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学校の聖母シリーズ


ヤジの報い



作:逃げ馬




中崎あかねは、とある地方議会の議員を務めている。
純愛女子大学を卒業後、就職氷河期と呼ばれていた時期にも関わらず、彼女は航空会社に就職をすることができた。
空の仕事は彼女にとっては、魅力的で楽しいものだった。
そんな彼女に突然、転機が訪れたのは、30歳の時だった。
大学時代の指導教授に紹介された代議士に、地方議員の選挙に出ないかと声をかけられたのだ。
テーブルには、彼女の出した卒業論文が置かれていた。
国政と地方自治との関係について論じた、彼女の論文が教授の目にとまり、彼女を代議士に紹介したようだ。
悩んだ末、彼女はこの誘いを受けた。
卒業論文のテーマに選んだほどなので、この分野に興味がなかったわけではない。
そして、空の職場には若い力が続々と入ってくる。
彼女にとっては、若くて柔軟性のあるうちに・・・・・魅力的な職場だが、空を去るなら今だ・・・・・と、決断したのだ。

選挙は以前の職場の仲間や、大学の友人やOG達が応援してくれたお陰でトップ当選を果たした。
若くて美人。
しかも、名門女子大学を卒業後、航空会社で働いていたという経歴を聞くと、マスコミが黙っているはずがない。
テレビや新聞、そして雑誌と・・・・・様々な媒体が、「独自の切り口」で、彼女の話題を取り上げた。
残念ながら、彼女が当選後に取り組みたい仕事について取り上げてくれたものは、片手にも満たなかったが・・・・・。


議会が開かれると、一年生議員の彼女は、とにかく勉強の毎日だった。
彼女の性格もあるのだろうが、「名門女子大学を卒業したから」とか、「トップ当選をしたから」などという変なプライドを、彼女は持っていなかった。
むしろ、「今のわたしは解らないことばかり」
と、先輩議員や役所の職員に積極的に質問をして「教えてもらっていた」のだ。
そうなると、「中崎議員は、勉強家だぞ」とか、「美人なことや、高学歴をひけらかさない腰の低い人だ」などと言われ、周りに人が集まってくるようになるのだ。
すると、また新しく集まった人から「勉強させてもらう」と・・・・・彼女の議員としての実力と名声は、あっという間にあがっていった。
彼女は大学時代、登校をした時と下校する時には必ず礼拝堂にある聖母像に祈りを捧げていた。
先輩や教員たちからは、「あなたが辛い時や苦しい時には、必ず聖母様が助けてくれますよ・・・・・」と聞かされていた。
あの頃は、「まさか、そんなことが・・・・・」と聞き流していたが、議員一年生として、この好調な滑り出しは、聖母様に護られているためなのだろうか?
何もかも上手く行く毎日・・・・・彼女は自然に笑顔になり、その笑顔が彼女をさらに魅力的に見せて・・・・・。
しかし一方で、彼女が実績をあげて行くことを、快く思わない人間もいるのだ。



「まったく・・・・・奴は何を考えているのだ?!」
高級料亭の座敷に、男の嗄れた怒鳴り声が響いた。
地方議会議員、金原権太郎は80歳。議員として48年の実績を持つ。
今は亡き父も、そして祖父もこの議会の議員を勤めた、いわばこの地域の「名士」と言えるだろう。
髪はほとんど抜けてしまい、気難しそうな顔には深い皺と老人性のシミが目立ち、異様な光を放つ大きな目が、彼の前に座る二人の客を睨んでいる。
「議会では彼女を支持している議員は多いようです」
金原の前に座る初老の男、伊村誠が思慮深げに言った。
「彼女は与野党問わず、多くの議員に会って、自分が進めようとしている案件について、アドバイスを求めているようです・・・・・」
信じられないと大袈裟に首を振ってみせる。
すっかり白くなった髪が揺れ、肥満気味の体を揺すった。
「彼女は僕のところにも来ました」
伊村の横に座る中年の男、野沢康夫が嬉しそうに言った。
「確か、保育園の増設を求める提案だったと思いますが、ダメ出しをしたら、ありがとうございます・・・・・なんて言って・・・・・」
野沢の声が大きくなる。
「二日後に、またやって来て・・・・・直しました、これでどうでしょうか・・・・・なんて言って、それがまた、完璧な提案なんですよ!」
金原は苦虫を噛み潰したような顔になり、伊村はヒヤヒヤしながら、金原と野沢を見比べている。
野沢は周りの様子など気にしないで、料理を一口摘まんだ。
「議会での御支援を、お願いします・・・・・なんて頭を下げられると、応援したくなりますね・・・・・」
彼女と議論をした人たち皆がそうじゃないかな・・・・・野沢の顔に、いやらしい笑みが浮かんだ。
今、彼は中崎に対して、議論をした政策以外の事を思っているのは間違いない。
金原は、プイッと横を向いてしまった。
仕方なく伊村は、野沢に向き直ると、
「彼女は、野党の議員だぞ? その彼女を・・・・・」
突然、伊村の言葉に被せるように、
「いったい・・・・・貴様は、どこの政党の議員だ?!」
金原の怒りが爆発した。
議会の、そして彼らの政党の重鎮である金原を怒らせないようにしようと、野沢をたしなめようとした伊村だったが、どうやら手遅れだったようだ。
「あいつの提案を知っているのか? 新しい体育館や美術館、新しい駅を作って行う予定の再開発の凍結をして、その予算で子育て支援や、高齢者支援・・・・・若者の再就職支援をするだと・・・・・?」
ふざけるな! わしたちがいったい何年、ここで議員をやってきたと思っているんだ・・・・・金原が吐き捨てるように言った。
こうなると、野沢や伊村は、その迫力に、なにも言うことができない。

