悪戯(H)



 そもそもオレは、松山以上に若林と仲が悪い。
 松山に抱くのは、やることなすこと言い掛かりみたいなちょっかいをかけたくなる感情だが、若林はやることなすこと腹が立つというか、仕種ひとつも不愉快な、そんな存在だ。向こうも同じように思っていることを隠しはしないし、そして、お互い同じようにそんなクソッたれな存在も必要だと思っている。
 ムカツク理由はもうひとつある。アイツは多分、オレの気持ちに気が付いていて、オレがいるとことさらわざとらしく松山に『さわる』。オマエは生まれもドイツかよ、っつーかそういうスキンシップは女を相手にやれ、というくらいわざとらしく松山に触れるのだ。松山は単純で、本能が警告しない限り向けられた好意を疑うということがない。むしろ、ドイツのサッカー情報が聞けるなら喜んで若林の隣に座るし、クールダウンにはこのマッサージが効くと言われば素直に体をさわらせる。ジョンとやらと遊べると言われれば、実家についていきかねない。そしてオレが、そんな風には打ち解けられないと知っていて、若林はわざと松山の耳元でふざけた秘密を打ち明けるのだ。松山が騙されていると思うのは、嫉妬だと自分でもわかるからこそよけいに腹が立った。
 アンタ達、自分らが思うよりずっとそばにいますよ、と若島津は言う。たとえばそれは子犬の兄弟のようなものなんだそうだ。確かに、松山はまだ甘噛みの加減を覚えていない子犬みたいなモンだ。ドついてくる時は自分の拳の硬さをしらないし、蹴りをいれてくる時は自分がプロサッカー選手だということを忘れている。まあそれも、若島津に言わせれば相手がオレの時だけだそうだが。
 サッカーをしている時は、松山と話しているとか松山に触れているとかそんなことを意識したりはしないのに、フィールドを離れた途端、オレは急に無口になってしまう。もともと、あまりコミュニケーションの得意なほうじゃないが、松山が誰かと話していたり、もしくは一人でいても、意識してしまうと何を理由に近付けばいいのかわからない。
 それなのに、アイツは気が付くと新聞を読むオレの隣でテレビを見ていたり、スイッチが切れたみたいにオレの肩にずりおちて寝ていたりする。そしてオレは、こんなふうにオレに気を許した動物はいままでいないことに気が付くのだった。

 宿舎は常に禁酒禁煙だが、試合に勝った夜だけは暗黙の了解でビールが許された。松山なんかは、スポンサーがお祝いにくれたとよく黒ラベルを箱で担いできた。
「この前は悪かったな」
 他の連中が缶から直飲みしているなか、ヤツは気取ってグラスにビールを注いできた。
「次にドイツで会った時は、ちゃんと美味いビールを奢るぜ」
 若林からグラスを受け取った松山は、先日のパーティで仕掛けられた悪戯を思い出し、カッと目尻を染めるとらしくなくうつむいて視線を逸らした。が、グラスに口をつけたとたん、パッと表情を明るくする。
「黒ラベル! こっちのほうが美味い!」
 オレは、ヤツのこういう抜け目のないところが嫌いなんだよ。オレが若林が差し出すグラスを無視していると、松山がそのグラスを奪いオレに突き出した。
「オレらのスポンサーのビールが飲めないっていうのか!」
 なんでもやいやいオレに文句をつけたい松山がグラスをぐいぐいおしつけてくる。オレはグラスを受け取ると面倒くさいので一気に呷った。ぞんざいにグラスを若林の手に戻した時、ヤツはニヤリと笑った。もう遅かった。
「オマエにだけ恥を掻かせたんじゃ悪いからな。今日のパーティの主役はそいつだ」
 若林は松山の肩をぽんと叩くと、岬達のもとへ戻っていた。松山はわけがわからずぽかんとして、オレのほうを振り向いた。
 やられた。多分先日松山が飲んだカクテルと同じものがはいっている。
「部屋に戻る」
 松山がおいとかなんとか言っていたが、オレは無視して一人部屋へ戻った。

