『迷いの檻』
美しく舞い、敵を屠る巨大で可憐な踊る人形「士魂号」。
スモークで半ば遮られた視界の中、善行はそれを感慨深い気持ちで眺めていた。
人類のために捨て駒にされた学兵と運命を共にする為に左遷された自分。
将来の希望は無いものと思い半ば自棄になって九州に辿り着いたが、部隊の若者たちは彼の予想を良い意味で裏切り、
未来を変えるためにめざましく成長していた。
最近では敵の数も減りつつあり、状況が人類の勝利に傾くのも時間の問題だとされている。
ミノタウロス3体、ゴルゴーン2体、その他雑魚数体。
他の部隊に比較して大規模な戦闘だが最強を誇る5121部隊には日常的な事態だった。
みるみるうちに敵の影は減り、戦場にはゴルゴーン2体が残るのみとなった。
「司令、1番機の機体ダメージが30%を切っています!」
オペレーターの瀬戸口の声で善行ははっ、と我に返った。
「了解しました。壬生屋千翼長、後方に下がって支援を受けなさい。原整備主任、お願いします」
ゴルゴーンに対峙しているのはエースの3番機。じきに戦闘は終わる。と誰もが思い、気を緩めたその瞬間。
「げんじゅうが2たい、2時のほうからきたの!あぶないのよ!」
ののみが叫ぶ。幻獣の実体化。
「ミノタウロスか……ッ……!」
今度はその場の誰もが息を呑む。運悪く、3番機は4体の幻獣に囲まれてしまった。
「瀬戸口百翼長、3番機のダメージ値はどうなっていますか?」
善行の問いにオペレーター瀬戸口は緑に光るスクリーンを凝視する。
「60%です。念の為、一度退かせた方が良いかと思われますが」
「いや、その心配は要りません。このまま行かせます。芝村千翼長、速水万翼長。聞こえますか?少々無理させますが特に異常ありませんね」
「行けます。舞、大丈夫だね?」
「構わぬ。私を信頼するがいい」
舞は毅然とした瞳で返事をする。
「しかし、司令!」
瀬戸口が会話回線に割って入った。
「3番機のミサイルの弾数はもうありません、ミサイル主体で戦う複座には無謀かと」
「構いません。2人とも、いざとなったら機体を捨てても戦いなさい。以上。突撃」
善行は冷酷に命令した。
「了解」
パイロットの声がシンクロし、瞬間、士魂号は前方に向けて跳躍した。暗い戦場に紅い血飛沫が散る。
◆
『4月某日 日誌
本日の戦闘
ミノタウロス3体+2体。ゴルゴーン2体、ナーガ1体。
ヒトウバン2体。ゴブリン4体。
無事終了。
戦闘員名簿 変化無し。
死者なし。負傷者、3名。いずれも支障無し。パイロット、支障無し。
隊員への特記すべき障害無し。以上。 印』
善行が小隊長室で決済のサインを走らせていると、瀬戸口が新たな書類を持ってやってきた。
厚い分量のそれを無言でバサリと机の上に置くと、その前で歩を止め立ちつくす。
「お疲れ様です。今日はもう上がって良いですよ」
書類から目も離さずに善行は言った。その態度に瀬戸口は突然机をがん、と殴りつける。
「乱暴な態度はいけませんよ、瀬戸口百翼長」
「司令に言っておきたいことがありまして」
「何ですか」
善行はペンの動きを静かに止めた。顔色は変えない。
「司令。お言葉ですが、少しやり過ぎではないでしょうか。今日は無事切り抜けられたから良いようなものの、
あれで3番機がおシャカになったら2人とも危険でした。
いくら彼らがエースパイロットだといってもあの場所にウォードレスで放り込まれたら死んでいてもおかしくありません」
「ええ、そうかもしれません」
ここでようやく善行は顔を上げた。否定ではなく行き過ぎを彼がすんなり認めたことに瀬戸口はますます苛つく。
「分かっているなら、何故あんな強行策を取るんですか」
「幻獣を倒すためなら少々の無理は仕方ないことです」
善行は強く言い切り、眼鏡を指で押し上げるいつもの動作をとった。
沈黙。
カチ、カチ、カチ、と時計の針の音が小隊長室に行き渡り、
その後を追って夜の7時を知らせる定時の鐘が運命のように強く鳴り響いた。
瀬戸口は手持ちのジョーカーのカードを切った。
「……パイロットが芝村でも、か?」