「もしも、奴の言う政策が実現すれば、わしたちは・・・・・いったいどうなる?!」
座敷を静寂が覆った。
わしたちは・・・・・いったいどうなる?!・・・・・そう、それは、彼らが議員を勤めるうえでの利益を言い表していた。
金原は祖父の代から議員をしているが、家業は土建業をしている。
つまり、議員を務めることで、自治体の公共事業を取り仕切る部署に「囁きかけて」発注する事業を「ほんの少し」自分が経営している会社に回している。
それが削減されれば・・・・・?
金原は、微かに身震いした。
彼は目の前に座る、二人の客に視線を向けた。
「この連中だって、立場は同じだ・・・・・」
彼は思った。
野沢は、不動産業を。伊村は妻の父親が、病院を経営しており、自治体から何かしらの利益を得ている。
「明日は、彼女が質問に立つはずだったな・・・・・?」
金原の質問に、野沢が頷いた。
「女性と若者の雇用促進と、それに伴う保育園と託児所の増設について質問をする・・・・・と、聞いています」
「ふむ・・・・・」
金原の顔に笑みが浮かんだ。
彼は、二人の顔を見ると、
「・・・・・そこで・・・・・だな・・・・・」



あかねは、議場で質問に立っていた。
原稿を見ながら演説をする議員が多い中で彼女は、議場に座る・・・・・中には眠っている議員もいるが・・・・・議員一人一人に視線を向けて、演説をしている。
演説は、若者の雇用促進問題から、子育て支援問題に移った。
その時・・・・・。
「自分で生んでから言えよ!」
議場中に聞こえるような大きな声が聞こえ、あかねは声が聞こえた方向を見た・・・・・しかし、誰が言ったかまでは、わからない。
「何人も男がいて、一人に絞れないか?」
嗄れた男の声が聞こえた。
「誰か彼女に、男を紹介してやれよ」
議場に笑いが起きた。
あかねは、唇を噛みしめ、握りしめた拳が小刻みに震えている。

議会速記者の外園光生(そとぞの みつお)は26歳。この議会で発言内容を速記するようになって三年になるが、議場がここまで酷い雰囲気になったのは初めてだった。
彼はあかねに視線を向けた。
彼女は声を震わせながら、発言を続けている。
彼は記録をしようとペンを持った。
その時、前に座る先輩速記者が言った。
「彼女の発言だけを記録しろ!」
外園は、驚いて前に座る先輩をまじまじと見た。
「ヤジまで記録してられないだろ」
当たり前じゃないか・・・・・先輩は黙々とペンを走らせる。
外園も仕方なく、あかねの発言だけを記録していった。
その時、この議場にいた誰もが、この時のやり取りが大問題になり、ましてや、彼らの想像を越える出来事がおきるなどとは思わなかった。



