ところでその張本人、スサノオはというと・・・。

 いたいた、女神達が水浴びをしていたあの泉に。

もちろん蛙の一件で女神達はひとりもいない。・・・ちょっと残念だが。

 だがスサノオはそんなことを気にせず、蛙達に話し掛けたりなんかしている。

だいいち、もともとイザナギの言う通り、彼は蛙に水浴びをさせたかったからで、別に女神達の裸を覗こうとしたわけではない。何しろ、時々多忙の姉に代わって妹の水浴びの世話をしたりしているので、女性の裸はそれこそ見飽きてるようなものなのだ(ま、肉親と他人では心情的に大きな違いがあるのだが)。

 ただ、彼女達が驚いたり、困ったりしているのを見て、楽しんだり、喜んだりしているのは確かだ。

 つまり、ただ単に悪戯が好きなだけなのだ。まぁ、よく言えば少年ような心を持った純真(?)な男なのだが、もうすぐ19になろうという青年が、しかも高天原を治めているイザナギのたった一人の男子がこれでは、高天原の将来を神々が心配するのも無理はないだろう。

「こらっ、スサノオっ!」

「どわぁぁぁっっ!!」

 いきなりの怒鳴り声に、スサノオはバランスを崩して頭から泉に突っ込んでしまった。がぼげぼごぼ・・・。

「きゃはははは・・・。君っておっもしろいねー。」

 突然の垢抜けた笑い声に、不思議な顔をして泉から顔を上げるスサノオ。顔だけでなく身体もびしょびしょだ。見上げると、15〜6歳位の少女が一人岩の上に座って、にこにこしながらこっちを見つめていた。笑い上戸の癖でもあるのか、まだ笑い足りなさそうに口元が(ゆる)んでいる。

「何だよお前、いったい誰なんだよ?」

 スサノオはムッとした表情で彼女を見つめる。今まで人を驚かしたことは何度でもあったけれど、人に驚かされたのはほとんどなかったからだ。

「あたし?あたしはねぇ『天服(アメノハタ)織女(オリメ)』っていうの。オリヒメって呼んでね、スサノオの命さま。」

 そう言うと、オリヒメは岩の上に立ってぺこりとお辞儀をする。一応スサノオに礼儀を尽くしているようだった(とはいえ、岩の上から見下ろしていては礼儀も何もないのだが)。

(うーん・・・一人だし、別に怒っているわけでもないから、俺を捕まえに来たり、悪戯の抗議をしに来たわけでもないようなんだけどなぁ・・・。

 だったら何しにここに、俺に会いに来たんだろう?)

 スサノオがそう思い、考え込んでいると、オリヒメは岩の上からぽーんっと跳んで目の前に降りてきた。ほっそりとした身体に似合って身軽のようだ。また、全然笑顔を絶やさないところは、彼女の明るさを十二分に表していた。

 彼女はすっとスサノオに近づいて、ずいっと彼の顔を覗き込んだ。女性の顔をこんな近くに近づけたことのなかったスサノオは、半分照れと恥ずかしさでぐっと彼女から目を逸らす。視線の先には、美しい水を湛える泉が見えた。

 彼女はそれを見てにっこり微笑むと、顔を離して一歩下がり、鈴の鳴るような綺麗な、そして明るい声で話し始めた。

「さっきのいたずらおもしろかったね。いつも君のいたずら見てたけど、今日のは最高だったよ。でも、あたしはカエルくらいじゃ驚かないんだけどね。」

 そう言うと、またころころと笑いだした。余程今日のことがおかしかったのだろう。よく笑う女の子だ。でも、だからこそ彼女には周りを明るくできる力があるのかもしれない。そうスサノオは思った。

 もちろん彼も例外ではなく、最初は唖然としていただけのスサノオであったが、彼女の明るさに触れ、すっかり警戒心をなくしてしまったようだ。

「まったく・・・。俺の悪戯に怒る人はいるが、喜ぶ奴なんて初めて見た。」

 とはいえ、数少ない自分の同調者にスサノオは悪い気はしなかった。今まで彼を擁護してくれたのは、他にはイザナギと月読しかいなかったのだから・・・。

 いや、もう一人いるのだが、それは追って紹介しよう。なぜなら彼女は、物語に重要な影響を与えるのだから。その意味では彼女もまた、重要な人物の一人なのかもしれない・・・。

 話を戻そう。彼女はしゃべり続ける。

「だっておもしろいじゃん。いつも。君のいたずらがなくちゃあ、毎日が退屈でたまらなくなっちゃうよ。だから君が成人して、イザナギ様に代わって高天原を支配したらすっごい楽しいと思うよ。」