部屋の空気が一瞬、刃のように硬直する。矢継ぎ早に瀬戸口は続けた。
「あんた、芝村と付き合っているんじゃないのか。恋人に対して酷いことをよくさせるもんだな」
「誰かがそのような噂を流しているのですか」
善行はいつもと変わらない口調でさらりと噂を否定した。
「否定するつもりか。最近良く一緒にいる所を見かけるが、あれは違うのか」
「彼女は『芝村』ですから、情報を提供して貰っているだけです。まあ、友人だとは思ってますがね
……それとも、あなたは勘繰りが好きなのですか」
最後のフレーズが2人の間の微妙なラインを決壊させた。言葉より先に瀬戸口が善行の頬を殴りつける。
拍子で善行は壁に頭をぶつけ、痛みで目を閉じる。続いて、足元になにか硬い物を踏んだ衝撃。
彼はその場でよろめいたが抵抗はしなかった。
「いい加減にしろ……。好きなら必死で守ってやれよ。あんたみたいなのを見てると虫酸が走るんだ、昔の愚かだった誰かを見てるようでな」
薄い唇が切れてひとすじの血がつっと流れた。それを静かに拭うと善行は立ち上がり、瀬戸口の方を向いて冷たい瞳で言い放った。
「これで気が済みましたか。あなたは何か勘違いをしているようです。
疲れているのでしょう、さっさと帰りなさい。上官命令です。……後ろで東原さんも待っていますよ」
ぎょっとした瀬戸口が振り返ると入口にののみが立ちつくしていた。
「の、ののみ」
幼い身体をこの場の悪意から守るように瀬戸口は駆け寄った。
「たかちゃん……、それに、いいんちょ、だいじょうぶ?」
ののみは心配そうに奥をのぞきこんでいる。
「私は大丈夫ですよ。心配しないで。東原さん、瀬戸口くんを連れて帰ってあげてください」
瀬戸口はののみの手を引いてさっさと校門を出た。
「ののみ、いつから見てた?」
「たいちょうしつのぞいたら、たかちゃんがいて。いいんちょ、かおあかくなってた。いたそぉ……」
「心配するな。ちょっとお灸をすえてやっただけさ」
ののみの手を瀬戸口はぎゅっと握った。ののみも同じように握り返す。
「いいんちょ、ないてるのよ……かなしいのよ……めーなの……」
◆
……ふう。
椅子に深く腰掛けて善行は大きな溜息をついた。口に溜まった鉄の味のする唾をティッシュに吐き、ゴミ箱へ弧を描いて投げ捨てる。
いつもの癖で眼鏡を上げる仕草をしたところで指の対象があるべき場所に無いことに気づく。
床に視線を遣ると、眼鏡が落ちていた。……殴られたときに踏んでしまったのはこれだったのか。
手に取るとフレームの蔓の部分がひどく曲がっている。元に戻そうとしたが、小枝のようにぽきりと2つに割れてしまった。
「これも罰、ですかね」
誰もいない小隊長室で壊れた眼鏡を手にして、善行はひとり呟いた。
夜も遅くなり、眼鏡を修理しようにも新市街の店もとうに閉まっている。
善行はまっすぐ家に帰ることにした。アパートのある近くの角を曲がった人気のない道で電柱の明かりの下に人影を見つける。
その影はこちらに気がついた途端走って近づいてきた。後ろで縛った髪が揺れる。
舞は、善行の方を見てぎょっとすると疑問符を放った。
「なんだ、その顔は。どうした。それに、その眼鏡は」
割れた眼鏡のつるには応急処置のビニールテープが巻かれている。善行はその場所に手を当てながら、わざと明るい声を作って答えた。
「ああ、これですか。躓いて転んでしまっただけですよ。それより、どうしました。こんな所で」
「そなたの家に寄ろうと思って、待っていた」
「家の前で待っていてくれて構いませんよ。ここは暗くて危ないですから」
「私は芝村だ。危ないことなど無い。痴漢などは投げ飛ばしてやるから安心せよ。
そ、それに、そなたの家の前で待っているのが小隊の誰かに見られたら変に……取られるではないか……」
舞は俯いてもじもじし、善行はそんな彼女の動作を微笑ましく思った。……ふたりの仲は内密だった。
目を細めて善行は微笑むと舞の手を取って歩き出した。つられて舞はよたよた歩き出す。
「あっ、こら、だ、誰かに見られたらどうするっ」