まず、この日の議会発言に反応をしたのは、テレビ各局の夜のニュースだった。
ニュース番組では、議会で質問に立つあかねが、ヤジに驚き、次にヤジのの連続攻撃に声を震わせながら質問を終えて、自分の議席に戻り悔しさから涙を浮かべている様子までを放送していた。
今のニュース番組は、まるでバラエティー番組のような構成をしているものもある。
ヤジの内容をテロップにして映像にかぶせて「見ている人に、より分かりやすく」するのだ。
テレビでの反響は、翌日の朝のワイドショーに繋がってゆき、それを見た女性たちからの抗議電話が、自治体に殺到した。
反応は猛スピードで広がった。
ツイッターやフェイスブックで、動画サイトで、ブロガー達のブログで・・・・・インターネットを通じて海外にまで広がり、結果、中崎あかねは外国人記者グラブの取材を受ける事になってしまった。


「まずいな・・・・・」
高級料亭の一室で、金原権太郎は顔をしかめながら言った。
「女将を呼びましょうか?」
金原の前に座る、伊村誠が太った体の腰を浮かせかけたのだが、
「いや、料理じゃない・・・・・」
金原が伊村を制した。
「料理ならば作り直してもらえるのだが・・・・・」
金原が皺だらけの顔に、ほろ苦そうに笑みを浮かべた。
その脇で野沢康夫は、美味しそうに料理を食べている。
「これ、美味いですね」
料理をガツガツ食べる野沢を、二人は呆れたように見ていたが、
「こんな展開は、予想していなかったな・・・・・」
金原がため息をついた。
「女性議員を中心に、ヤジを言った議員を特定しようという動きが出ていますが・・・・・」
伊村が困惑した表情を浮かべた。
「テレビでは、声紋鑑定を・・・・・などと言い出している・・・・・」
金原が腕組みをして、深いため息をつくと目を閉じた。
伊村は黙って金原を見つめ、野沢は料理を食べながらビールを飲んでいた。
やがて、金原は目を開き、野沢を見ると、
「君に頼みがある・・・・・」



外園光生は、女性議員たちに、とり囲まれていた。
「貴方は、誰があんなヤジを飛ばしたか、知っているんでしょう?!」
「あんな・・・・・日本の恥と言える発言を見逃すつもり?」
外園は困惑して、先輩速記者を見た。
何も言うな・・・・・と言うように首を振っている。
「僕は、何も知りません」
それでは、速記録を届けないといけないので・・・・・外園は席を立ち、部屋の外に出た。
彼は廊下で足を止めると部屋を振り返り、ため息をついた。



翌日

記者会見場で野沢康夫は、多くのカメラと記者に囲まれていた。
「中崎先生の演説中に、大きな声を出したのは私です・・・・・」
申し訳ありません・・・・・そう言って頭を下げる野沢を、カメラのフラッシュの白い光が照らし出す。
顔を上げた時、記者の間で驚きの声が上がった。
野沢が泣いていたのだ。
「わたしは、中崎先生を応援するため、彼女に幸せになってもらいたいと議場で声を上げたのです!」
野沢が号泣している・・・・・記者たちは驚き、そして、半ば呆れたような視線を野沢に向けている。
「それが、こんな騒ぎになるなんて・・・・・わたしに投票してくれた有権者の皆様に申し訳なく思います・・・・・」
お詫び申し上げます・・・・・と、野沢康夫は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、頭を下げた。
それでは、ここまでで・・・・・秘書が言うと、野沢は立ち上がり深々と礼をすると、記者達の質問を振り切るように会見場を出た。
部屋を出た野沢の顔には、直前までの涙はなく、笑みが浮かんでいた。

金原権太郎は、車に乗り込むところを、記者たちに囲まれた。
「野沢議員が、中崎議員へのヤジを飛ばした事を認めましたが?」
マイクを突きつけられた金原は、テレビカメラが自分を映していることを確認すると、その顔に微笑みを浮かべた。そして、カメラに向き直ると、
「彼が発言を自分から認めたのは、良い事だと思います・・・・・」
伊村誠が、外国製高級乗用車の後部ドアを開けた。
金原は車に乗り込みながら、
「これから彼は、中崎議員と切磋琢磨しながら頑張って欲しいね・・・・・」
その言葉を聞いた記者たちは、耳を疑った。
「それは、野沢議員の議員辞職は、必要ないということですか?!」
記者たちは、信じられないというような視線を金原に向けたが、金原はそれを跳ね返すようにギョロ目をむいて言った。
「・・・・・なぜ、辞める必要があるんだ・・・・・?」