 そう言うと、またきゃらきゃらと身体を揺らして揺らして笑う。生まれつきなのか年頃なのか、(陳腐な例えだが)彼女なら箸が転がっても笑ってしまうだろう。

「ああ。明日の成人の儀になってみないとわからないけれど、俺が唯一の男だしな・・・。」

 

 と、いうのも、明日、スサノオ達三姉弟妹は「成人の儀」を迎え、ヒルメ18歳、スサノオ17歳、月読15歳となる。

 その日、イザナギは三人の成長を見届けた後、高天原の支配権を子供達に与え、彼は隠居をすることになる。

 もともと神々は不死ではないが、不老なのである。だからもうイザナギは相当年をとっているのだが、身体は今も青年のように若々しく、顔も整っている。

 女神達が彼を慕い、熱狂するのも当然であろう。

 イザナギが長く政権を握っていられるのは、その政治力の高さもあるが、女神達の支持に支えられているのも確かなのである。

 オリヒメもスサノオのことは君呼ばわり(一回様付けで呼んでいるが、それはあくまで礼儀上のこと)なのに、イザナギに対しては様付けで呼んでいるところを見ると、彼女もまたイザナギのファンなのであろう。

 だが、たとえ不老でも永遠に政権の座に君臨しているわけにはいかない。それは独裁を意味することとなる。政治もマンネリ化し、怠慢になることも多いのである。

 その為神々は、年をとり、自分の子供や若者が大きくなって世代交代を肌で感じるようになると、彼らは誰からともなく政治などの第一線から姿を消し、隠居生活を始めるのである。

 実際、この世界を創造した第一世代、別天津神五柱は全て第一線から姿を消しているし、第二世代、神代七代もイザナギを除いた全ての神々は、皆隠居したり、死んだり(一人、大火傷をして死んだ女神がいる)している。

 だから、イザナギも末娘の月読が成人する(高天原では15歳を成人と認めている)暁には、三人にそれぞれ統治する場所を分け与え、政治学や統治の仕方を教えた後、自分も隠遁するつもりだった。

 つまりイザナギの、いや第二世代の意思を継ぐ、第三世代の時代がいよいよ明日始まると言ってもよいのだ。

 もう一度話を泉に戻そう。

 

「そういえばオリヒメ、お前は一体どういう仕事をしているんだ?」

 スサノオはだんだん、この垢抜けた少女に興味が湧いてきた。

「ん?あたしはヒルメ様の忌服屋(いみはたや)機織場(はたおりば))で服を織っている、ただの機織女だよ。君なんかとは全然身分が下なんだから・・・。」

 そう言っている割にはやけにスサノオに馴れ馴れしい。まあ、彼を見る限り、決して誰からも尊敬され、敬われるような神でもないし、彼自身も周りから敬語で話し掛けられるのを鬱陶(うっとう)しく思っているようなので、それはそれでいいのかもしれない。

「別に俺なんかに(かしこ)まる必要はないさ。いつもの調子で話してくれよな。」

 彼は建前ではなく、本心からそう思っている。

「そう言うと思った。だからスサノオって大好きだよ。」

「えっ?」

 最後の言葉が気になって、思わず聞きなおすスサノオ。彼はもう一度彼女の顔を見つめなおす。

 オリヒメはにっこりと微笑んでいる。といってもさっきみたいなバカ笑いと違って、なんか優しくやわらかい笑顔で、白い頬にうっすらと紅が注していた。

「あ・・・えーと・・・。」

 スサノオは何を言っていいかわからず、黙り込んでしまった。女の子にそんなことを言われたのは初めてだったからだ。そして、何でこの娘が自分に会いに来たのかが、少しわかったような気がした。

「あーっ!あんな所にいたーっ!!」

 結構甲高い声と共に、女神たちがこっちへ走ってきた。さっき泉で驚かされた娘達だ。

 可愛い額にしわを寄せた顔を見れば、謝っても決して許してくれないことは明らかだった。

「やっべぇ・・・こういうことは、時間が解決するっていうもんだな。」

 つまりは逃げて、ほとぼりが冷めるまで隠れているということだ。

「じゃあな、オリヒメ。またいつか会えたら会おうな。」

 そう言うとあっという間にオリヒメの目の前から消えていってしまった。逃げ足だけは抜群に速いようだ。

 オリヒメはスサノオの逃げた方に向って叫ぶ。

「あたしはいつも忌服屋にいるから、ヒマだったら会いに来てねーっ!」

 遙かあちらの方で「おーっ!」という声が聞こえる。

 オリヒメの顔には、またいつもの笑顔が戻っていた。

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