 ずいぶん効き目が速いのは、アルコールと一緒に飲んだからだろうか。欲情する理由もなければ、感じているわけでのないのにただそこが勃起しているというのはなんだか不思議なものだ。見下ろしていた、シュナイダーの気持ちがいまのオレにはわかる。
 抜いてもどうせまた起っちまうんだろうし、なによりそれをやってしまうとまんまと若林の罠に嵌まることになるのが面白くない。オレは、朝整えたシーツをはぐととりあえず横になることにした。眠れるはずもないが、そうするよりほかに仕方がない。ひんやりと冷えたシーツが、せめてもの慰めだった。
「日向」
 いつもはドタバタと、なにをするのも騒々しい松山が控えめな音を立てて入ってくる。相部屋でもあるし、宿舎なのでとくに施錠もしていなかったのに遠慮がちなその様子に、鈍感なコイツでもさすがに気が付いたことを知る。松山は、冷えたミネラルウォーターを差し出すと図らずも共犯者になってしまったことへの戸惑いを見せた。が、謝られても格好がつかないので、オレは起き上がり黙ってそのペットボトルを受け取るとさっきと同じように一気に呷った。
 なにか言おうとしてはくちごもり、松山はベッドの横に立ちつくしている。そんなふうに言葉を探すのはいつもオレのほうで、松山にはらしくなかった。シーツに隠れたオレのそこを、直視しようとしては目を逸らしている。
「やられたぜ」
 仕方がないので、オレはシーツをめくってみせた。改めてみるとバカバカしい映像だが、スウェットを脱ぎベッドに入っていたオレの股間は、ボクサーパンツのウエストを持ち上げそうな勢いで張り出している。松山は、一瞬凝視してあわてて視線を逸らした。床に視線を泳がせながら、意味もなく左手の親指を揉んだりしている。汗ばんだその感覚が伝わってくるようだ。
 思うに、男子校で育ったオレ達より、女の視線を意識し性的な興味を隠さなくてはならなかった共学のヤツらのほうが、こういった悪戯に免疫がない。特に松山は、富良野の連中が純粋なアイドルとして過保護に育てたのでなおさらだ。このままそこにいられてもその戸惑いがオレを落ち着かなくさせるので、松山の時と同様、一人にしてくれと言おうとした時、おもいがけず松山が先に言葉をはっした。
「それ、大丈夫か?」
「?」
「オレ、かわりにしてやろうか?」
 松山は、オレから目を逸らしたまま、暗闇に室内の蛍光灯を映しだす窓を睨んでいる。ぎゅっとひきむすばれた唇が、何かを言おうとしてはまたひきむすばれる。
「自分で、さわるの、ツライんだろ?」
 咽喉に熱い塊がつかえたような松山の声は、恥じらうというよりも、ツライ記憶から目を逸らそうとしているようだった。正直、あの時の松山のように熱もないし居心地は悪いがツライというほどでもない。だが悪戯とはいえ、自分以外の誰かが松山にツライと感じるほどの性的な時間を与えたこと、そしてその時間を自分は共有していないことへの怒りを感じた。自分がこれほどまでに松山へ独占欲を抱いているなんて、自分のことなのに気が付きもしなかった。同時に、オレは、一瞬そんな松山の真摯な友情を利用してでも松山に触れたいと思っている自分に気が付き、今日はじめてカーッと頭に血が上るのを感じた。
 後付けの言い訳としては、松山がそうだと思い込んでいるとおり、薬のせいだということにしておきたかった。

 とはいえ、それじゃあお願いしますとパンツを脱ぐような状況ではない。罰ゲームで握らせるような、男子校のノリでもない。オレが、言葉を失ったままベッドに座り込んでいると、松山が向かい合うようにベッドにのりこんできた。
 松山の手がTシャツの裾をためらいがちに持ち上げた時、わけもわからずその手のひらを見下ろしていたオレだが、ボクサーパンツを下げその手のひらにオレ自身を含んだ時、不覚にもオレはビクリと身体を引いてしまった。松山は、手のひらにオレを含んだまま、呼吸も忘れたように動かなくなってしまった。松山の手のひらに跳ね返る脈が、音を立てているような気がする。ドクドクと、そこに熱い血液が集まってくるのを感じる。わずかに身じろいだ時、今日はじめてゾクリと快感が背筋を走り、手のひらに含まれたそこがより硬く怒張した。その感触に、じんわりと滲むように松山の目尻から朱が広がる。
