「今日は泊まってくるから」そういい残し王宮に向かったはずが、何故かその日の内に宿に戻ったフィリエルにルーンが真っ先に会いに行こうとしていた矢先。威勢の良い足音が階段を掛け登り、その間さえ惜しいとでもいった調子のノックが響く。
フィリエルに何か緊急事態がと幾分か蒼白になったルーンが元から乏しい表情を更になくすよう努め身を引き締めると、待てない勢いで扉が開かれた。

しかしそこに立っていたのは───
誓いのKiss
「フィリエル」
ルーンにとっては間違いようもない、自分にとってただ1人の女性が息を荒くし立っているのを認め、ルーンは目を見開いた。

姿を認め一度は安堵した気持ちが生まれたものの、彼女の真剣な表情にやはり体を硬くする。

「───何かあったの」


彼女が無事であるということ。
ルーンにはそれが何より大事なことである。ヘルメス党の息がかかった宿屋でもありケインやその他強者どもがひとつ屋根の下に駐在しているとしても、女王候補でもある彼女に様々な危険が降り注ぐことは避けるようもない。それがわかっているからこその緊張が2人の間に生まれ、フィリエルのただならぬ様子にルーンも警戒を解くことが出来なかった。

「何か。何かあったかってそれはあったに決まってるわよ。それとも何?今日は泊まってくると言ったのに私が共に出掛けようといった誘いを断ってここに残ったあなたに、1度出掛けた後にまでもう一度誘いにきたとでも思うの?あなたは1度決めたことを翻さない、頑固者だとわかっているのに」

誘いを断ったことがまだ腹立たしいのか、フィリエルの口調は厳しい。
言葉の内容にルーンは傷つきながら、それでも自制心を働かせなるべくいつもと同じ声を出せるようにと心がけた。

「とにかく───入って」

フィリエルを部屋の内側に招き入れて扉を閉める。
耳を澄まして屋内の気配を窺ったが、それらしき剣呑な雰囲気は感じられない。ケインがまず動いていないことからみても、今すぐこの場に危険が迫っているとは考えられなかった。

少しだけ息をついて扉を閉める。───のに、鍵をかけたのは無意識だった。

「何か危ないめにあったのかい?それとも他に───」

振り返ったルーンが目にしたのは、相変わらず怒った表情で苛立たしげに部屋を歩き回るフィリエルの姿だった。


1度は受け入れたハイラグリオンへの誘いを結局は断った自分に対する怒り───


そうとれないこともないが、フィリエルの怒りが今の今まで続き、そのためだけに帰ってきたとはやはり思えなかった。であるからには何かが向こうで起こったことは確かなはず。彼女も先程口にしていたではないか。

「ああもう…っどうしてそうなのよ」

よく見れば、ぶつぶつと呟くフィリエルからは、危険や脅しに対する憤りは感じられない。むしろただ単純に腹の立つことがあったのだと、幼い頃から彼女をみてきた幼なじみは思った。

差し迫っての危険はないと判断したルーンが脱力してベッドに腰掛ける。

微かに漏れた溜め息を聞きつけて、フィリエルはルーンを振り返った。

「何があったんだ」

問いかけ返ったのは、フィリエルの鋭い眼差しだった。
消えない剣幕に戸惑いつつも、どうやら腹を立てている対象は自分らしいとルーンは悟る。それでも確固とした原因に思い当たらないルーンは、思いついた限りの理由を挙げ連ねた。

「今日の誘いを断ったことかい?それなら今朝も言ったじゃないか。女の子だけの集会に出掛けていく気はないよって。ぼくはもうルーネットにはならないんだ。───君がまたトーラスにでもいかない限り。そもそもあそこはぼくにとって敷居が高すぎる。」
ルーンが何をして王立研究所を飛び出してきたかを考える限りそれは当然のことで、何がどうあってもあの城の床を再び堂々(と歩いていたかは定かではないが)と歩けるわけがない。
ルーンは言ったがフィリエルの眉は開かれず、理由がそれでないとルーンは知る。

「じゃあ昨日君の料理を残したこと?あれはでも…」

手が空いたからと厨房を手伝い夕食作りを手伝ったフィリエルの料理を、ルーンは昨日食べ残している。

しかしフィリエルは首を振り、苛々した調子で言い募った。
「違うわもうっそんなことじゃないってば」

勢いのまま言葉が続けられずにフィリエルは握った拳を上下に振った。その駄々をこねた子供っぽい仕草を何度か繰り返した後、ようやくフィリエルは肩を落として大きく息を吐く。

ルーンに原因がわかるわけがないのだ。
───フィリエルが口にしない限りは。

「…ユーシス様にお会いしたの」

ルーンは若干目を瞠り、だがあり得ないことではないと頷いた。
竜の騎士として英雄の看板を背負ったユーシスが、外交の1つとして他地へ赴いていたことは知っていたが、帰還の日ははっきりとはしていなかった。だからもしかすると、彼女がアデイルの元にいる間に、会うこともあるのではないかと予測していたのだ。

先を視線で促すと、フィリエルは腕を組んでルーンに向き直った。

「聞いたの。あなたブリギオンの軍が南に来ていることをユーシス様に伝えにいった時のこと」

フィリエルノ言葉を聞いた途端、ルーンはさっと顔色を青くした。
あの時は自分なりの必死さで、行動にも言動においても良いところも悪いところの両方があった。そうは認められたとしても、自分でも情けないと思える失態をフィリエルに知られてしまうのは決して心地よいものではない。その最たるものといえば、彼らの前で前後不覚に寝入ってしまったことである。
ルーンからは簡単にしか説明していないのが気に触っていたのか、フィリエルは違う手段で情報を入手したのだ。

