ストレッサーズ


8




「わ。・・一乗寺?」 ベッドはもぬけの殻。・・帰っちゃったか。お昼なんかとっくに過ぎちゃってるし。お腹すいた。ぼりぼり頭掻いて、ベッドから足を降ろして飛び上がりそうになる。そうだった。捻挫。よちよち歩きでトイレ、シャワーの音に気が付いて、もしや一乗寺は母さんと鉢合わせして慌てて出てった?とか。

「母さん?何かない?昨夜も何も食べてなくてさあ。」
バスルームのドアに怒鳴る。水音が止んで折戸が開いて、ぼたぼた雫を垂らした黒い頭がぬっと現れた。

「一乗寺!よかった、帰っちゃったかと・・」
「帰れる訳ないだろ!高石、よくも・・」
「ああっ!頭の・・取っちゃったの?見たかったのに〜」
「いい加減に・・」
・・痛。ボディブラシで殴る事ないんじゃない?
「帰る。」
蹲って呻いてるボクの頭上から一乗寺の声が雫と一緒に降って来て。
「待って、送る!」
「いいよ、その足じゃ・・」
「ついでに何か食べたいし。一乗寺、お腹すいてない?」
「空いてるけど」
「じゃ、決まり」


昨日と同じ駅前のファーストフード店でがっついて、えっちらおっちら階段を上がる。
「いいよ、ここ迄で」
「いーの、どうせ暇なんだし、それに」
君のお母さんに謝らなくちゃね、って言ったらそういう作戦か、って。


ゆりかもめの車内で一乗寺はずっと黙ってて、そりゃ、ヤだよね、怒られるって分かってる家に帰るのって。ぎゅって手を握ったら、見上げて来る顔は口の端だけ無理に上げた笑顔。
「ごめん、ボクのせいだ。」
「全くだ。」
「ちゃんと謝るよ。」
「足のせいにする気だろ。」
「あは。」
いいけど、母に余計な事・・って、また一乗寺は黙った。電車の中には色んな人がいて、みんな何も悩みなんかないみたい、一瞬同じ電車に乗り合わせて、はぐれてく。そんな中、ボク等は電車を下りても同じ方向へ向かうんだ。足が痛い僕を庇ってゆっくり、心配事が待ってる家に向かって、ね。


「ただいま。」
いつ来てもきちんとした印象の室内。
「賢ちゃん!」
思い出すんだよね、この呼び方。一乗寺のパートナーを。いつもべったり貼りついて、賢ちゃんの為だって言いながら自分達の期待する行動を強いるトコなんてそっくりだよ。一乗寺が一仕切り謝罪した所でボクの出番。殊更に足を庇って、どんなに助かったか、ご存じでしょうけど、ボクの母親は職業柄不在も多くて。一乗寺の母親は曖昧な笑顔を浮かべて、ボクを招き入れる。ボクが何故こんな足でここ迄来たのか、一般に親が心配する類の逸脱を反証する為だとかは、分かってるんだろうけど。


彼らにとってのボクの位置付けは、大事な息子が幸福な子供時代を送る為の「人並み」の記号の一つでしかない。賢ちゃんにだって、同い年のお友達が、ってヤツ。それをキープする為だったら、多少の逸脱には目を瞑るだろう。でもさあ。ボク等が大人になってしまって、これが只の思春期の過ちじゃなかったとしたら?貴女達はどんな目でボクを見るんだろう?食事は済ませた、という一乗寺の言葉に、明らさまな落胆の色を浮かべて、ごゆっくりね、とボクに笑いかけて。すぐ帰ります、なんてね、懐かしの一乗寺の部屋、一歩足を踏み入れて、びっくり。

「そうか、昨日だったんだ」
一乗寺が呟いてぱたぱたと母親を追う。残されたボクは仕方なく、ぐるぐるとまるで印象の変わってしまった一乗寺の部屋を見渡す。この部屋の特徴だったロフトベッドがなくなっていて、代わりにいかにも有りがちなシングルのパイプベッドと、スライド式の本棚。なんだか随分狭く感じる。足が痛むのをいい事に、座らせてもらう。ぼす、ってスプリングが跳ねて、やっぱり新しいのはいいな、なんて。ドアが開いて、お盆を持った一乗寺が入ってくる。