「すこし手を繋ぐくらいは見られても構いませんよ」
善行は今日は少しだけ自分の感情に開き直ることを決めた。
「し、仕方のない奴だ……そなたは……」
歩調を少し早めて舞は善行の隣に寄り添う。
◆
一緒に食事を摂り、白黒2匹の飼猫の世話をする。それが二人に与えられた少ない自由時間だった。
ベッドにもたれて舞は毛の長い白猫を撫でながら善行に話しかける。
「数日前の約束、覚えておいてくれたな。……嬉しく思う」
目の前の少女はかすかに微笑い、善行はまつげを伏せた。
「はい。でもそれで貴女はほんとうに、良いのですか?」
「芝村に、後悔はない」
舞の決意を知ってか、そこで猫がニャーと鳴いた。
◆
……善行は数日前のことを回想する。
数日前の戦闘中、彼は3号機を一度退却させた。
2人乗り士魂号複座型の戦闘パターンは単座型とは異なり、仕様が複雑であるためデリケートな調整が必要である。
予備の機体も今は無い。致命的なダメージを避けるために善行は少々消極的な指令を出した…つもりだった。
その日の戦闘は無事に済んだが、直後から部隊内にある噂が流れた。
『司令は芝村に気があって、3番機を優遇している』
今日の瀬戸口の発言もその噂が原因だろう。
手心を加えているつもりは無かったが、他人から見ればそのように見られても本心からの否定はできない。
無意識に手加減しているのだろうかという仕事に対する背徳と、恋人を自分の手で激しい戦場に送り出すという己の非情さ。
表情には出さなかったが心の内でその二律背反が善行を苦しめた。
一方の当事者である舞はその噂を聞いて事態を重く見た。
自分が疑われることは芝村である故仕方がないが、善行が必要以上に疑われることは嫌だった。
司令職という職務から嫌われることはあっても、私心で疑われてほしくなかった。
……だから。
「そなたは遠慮せず、もっと敵地に突っ込むよう私に命令するがいい。必要以上にでも」
と自ら頼みこんだのだった。
そして、彼はその願いを叶えた……。
「ほんとうに、これで良いのか、と思います」
善行はそう呟いて隣に座ると、舞の可憐な身体を切なく抱きしめた。
こんな折れそうな身体で、血飛沫を上げて戦っている。ここはどんな世界なのか?
「もっと私を信頼するがよい。そして、手足として使ってほしい。いつか死ぬとしてもそなたの元でなら本望だ」
少女は紅い頬でまつげを伏せた。
年端もいかない子どもが真顔で『死ぬ』などと口にするとは、ここは何処のネジが狂った世界なのだろう?
……しかし、私はこの世界で生きているのだ。逃げる場所はどこにもない。
善行は舞の一途な瞳の内に悲しさと、愛おしさを見た。
「死ぬ、だなんて言わないで下さい、舞」
「いつも『全員突撃』と言っておるではないか……そなたは……あッ」
舞の言葉は途中で唇で深く遮られ、少女は広い背中にその細い手を回す。
司令官としての立場と、恋人としての立場。二つの間で迷っている自分。檻の中にいるような苦しみ。
どちらかを捨てられない欲張りな私には、いつかツケを払う時がやって来るのだろうか。
巡る思考を頭から追いたてるように善行は目の前の存在に縋り付いた。
◆
最近、そなたに世話になり放しだから今日はもう帰る。と主張した舞がリボンを結んで夜更けに帰宅した後、
善行は戸棚から出した強めのアルコールで口を湿らせた。
忘れかけていた、意識の底に錘を付けて深く沈めていたこと−自分に出来る唯一の方法−を思い出し、何度も頭の中でシミュレートする。
『あらゆる手段を使い権力を回復し、関東に帰還し、戦力を再検討して熊本を支援する』
自分にはそれを実行できる力がある。しかし、今の彼には引き替えに犠牲にするものもまた、大きいのだった。
細身の黒猫が善行にすり寄り、その細い指を舐めた。ひょいと持ち上げて抱き上げる。
「あなたは、どうしたら良いと思いますか?」
猫はその問いに答える代わりに善行の茶色の瞳をじっと見つめ、首を傾けると飼い主の気を知ってか知らずか
「ニャウン。」
と鳴いた。
END. |