「ユーシスのやつ…」

思わず漏れた呟きには、心底悔しそうな色が見えた。

耳ざとく聞き止めたフィリエルが人差し指をたてる。

「それはこちらの台詞よルー・ルツキン。ユーシス様は苦笑しておっしゃってたけど、あたしには納得いかないわ。だってそうでしょう?」

ルーンは下腹に力を入れ、フィリエルが発する次の言葉を待った。

「『許可なくフィリエルにキスしたら殺す』だなんて。何てこというのよ」

続いた言葉にしばし呆然として、ルーンは自分の聞いた言葉を疑った。
それはルーンが予想していたどれとも違い、それ故思考の方向が少しずれてしまったのだ。

しかしやがて正気を取り戻してくると、自分のその主張のどこが彼女の勘に障ったかを考え痛みと同時に腹が立ってくる。
2人で誓ったからこその言葉を主張して何が悪いのだ。それがユーシスだったから、余計に強く強調したい言葉だったというのに。


「本当のことだ」

返す声はもうむっすりとしている。
無論彼には前例があるだけに、その言葉が冗談ともとれない色合いがあることは知っていた。

ルーンの悪びれない不遜な態度に今度こそフィリエルは憤慨した。


「そういう問題じゃないでしょう?小説の中であなたがユーシス様とキスするのとはわけが違うのよ。ルーンは全然わかってないわ!」

再び握られた拳を横目で捉え、しかしそれ以上に気になる言葉をルーンは聞き咎める。

「ぼくとユーシスが…なんだって?」

「私の発言はどうでもいいのよ!問題はあなたの発言だわ」

望む答えが返ってこなかったことに怒りを乗せてフィリエルが怒鳴る。

「それはこっちの台詞だろ。君の発言の方が今は問題だよ」

気になった一言を重ねて問うたルーンの耳に、フィリエルのささくれだった声が届く。

「あなたはキスに誓ったことを忘れたの?」

今度は、ルーンが憤慨する番だった。

誓ったからこその発言を責められ、それを確認させられることに何の意味があるというのだ。

「覚えてるに決まってるじゃないか」

「じゃあどうしてそんな言葉が出るのよ!」

怒り任せに言い放ち、荒い息をそのままにする。。

相手がユーシスだったからだと。
主張しようとしたその瞬間、ルーンはフィリエルの双眸に暗い影が落ちる瞬間を見た。


「…ルーンは、信じてないのよ。あたしのこと」


怒りとは違う酷く静かな声が添えられて、ルーンは瞠目する。

瞳に映ったフィリエルは、酷く傷ついた顔をしていた。


「…私は、確かに誓ったのよ。あなた以外とキスはしないと」

ここにきてようやくルーンは、フィリエルの怒りの本当のわけを知る。

「許可なんて、誰からおりるの。許可があればユーシス様があたしとキスをしていいの。…あなたはいつから、あたしとの約束を信じてくれなくなったの───…」

暗くなった瞳に睫毛が翳る。


あまりに悲しげに意気消沈したフィリエルノ小さな肩にルーンは動揺を隠せなかった。
意図してはいなかった自分の言葉に、フィリエルがそれほどまでに敏感に反応するとは思わなかったのだ。
フィリエルノ気持ちを考える配慮に欠けた言葉だったことを自覚する。


フィリエルを、自分だけのものにしたいと。


その気持ちだけで突っ走り、相手のことを真実考えてはいなかった。
軽々しく出ては行けなかったはずの言葉が、まるで独占欲で焦る気持ちを裏付けているような気分に襲われる。

フィリエルの頬を透明な雫が伝い降りた瞬間、ルーンは彼女を引き寄せ抱きしめた。
抱けば懐に暖かいその少女は、やはり華奢で柔らかい女の子で…

ルーンは心を込めて誠心誠意の謝罪を口に乗せる。
何を言ったらいいかもわからなかった。それでも、少しでも伝えておきたくて、必死に言葉を探していく。

「ごめん…ごめんよフィリエル。」

謝られると余計に胸が痛むフィリエルは、抱きすくめられたままの姿勢で静かに泣いた。

「ぼくは…君をだれにも渡したくなかった。君を不幸せにするヤツは、許せなかった。君にはいつでも笑っていて欲しいから───だから、君の許可なくキスをしたりして、君を悲しませる輩を排除しておきたかったんだ」

ただの牽制だった。
フィリエルの笑顔を、心から願う者としての。

「…信じてる。フィリエルのことは、今までもこれからも信じてるし、君以上に信じられる人なんてぼくにはいやしない。ただぼくが臆病だっただけなんだ。フィリエル、」

ごめん。

謝られるのは、信じていない事実を肯定されるようで痛かった。

けれども飾り気のないルーンの言葉は暖かく、最後に添えられた「ごめん」には、「もうしない」という後悔の色が感じ取れた。


「…信じてね。私もルーンを信じるから」

ぽつりと呟き顔を上げたフィリエルに、ルーンは泣きだしそうな笑顔を浮かべた。

「信じる」
チュっと軽いキスをする。

見つめ合って笑いあい、2人は繰り返し唇を重ねてゆく。



キスで誓った誓いには強い効力があるのだと、
言ったのはもう随分前のこと。
たかがキス。
されどキス。
2人の思いを重ねれば、
いつかは女神にだって、届くかも知れない。
fin

2001/01/11

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