「一番乗りはボクが貰ったからね!」
お尻でベッドを弾ませて、殊更陽気に。

「結構クッションいいよ、これ」
隣に座るように促すと、流れるみたいにキレイに納まるもんだから、気がついたらもう、唇が合わさっていて、なんだかすごく久しぶりにちゃんとキスしたみたいで可笑しい。
「叱られた?」
一乗寺は頭を横に振る。
「もっと叱ってくれていいのに。」
唇が尖って、見上げてくる目は潤んでて。
「これで、本当に僕の部屋になったって、母が。」
机の上の写真に目を遣る。帰って来ない息子の部屋から、もういない息子の痕跡を取り去る。想像したくない、肩にまわした腕に力を込めて。
「うれしい?」
「正直、望んでなかったとは言えないけど。」
現実に起こってしまうと、変わらなければよかったと思う、と一乗寺はボクの肩に顔を埋めた。もし君のお兄さんが、だとしてもいずれ。口にするのは簡単だけど。変化はどのみちやってくる。変えられないのはボク等が未熟だからだ。猿の手に最後の望みを願ってしまって、途方に暮れても、新しい望みはキリもなく。

「仕方ないよ」
「うん。分かってた事だし。」
「部屋、狭くなっちゃったね。」
「ベッドの上は広くなった。」
頬に柔らかく当たる髪を撫でる。
「それって、誘ってる?」
肩から重みが引いて、まさか、って言おうとしてるのかな、一乗寺の唇と頬は少し濡れていて。


夕ご飯をご一緒に、という社交辞令を丁重に断って、ふと大輔くんならどうするんだろうって。きっと彼ならこの人達と、ボクなんかよりずっと暖かい絆を作るだろう。駅まで、と一乗寺が言うのもキリがないからと断る。送ったりしたら、どこか遠くへさらってっちゃうよ、なんてね。本当にそんな事ができたら。平行する異世界に夢をはせる、なんてのもいいけどね。
「病院、ちゃんと行けよ。」
母親と並んだ一乗寺は知らない人みたいだ。ボク達はまたそれぞれの場所に収納される。異世界よりも非日常なボク達の繋がり、ボクらのデジタルワールド、なんちゃって。なのにこれが無ければ多分生きていけない。


随分時間がかかっちゃって、途中で買ったペットボトル片手に公園のベンチで一息つく。夕闇の向こう、わざとらしくリフティングなんかしながら近寄って来る人影に、思わずため息が。

