中竹 竜二 |
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「時間」。同じ1分でも、一秒でも時にはそれがとても長く感じることがある。逆にとても短く感じることもある。それは、人間の時間の感じ方と時計の針がかならずしも一致しないことを意味している。今回のワールドカップでもその両者の違いを何度も味わった。 10月31日、大会準決勝。ニュージーランド対フランス戦。キックオフの試合開始が遅れた。黒いジャージーの軍団は戦いの儀式を滞りなく済ませ、それぞれの布陣についた。レフリーもハーフェーラインの真中に立っていたが、フランスはまだ円陣を組んでいた。レフェリー、オールブラックスのメンバー、観客のすべてが今か今かとキックオフを待っていたにもかかわらず、青い円陣は一向に広がろうとしない。真中に頭を深く突っ込み、両隣を引き寄せ合い、主将・イバネスの叫ぶ声と共に男たちは堅くゆれている。ながい、誰もがそう感じただろう。しかし、誰もがそのながさに気づくのに2桁の秒数を必要としなかった。事実、この円陣で沈滞した時間はたかが10秒そこらだったに違いない。すなわちキックオフが遅れているとは言いがたい「ながさ」だったのである。時にこの種の時間が異常にながく感じることがある。物事が予想通りに行かなかったり、流れを止められる事が起こると、われわれはそれ自体に気を取られる。すなわち、フランスの円陣に人々は気と時間を奪われたのである。 目にとまるものは、「時間」を支配する。 ジャパンと同じグループDに属したサモアも、時間を支配するラグビーを展開した。くわしく言うと、「時間」というよりも「間・ま」の方がふさわしい。サモアのタックル。たとえで言えば、一本の線路上の列車衝突事故。列車に例えた理由は、サモアの選手はタックルする瞬間にスピード(ボディ)コントロールをしないからである(いわゆる、低く構えたり、膝に溜めを作ったり、得意な肩を入れたりといったコントロール)。全力疾走しながらそのまま障害にぶち当たるように、タックルの瞬間にも肩や胸の高さが変化しない。一般的に、綺麗に決まったタックルは痛くないといわれる。タックルする者とされる者の両者の間合いがぴったりと決まり、いわゆる柔道で言う「イッポン」の「間・ま」が存在する形で決まったものには衝撃が少ない。しかも、美的要素が加わり美しさが浮かび上がる。しかし、サモアの選手が繰り出すタックルには往々にして「間」という感覚は存在しない。逆に彼らは、ボールを持った選手にタックルをかわす「間」を与えないことを優先するのだ。ボールキャリアもタックラーと同じく接点の瞬間は体を半分ずらそうとしたり、ましては真っ向の力勝負においても膝に溜めを作るものである。すなわち、自分に向かってくるタックラーとの「間」を計算し、スピード(ボディ)コントロールをするのだ。しかし、サモアのタックルはボールキャリアの創り出す「間」を常に支配し、スピード(ボディ)コントロールを失った無防備な標的に激しく突き刺さりつづけたのだ。そのたびに深い歓声が突然沸いた。そう、一言で言えば、サモアのタックルは突然なのである。グランドに立つ両者の「間」だけではなく、見ている者にとっての観察の「間」も重要である。結果的に僕がその激しいタックルの魅力にひきこまれた理由は、アタック側のスムーズな流れを瞬時にして断ち切られたことに違和感を覚えたからである。ボールキャリアと同じく、僕の観戦の「間」もサモアのタックルに奪われたと言えよう。 |
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南アフリカのタックル。彼らのタックルは、日本ラグビーが過去これまで伝統的全国的に極めてきたやり方と全く違う方法で相手を倒す。いや、厳密に言えば彼らは捕まえた獲物を倒そうとしない。タックル発生後、必死に地面に近づこうとするのは常にタックルされた方なのである。飛び込んでくる敵を世界一の腕力、握力、背筋力でもって大胸筋にぴったりと挟み込む。ボールを持った攻撃側はどちらかもしくは両手でボールを持っているため、物理的に南アフリカ選手の広げた両腕の中に巻かれ易い。それが小さな選手であればあるほど、花束を持った花嫁が大男に抱き包まれるように。ラグビーの試合中において、その両者の密着度が大きければ大きい程、ボールキャリアがプレー出来ない時間が積み重ねられていく。その隙に南アフリカの他の選手がボールに絡む。ボールキャリアはうまくその腕を振りほどこうとするか、もしくはラックを作るために地球の重力を借り、全体重を地面に向ける。もし、南アフリカのタックルのベクトルが少しでも地面(下)に向かっていれば(いわば、倒そうとするタックルであれば)アタック側もラックを作ることを意図的に優先できただろう。