「・・・・・一先ず、上手く行ったようだな」
「先生の読み通りでしたね・・・・・」
ここは高級ホテルの最上階にあるラウンジ。
金原権太郎と伊村誠は、カウンターでブランデーを飲んでいた。
「しかし・・・・・」
伊村が笑いを噛み殺すように、
「野沢の記者会見は、笑えましたね・・・・・」
「奴は役者だな・・・・・」
フフフッ・・・・・金原がグラスの中のブランデーを見ながら笑った。
「金原先生のヤジも良かったですが、奴が言った事になってしまいましたな・・・・・」
「お前だって・・・・・」
二人が笑う。
金原は再びグラスを眺めると、
「今頃、野沢も羽根を伸ばしているだろうよ・・・・・」


その頃、中崎あかねは彼女の支援者と会うために、この街の中心部にある繁華街にいた。
皆が彼女を心配すると同時に、ヤジの内容に憤慨していた。中には、
「あのヤジは、野沢っていう人、一人だけじゃないでしょう? それなのに、これで終わりなの?」
辞職もしないで?・・・・・納得できないと言うように首を振り、議会に乗り込もうという声まで上がった。
彼女が、女性議員たちが提出した議会でのヤジを飛ばした議員の調査と処分の提案は、否決されたと報告すると、皆の怒りは頂点に達した。
署名をしようとか、リコール運動をしようと・・・・・皆が声をあげた。
彼女のそばに座っていた、上品な雰囲気の老婦人が、微笑みながら彼女の両手を握った。
「わたしも・・・・・純愛女子大学の卒業生なのよ・・・・・」
「そうですか・・・・・」
では、先輩ですね・・・・・と、彼女は老婦人に微笑んだ。
「あなたもね・・・・・今は苦しいでしょうけど・・・・・」
老婦人が温かい眼差しで彼女を見つめている。
「・・・・・聖母様はどんな時にも、貴女を見守ってくれていますからね・・・・・」
老婦人の両手に力がこもる。
あかねは、微笑みながら「ハイ!」と答えると、明るく笑った。



集会が終わると、中崎あかねは自宅に戻るために駅に向かった。
すでに日は暮れて、サラリーマンやOL、学校帰りの学生たちが、街を行き交っている。
このところの騒ぎで、彼女は体に疲れを感じていた。
疲れは思考力を低下させ、物事をやり遂げようとする気力も奪う。
今日は帰って、ゆっくりお風呂に入って疲れを取ろう・・・・・彼女の歩くスピードが上がった。その時・・・・・。
駅前の高級ホテルから、見慣れた男が、大学生くらいに見える若い女性と一緒に出てきた。
野沢康夫だ。
彼女は戸惑った。彼女は馬鹿馬鹿しい揉め事は好まない。
何故なら、それ以上にやるべき事があるからだ。
その思いから、彼女は野沢に「挨拶」だけはしておこうと思ったのだが、今の彼は若い女性を連れている。
彼は45歳。5歳年下の資産家の娘と結婚をして、子供は今、6歳のはずだ・・・・・と、いうことは・・・・・?
彼女は、どうするべきか迷った。

野沢康夫は、上機嫌だった。
あの会見を終えた彼は、「疲労を癒すために」この高級ホテルにやって来た。
そして、彼の有力支援者が紹介してくれた美女と、ホテル内のレストランで「政治について」語り合ったのだ・・・・・いずれも彼が問い詰められた時にどのように答えるか、彼の支援者がレクチャーしたものだが・・・・・。
今の野沢は、アルコールがたっぷり入った状態で、足元も覚束ない。
ふらついた野沢を、若い女性がなんとか支えた。
「大丈夫ですか?」
心配そうに声をかけた女性に、
「大丈夫ですよ〜♪」
へへへッ・・・・・と、酔いで真っ赤な顔をした野沢が笑った。
「会見も終わったしね・・・・・大丈夫ですよ〜」
女性は、困惑した表情を浮かべた。彼女は、野沢の身体を心配したのだが、野沢はどうやら、あの会見の事が気になっていたらしい。
「あの会見でヤジの一件は、おしまい! 泣いて謝る人間は、誰だって責め辛いだろう?」
女性の肩に腕を回しながら、野沢が笑っている・・・・・彼は、その後ろにヤジを受けた本人がいることに、まだ気がついていない。
「あの時はな・・・・・あの女が調子に乗っているから懲らしめようと、先輩議員と一緒にヤジを飛ばしたんだ。 質問の内容と関係がない? そんな事はどうでもいいんだよ・・・・・!」
野沢は完全に酔いが回ったようだ。女性はどうすればよいのか困っているようだったが、タクシーで家に送ろうと、彼を道路へ引っ張った。だが、野沢は話続ける。
「俺がヤジを飛ばしたことにして、先輩を守る! 先輩は、これで終わりと幕を引く、あいつも犯人が分かったわけだから満足する。 先輩を守った俺は、次の議会で役職を貰う・・・・・」
女性が手を挙げると、タクシーが二人の前に停まった。
野沢が高笑いをした。
「これにて一件落着・・・・・みんながハッピー・・・・・ってか?!」