「よ、偶然!」
「・・大輔くん。」
座っていいか、と聞く前に、どかっと衝撃が足に伝わって、ボクは呻き声をあげる。
「あ、すまねぇ、何だ?捻挫?」
「まあ、そんな所。」
「ふうん。賢にやられたのか?」
「・・そんなようなもん。」
「そっか!あいつも反撃できるんなら、大丈夫だなっ!」
いきなりばしんと背中を叩かれて、お茶を吹きそうになる。
「なんかさ〜、お前等うじうじしてっからさ〜、ケンカする時はこう、パーッと!」
「あは・・」
大輔くんの笑い声がフェイドアウトして、気まずい空気が露になる。
「いつから?」
「えあ?」
慌てて鼻の下を擦って。
「人が悪いよね、大輔くんも。あ、責めてるんじゃなくて」
「あのなあ」
「・・ごめん」
嫌味の一つも言われるとでも思ったんだろう、大輔くんはぼとってボールを落としてまじまじとボクを見る。
「いいけどな」
足をボールに乗せて、しばらくぐりぐり回して。
「あのな、タケル。お前伊織の考えてる事ってわかるか?」
「はあ?分かる訳ないでしょ」
「そうだよな、京もそーだっつってた」
だったらさ〜、ヒカリちゃんの事色々聞けるのによ〜って大輔くんは天を仰いだ。
「ジョグレス?」
もうほとんど忘れてる、自分達のがどうだったかなんて。
「まあな、アレが原因なんだろうな」
「へえ。やっぱり君たちって特別だったんだ」
まただ、この感じ。何年たてばヘイキになるんだろう。世界を救った特別な絆。
「タケル、勘違いすんなよ、オレのいーたいのはだなあ」
「拝聴してるよ」
「つまりだ。あー。よーするにわかっちまって」
さすがだよ、ものすごく解りやすいよ、大輔くん。
「同じよーにさ、賢にも解ったと思うんだ、オレの気持ち、さ」
「大輔くんの気持ち?」
公園の灯の下、大輔くんの顔は真っ赤に輝いて、口元が弛んでて。
「そりゃさ、言葉でどーこーってんじゃねんだけどさ」
「ふうん」
そんなのジョグレスなんかしなくったってバレバレだったって。急にこの会話から興味が薄れていって、ボクは生返事を返す。
「違う、何言おーとしてたんだ、オレはっ!」
見てて飽きないなあ、大輔くんは。
「ボクと一乗寺の事でしょ」
「そーだ、タケル、あのな。お前な」
「何?」
「お前な、オレと賢が特別だって思ってるだろ、それってやっぱアレか?」
「アレって何さ」
大輔くんとまともな会話をするにはジョグレスでもするしかないんだろうか。
「初めてジョグレスした時、オレ、言ったろ?心臓の音がどーの、一体感がどーのって。」
「言ってたね。あれは聞いてて恥ずかしかったよ」
「お前、どうだった?伊織と」
なんか・・猥談でもしてるみたいだ。自然と声が低くなったり。
「別に。そりゃ、高揚感はあったけど。闘ってたわけだし。」
「ああ、バラバラな事考えてちゃ、デジモンだって動けねえしな」
「大輔くん、一体何が言いたいのさ」
ボールに突っ伏して、一呼吸置いて、大輔くんは顔を上げた。
「アレな。・・怒んなよ?」
「怒らないよ」
「ハッタリだったんだよ。営業トークっつうかさ」
「ハッタリって」
大輔くんの足の下、白黒の模様のボールがごろごろ転がって、また元の場所に収まる。
「オレは賢を、どーしても仲間にしたかった。だってそーだろ?あれだけの戦力を目のあたりにしたら」
「まあ、ね。ボク達は完全体や究極体を知ってるけど」
「ああ、オレ達は成熟期止まりだったからな」
パシッと拳を手のひらに打ち込んで、一瞬見えた真剣な顔。誰より力を求めてた、あの頃の本宮大輔がそこにいた。
「一乗寺を騙したっていう訳?」
「そーじゃねえ。ただ、大袈裟に言っただけだ。一体感とかっていかにも仲間って感じするだろ?でも」
「でも?」
「それが本当になっちまった。賢のヤツ」
大輔くんはぼりぼり頭を掻いた。
「・・君ってやっぱり」
「何だ?」
「適わないよ、大輔くんには」
「なんだよ、それ」
はーっとため息ついてしばらく沈黙。
「よーするに、だ」
「わかったよ、君たちは特別じゃない、だからボクはヤキモチ妬く事なんかない。そういう事でしょ」
「そうハッキリ言われると気色悪りいけど。しっかし、タケルがオレを妬くなんてなあ。なんかすげえ不思議」
「なにそれ。ボクはいつも大輔くんが嫉ましかったよ。気がついてなかった?」
大輔くんの大きな目が、宇宙人でも見るように丸くなる。
「ウッソでぇ〜」
「ホントだよ」
「賢の事でか?」
「ううん、ずっと前からだよ」
その事について説明する気はないけど。
「なんか。すげえ気色悪い・・」
何も頭抱えて呻かなくても。
「それだけ美質に溢れてるって事。もっと自分に自信持ちなよ」
「なんでお前に慰めらんなきゃなんねんだよ」
「ボクに聞かないでよ」

笑っちゃうぐらい大輔くんは大輔くんだ。へらへら笑ってるボクを恨みがましそうに、それからぽつりと。

「なあ。お前等もーキスぐらいした?」
え?と覗き込むと顔が赤い。
「キスって。ボクと一乗寺?」
「わあっ!言うな、オレが悪かった!」
弾かれたように立ち上がる。
「いいけど、言っても。ボクと大輔くんの仲だし。」
「言わなくていいっ!じゃあな、また明日な!」
「あ、うん・・大輔くん?」
あっと言う間に見えなくなる。
「・・何しに来たんだろう」


よいしょ、って立ち上がって、オヤジくさい?いいんだ、足が痛いんだから。
「また明日、か」
明日はどっちだ?とりあえず病院、それから。
「明日考えるかな・・」

明日は明日の風が吹くっていうしね。おやすみ、には未だ早いけど、月の裏側のボクの恋人、前途多難な未来しかない偽の紋章しか持たないボクだけど。
「紋章なんかもう関係ないや、ボクは大人になるんだから」
携帯の着信音、早速連絡がまわったか。
「大輔くんって、小姑?」
大丈夫って返信。また、明日ね。その為にボク等は頑張ったんだ。行けるとこ迄行こう、ダメだったらその時は。
「・・大輔くんは正しいかも」
考えちゃダメな時って確かにあるかもだ。
「頑張る〜っ!」
とりあえず叫んでみる。光れ、ボクの紋章。海を飛び越えて君のいる街を照らせ。無反応なD-3、笑っちゃうよ、ようこそ、リアルワールドへ。

「お腹すいたなあ・・」
のろのろとマンションへ向かう。部屋に明かりがついてる。母さんかな、お兄ちゃんだったらヤだなあ。また明日ね、海の向こう、赤い空を振り返って痛む一歩を踏み出した。






おわり


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