「松山、黙って握られるとよけいツライ」
 オレの一言に、ビクリと松山が体を引き攣らせる。もう、首筋まで朱が広がり、肌は汗ばんでいるようだ。それまで、攣った足をマッサージするような表情だった松山は、ようやく自分がしようとしていることに気が付いたようだった。
「松山」
 自分の中で渦巻く熱い血液が、冷静を装うこの体の中から暴れだしそうな嫌な予感にチリッと火が付くのを感じる。オレが再度うながすと、松山は震える呼吸でひとつ大きく深呼吸し、その手を動かし始めた。
 触れるか触れないかという力で手のひらに含まれ、ぎこちなく上下に、扱くというよりはかすめられることに逆に激しく感じる。ほとんど触れられていないのに、先端から溢れてくる体液のぬるついた感触に、松山はうなじをより紅く染め鳥肌を立てている。もっと、厭らしい音を立てるほど握り込んで強く扱いてほしい。
 松山が手を動かし始めた時、一瞬、頭を下げる松山を想像していた自分に驚いた。松山が『口でする』なんて思い付くわけもないのに、オレは一瞬松山がオレ自身を口に含むことを想像していたのだ。
 この口が。ひきむすばれては、呼吸を整えようと小さくひらかれ隠れるように深呼吸を繰り返す唇が。うつむき、いつのまにかオレの中心に視線を落とし少し伏せた睫毛が、戸惑い瞬く。シャワーを浴びた後なので、松山の硬い黒髪も睫毛の先にサラリと落ちている。Tシャツの襟から覗く深い鎖骨。喉仏。オレの中心を包み込む指先もゴツゴツと長く、触れる感触だってどこまでも男だ。だけどオレは、シャワールームで見たあの腰骨と、乱雑に巻いたタオルから覗く尾てい骨のくぼみを思い出していた。腕と、膝と、ユニフォームに包まれていない部分だけひどく傷だらけで、その背中は日焼けもせず驚くほど瑞々しかった。間違いなく、まだ誰も触れたことがない素肌。
 びりびりと電気のような快感が、松山の指先がわずかに触れるたびに走る。オレは耐え切れず、そのすっかりぬるついた手のひらの上からオレ自身を掴んだ。驚いた松山が、弾けるように顔を上げる。
  そのまま、松山の手のひらごと自身を握り込み上下に強く扱く。松山は、自分の手のひらとオレ自身の間からにちにちとあがる水音に、胸元だけではなく耳たぶまで真っ赤にし、膜を張っていた瞳の中で黒目がこぼれそうに揺れた。驚き息をのんだ唇が小さくひらいていて、舌の淡い赤がわずかに覗いている。オレははじめて自分の理性の限界点というものを知った。それはたしかにぷつりと糸が切れる音がした。
 空いている左手で松山の襟足を掴むと強引に引き寄せる。掴んだ指先にこめられた力とは正反対に、オレの中心を含んでいた松山の手のひらのようにわずかに唇を重ねた。息の止まりかけた松山がオレの唇を見下ろしている。何度か、かすめるようにおうとつをあわせ、松山がぎゅっと目をつぶったその時に、あわせた唇でやんわりと松山の唇をひらいた。舌先をほんの少し触れさせる。ひとつ深く吐いた松山の吐息が熱い。肌を重ねてはいないのに、互いの素肌の熱をたしかに感じた。
 下唇をやわらかく含んだり、そっと唇を舐めながら舌先をあわせたり、オレははじめてのベッドでするようなキスを松山に繰り返し与えた。後ろ髪を強く掴まれているとはいえ、松山が抵抗しないのは、そうすると心臓が止まってしまいそうだからというように見えた。松山の中心には触れてもいないのに、乱れていく呼吸、こぼれおちそうに膜を張り揺れている黒目。オレは、唇を重ねた、というか触れさせたまま右手を再び動かし始めた。そこは、もういつ弾けてもおかしくないくらい張り詰めているのに、薬のせいかイきそうにない。松山と指先を絡め、オレはこのまま終わらなければいいという快感を味わった。松山の手のひらに強く扱かれ、オレの中心はビクビクと痙攣しながら体液を溢れさせ続ける。にちゅにぢゅといやらしい音を立てる手のひらに、松山が恥じらい耐え切れないというように目をぎゅっとつぶり、うつむこうとするのを掴んだ襟足で無理矢理上向かせた。