中崎あかねは、走り去るタクシーを、呆然と眺めていた。
質問の内容とは、全く関係のないヤジ。
それは、あかねへの妬みからのものだった。
そして、批判を反らしての幕引き・・・・・その対応は、あのヤジへの「反省」とは程遠いものだった。
悔しい・・・・・あかねは思った・・・・・。

赤い煉瓦造りの立派な礼拝堂は、彼女がこの大学で学んでいた時と変わらずに、そこにあった。
中崎あかねは、礼拝堂の扉の前に立った。
樫で作られた立派な扉は、年代を感じさせる物だ。
あかねは、掌で扉を撫でた。
彼女の中で、この学校で学んだ日々の思い出が甦ってくる。
あかねは、静かに扉を開いた。
蝋燭の灯りが揺らめく礼拝堂の奥・・・・・彼女の正面に聖母像はあった。
あかねは、ゆっくりと聖母像に向かって歩み寄って行く。
聖母像の前に立つと、蝋燭の灯りと、ステンドグラスから差し込む月明かりに照らされた聖母像は、慈しむような微笑みで、あかねを見つめていた。
あの老婦人の言葉が、あかねの耳に甦った。
「・・・・・聖母様・・・・・」
あかねは、両手を組んで聖母像に祈り始めた。
「聖母様・・・・・わたしは・・・・・」
わたしは・・・・・祈りを捧げようとしたあかねの中に、様々な想いが渦巻いている。
これまで見守ってくれた事への感謝。
そして、議員に当選して、多くの人達に応援をもらっていることへの感謝。
あかねの中に、ある光景がフラッシュバックした。
野沢誠の謝罪会見と、その後の言葉・・・・・。
「聖母様・・・・・わたしは・・・・・悔しいです・・・・・」
あかねの大きな瞳からこぼれた涙が、組んだ両手に落ちた。
「聖母様・・・・・彼らに天罰を!」

彼女が祈ったその瞬間、礼拝堂から眩い光が放たれた。



「?!」
ホテルのラウンジでブランデーを飲んでいた金原権太郎は、目を疑った。グラスを握る指から肉が落ち、骨に皮が張りついただけの木の小枝のようになっていったのだ。
「金原先生?!」
女性に呼ばれ、そちらを見た。
そこには、伊村誠が座っていた筈だ。
だが、今そこにいるのは、ド派手な服を着た還暦を過ぎたであろう女性だった。
とてもではないが、お食事もご一緒したくはない外見だ。
だが、その女性が言ったのだ。
「先生・・・・・女になってますよ!」
言われた金原は、椅子から立ち上がろうとして、床に転んでしまった。
立ち上がろうとした金原は、ラウンジの窓ガラスに映る今の自分の姿を見た。
それは、いつか孫に読んでやったおとぎ話の絵本に出てくる魔女の老婆そのものだった。
「儂は・・・・・」
金原と伊村は、変わり果てたお互いの姿を、呆然と見つめていた。

