事は彼の興味の範疇に入らないんだろうけど。 「あれ、大輔くんはまだ?」 「大輔くん?さっき、外へ走ってったよ。」 「ああ、一乗寺くんを探しに行ったんだよ。・・とりあえず、出ない?」 「でも。大輔さん達は?」 「連絡来るでしょ。」 ポケットから携帯を取り出して、ぱちんと開く。 「あは、ここ、圏外だ。」 「みなさん、D-ターミナルがあるのに。」 お金だってかかるでしょう、と不思議そうに伊織くんが言う。 「だって、ねえ。」 「うーん、カッコつけたい年頃なんだよね。」 顔を見合わせる僕達を理解できないといった風に。 「僕は感心しませんけど。」 「あはは、伊織くんも、中学生になったらわかるよ。」 「タケルさん、子供扱いはやめて下さい。」 「あはは、ごめん、伊織くん。」 「どうせおじい様が許してくれませんし。」 「そんな事ないわよ。伊織君のおじい様って新しい物好きでしょう?」 お約束の会話っていうのは、動物が毛繕いするようなものなんだろうか。伊織くんの表情も和らいだみたいだ。外に出て、その辺りをぶらつきながら、何度も携帯を確かめる。 「おかしいわね。帰っちゃったのかな。」 「大輔さんが会おうって言い出したくせに。」 「あたし達は学校で会えるから。でも伊織君はね。」 「あ、いけない、もうこんな時間だ。」 「あら、今日、お稽古の日だったの?」 ヒカリちゃんと伊織くんの会話をぼんやり聞きながら、僕らの間の滑稽な不文律について考える。大輔くんと一乗寺が一緒の時、誰も二人の間に入って行こうとはしない。彼らの間の絆はそんな風に自然に認知されている訳だ。今だってヒカリちゃんも僕も敢えて電話をしようとはしない。 「電話がないってことは、とりあえず二人は一緒って事よね。」 ヒカリちゃんが僕に同意を求めるように微笑む。 「そうだね、心配する事ないよね。」 ヒカリちゃんの微笑って伝染るんだよね。安心なんかしてる訳ないってのに。 |