しかし、ラグビー王国のオールブラックスでさえ、11月4日の3位決定戦では南アフリカの倒さないタックルに戸惑い、何度となくボールを奪われた。オールブラックスはボディーコントロールに全力を注がなければならなかった。とくに絡んだ腕を振り解き、ラックを形成するために。けれどそれに大幅な労力を取られる余り、一番肝心なボールコントロールを失ったともいえる。南アフリカのタックルは倒さない故に、コンタクトの瞬間に両者が止まって見えるのだ。しかも、この時間は実際の 時計が打つそれよりもはるかにながく感じた。これは、ニュージーランドが何も出来ない時間帯であり、南アフリカの他の選手が敵の身体と共に停止しているボールに絡む時間帯でもある。南アフリカのタックルは、相手がボディ・ボールコントロールを出来ない時間を創り出すことで、次ぎに連続する展開を有利にさせた。 |
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フルバック・ハワースのハイパントのキャッチングに注目したい。ハイパントが上がったときの彼は、他のFW陣(ナンバーエイトやロック)がバッキングに間に合う位置であっても、迷わず最初にコールする。この見切りの速さが、他のプレーヤーのサポートコースをスムーズに決めさせてくれるのだ。これも、先のBK陣のモール・ラックへの見切りと同じく、FWに任せた方が良いと思われる場面もある。その場の判断としてはベストではないケースが起こることも少なくない。しかし、チームの流れを造るという意味では、迷いの時間をできるだけ短くし、プレーをする時間をできるだけ長くするほうが起動力は大きくなるのだ。たとえば、ハイパンがあがったときに、5人がそのボールを取れる位置にいるとする。ナンバーエイト、オープンロック、スクラムハーフ、ブラインドウイング、そしてフルバック。これを普通ならば、フルバックが一番広く見渡せる位置なので、誰が取るべきかを考える。体格的にナンバーエイトかロックかなあ? だが、彼らは、横走りの状態か後ろに下がりながらボールを追っているので、相手と競りにくいなあ。だけと、ハーフは小さいから危ないだろう。ウイングもいいが、ベストではないかなあ?と、たくさんの事を考えるだろう。逆に、ナンバーエイトやロック自身も、自分のボールか?フルバックが走りこんでくるのか?と迷う。ここでその状況を分析するのに要する時間のロスが、一番目に良い判断とニ番目に良い判断の差から生まれるのアドバンテージをはるかに上回ることがある。この判断を下すまでの時間はいわゆる誰も他の人をサポートできない状態だからである。これはすべてのことに当てはまる。たとえば、メンバー選考に迷う時間は、選ぶ側(コーチイングスタッフ)にとっては大きな労力を必要とするかもしれないが、この間チームとしてのある強い方向への成長は恐らく期待できない。選考はチーム作りの大きな要素だが、決断が遅れるとその最良判断によるメリットは失われるだろう。話を戻そう。ハイパントが上がったとき、たとえば、フルバックが一瞬で見切ることは、ナンバーエイトとロックをすばやく深めに戻るらせることを促がし、そして、ブラインドウイングもフルバックのオープンスペースを素早くカバーすること可能にする。先程のBK陣のモール・ラックへの参加への話しに戻せば、BK陣が速く決断することは、他の選手が自由に動ける時間を創り出すことを意味する。そして、FW陣も素早くバックスラインのサポート行くことが出来、サイド攻撃を円滑に行なうことも可能にするのだ。この見切りの高速化はチーム全体の勢いをあげ、ゲームとしての大きな流れを造ると言えよう。 判断の正確さより、決断の速さ。ここでも「時間」の支配がゲームを左右するといえる。 ゲーム中には、決断の速度がとても重要であるとたった今書いた。ではその速度を極力上げるための手段や準備とは何であるか?を考えてみたい。当たり前の話しだが、どこのチームにもたくさんの決め事がある。戦略があり、戦術があり、そこにサインプレーも含まれる。ある暗号を言うことで、チーム全員が決断する為の時間を節約できる。サインプレー含めすべての決め事のメリットはここにあると言えよう。繰り返すが、決め事は決断の時間を最少化する。個人がそれぞれに考える必要もなく、自チームの動きを予測できる。逆に相手は、それがどんな攻撃であるかを一人一人が判断しなければならないし、そのためにある一定の時間が必要とされる。その打開策として、現代では、科学テクノロジーも発達し、高度なビデオ分析で他チームの特徴やサインプレーをある程度予測する為の分野が発達した。これも、試合中に起こる、決断に要する時間の節約の為である。今年のジャパンの秘密兵器もそれをつかさどるテクニカル部門だったと聞いた。→次のページへ続く |
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PHOTO BY Kenichi Seki |