 フと、松山の中心に視線を落とすと、いつもそのまま寝巻代わりにするハーフパンツの前が張り出していた。絡んだ指先をほどき、ぬるついた指先をハーフパンツのウエストにひっかけると、ウエストがチャコールで地が淡いグレーのシンプルなボクサーの前立てが、張り詰めたその先だけ濃いグレーに染みている。松山はオレの視線の先をたどり、触れてもいないのに張り出し染みを作った中心に羞恥で腰を震わせた。オレは、松山のボクサーパンツを乱暴に下ろすと襟足を掴んでいた左手で強引に腰を抱きよせ、互いの中心を重ね再び松山の手のひらに包み込ませた。
「ひゅ…が!」
 松山が、今日はじめて抵抗の言葉を吐く。オレは、腰にまわした手のひらを背中にずらしながら、もう一度わずかに触れるだけのキスをして松山の肩に顔をうずめた。強引に強く抱き締め、鼓動を重ねながら互いの中心を激しく扱いた。
 松山もしがみつくように左手をオレの背中にまわし、ハッハッと短く繰り返される熱い吐息の間にうわ言のようにオレの名前を呼んだ。ひゅうが、ひゅうがと繰り返されるその言葉は、抗議というよりそれしか言葉をつづれないといった感じだった。
「ッ、ッン!!」
 松山が強く息を詰めた、次の瞬間熱い飛沫がすっかり汗で張り付いたオレのTシャツにかかる。その感触と映像で張り詰めっぱなしだったオレの中心もドクドクと射精した。堪えていたわけではないが、ようやく解放されたオレの性は勢いよく飛び散り、白濁した体液が松山の顎にまでついた。その精液を、ぬるついた親指でぬぐうと弾けるように松山が後ろへ身を引く。中途半端に股関節までおろしたボクサーパンツとハーフパンツでバランスを崩しそうになりながら、ティッシュでぬぐうこともなく慌てて下着を引き上げる。
「あとは自分でしろ!」
 何か声を掛けるべきだったとは思うが、何も言葉は浮かばずオレはけっきょく呼吸を整えるように息を深く吐くことを繰り返すだけで、松山はベッドから転がり落ちるように出ていった。
「クソッ!」
 こんなろくでもない状況なのに、オレの中心はさきほど松山を汚した自身の白濁した体液を思い出し、再び勃起していた。
 オレは、ベッドに倒れ込むと松山の指の感触を思い出しながら夢中で扱いた。

 真っ暗な室内に、廊下の明かりがくっきりと差し込む。いつもは騒がしい松山が、今日二度目の静けさでそっと室内にすべりこんだ。
 隣り合ったベッドの間、立ち尽くす松山がオレを見下ろしているのを感じる。
「悪かった」
 背を向け、タオルケットにくるまったままオレが告げると、松山は黙って自分のベッドに潜り込んだ。
「オマエでも、あんなふうに変になるって、ちょっと安心した」
 松山の言葉の真意がわからず、オレが黙っていると松山がオレと同様背を向けたまま続けた。
「いつも余裕ぶってやがるから。そうじゃない日向を見るのも、たまにはいい」
 松山がオレに抱いている感情が、オレが松山に抱いているようなものではないとしても、今日の行為に嫌悪感を抱いていないということにオレは驚いた。そして、これからはその余裕ぶって見せることがどれほど大変なことかを考えた。
 この時は、松山が自分ではさわれなかった時、オレの幼馴染みがどうしてやったのかも思い付かないくらいいっぱいいっぱいだった。
 若林に仕掛けられた悪戯を、忘れているくらいもう余裕はなくなっていた。






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