野沢康夫は、家に戻りシャワーを浴びていた。
今夜は、妻は娘を連れて出かけている。
お陰で、あの謝罪会見の後、ほんの少し良い思いをすることが出来た。
野沢は、思い出して顔が自然に、にやけてきた
シャワーを終えて体を拭き、パンツ一枚で冷蔵庫からビールを取りだし、リモコンでテレビを点けるとソファーに座った。
この家や家具。そして彼の選挙資金も大半は、妻の実家から出ている。
口の悪い人間に言わせると、彼は「夜のベッドテクニックで当選」したらしい。
野沢は、鼻を鳴らした。
言いたい奴には言わせておけば良い。
悔しければ、議員になってみろ。
俺は次の議会で役職につく。そうなれば陰で笑っていた連中に・・・・・。
玄関のドアが開く音がした。
どうやら妻が帰って来たようだ。
「ただいま。 今日は、大変だったわね・・・・・」
お疲れ様・・・・・彼を優しく労う、妻の声が突然止まった。
野沢は、視線をテレビから妻に向けた。
彼が見たのは、唇を真一文字に結び、顔を真っ赤にして怒りに震える妻の姿だった。
「どうしたんだ・・・・・」
妻に尋ねた野沢は、言った後、咳払いをした。
なんだか声が変だ。まるで近所のおばさんの声じゃないか。
「あなたは誰?」
妻が、静かに言った。
「俺は、お前の・・・・・」
「あなたは誰よ?!」
妻が、彼に掴みかかった。
「お前は自分の亭主もわからないのか?!」
野沢が叫んだ。
「あの男、また女を連れ込んだのね・・・・・よりによって、こんな女を!」
妻が野沢を突飛ばした。
フローリングの床に無様に転がった野沢康夫が立ち上がる時に見たのは、普段は美人で優しい彼の妻の鬼のような形相と、窓ガラスに映った男物のトランクスを履いた、お腹の弛んだ中年のオバサンの姿だった。



「あなたは、知っているんでしょう?」
外園光生は、女性議員に取り囲まれていた。
「速記者なんだから、誰がどんな声なのか、分からないはずないじゃない?」
またか・・・・・外園はため息をつきながら、
「速記録に記録してあることが全てです! だから僕は、誰が何を言ったかなんて、知りません!」
言った瞬間、彼は体を見えない巨人の大きな手で押さえつけられたような感覚を感じた。
居並ぶ女性議員や職員達は、信じられない光景を目の当たりにした。
彼女たちの目の前で、外園は白いブラウスとグレーのタイトスカートを身につけた、可愛らしい「女性速記者」になってしまったのだ。
変わり果てた自分の体に戸惑っているのか、外園は自分の胸を触ったり、スカートの上から自分の股間の辺りを触ったりしていた・・・・・やがて、
「僕の体・・・・・女になってる・・・・・」
可愛らしい声で呟いた外園の両腕を誰かが掴み、彼・・・・・いや、今は彼女となった外園の耳元で囁いた。
「随分、かわいい女の子になったわね・・・・・女の子デビューをした貴女に、お姉さん達が教えてあげるわ・・・・・」
外園の表情が凍りついた。
「女の子の全てをね・・・・・」
外園を取り囲んでいた女性達が、彼女にじりじりと迫っていく。
「やめてくれ〜!」
庁舎に女性の悲鳴が響いた・・・・・。



翌朝

中崎あかねが、自分の事務所に入った時、彼女の事務所の電話は鳴り続け、スタッフ達は、その対応に追われていた。
あかねは、鳴っていた電話の一つを取った。
相手は、議会の先輩女性議員だった。
彼女は、議員数の八割を越える男性議員から辞職届が代理人によって届けられた事。
野沢議員の自宅に「怪しい女」が現れて、野沢議員が辞職届を出して「行方不明」になっていること。
自治体の長までが辞職を申し出て、彼女が引き留めるために自宅へ行っても、家族が出てきて「門前払い」になった事などを早口で告げると、
「とにかく、早く庁舎に来て!」
と言うと、電話は切れた。
「いったい・・・・・何が・・・・・?」
彼女はバッグを手にすると、事務所を出て庁舎に向かった。



庁舎も大混乱になっていた。
とりあえず、議場に向かおうとしたあかねを、女性議員達が呼び止めた。
「大変な事になりましたね・・・・・」
どうなるのでしょうかと言うあかねに、女性議員の一人が、
「とりあえずは議員選挙だけど・・・・・」
中崎さん・・・・・と、皆の視線が、あかねに集中する。
「貴女には、この地域のトップになってほしいのよ・・・・・」
皆が望んでいるの・・・・・言われたあかねの体の中に、新たなパワーが沸いてきた。



礼拝堂の中に、朝の光が差し込んでいる。
白く輝く服を纏った美女が、ステンドグラスから射し込む光に目を細めた。
その美しい顔に、微笑みを浮かべると、眩い光が彼女を包み、その姿は光の中に消えていった・・・・・。



学校の聖母シリーズ

ヤジの報い

(おわり)


この作品に登場する団体・個人は、実在のものとは関係はありません。


2014年7月19日 逃げ馬





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