熱帯夜

 

 

 

 

 何度も合宿で相部屋になったのに、日向のアパートへ行くのは初めてだった。所属クラブへは通い切れないという理由で日向が借りているアパートは、1Kというかワンルームで、予想通り整然と片付いていた。
「なんだよ」
「いや、予想通りだなーと思って」
 なんだそりゃと言いながら、日向は上着を玄関に後付けしたらしいフックに掛ける。初めから、散らかさないよう算段してあり、計画通り片付けている。
「オマエんち、片付いてると思った」
「最近掃除してねえぜ」
 散らかさないからだろとこぼしながら床にカバンと上着を投げる。
 ほら、オレみたいに片付けられない人間は言ってる傍からこれだ。
 久し振りに同年代大勢と飲んだ後、何故かオレは日向のアパートに泊めてもらうことになった。何人かとタクシーで乗り合わせて帰るつもりだったけど、まだ終電あるからとあっさり帰ろうとする日向が、何故か『オレんち泊まるか?』とオレに呟いたのだ。周りはまだザワザワと盛り上がっていて、日向がオレに声を掛けたことに、誰一人気が付いていなかった。
 オレ達は、ヤツらの盛り上がりに乗じて『じゃ、終電だから帰るわ』と割り勘にはちょっと多い札をグラスの横に置いて席を立った。
 オレは、まるで初めからそうだったというようにオレ日向んちに泊まるからと一緒に席を立った。引き止めるタイミングを与えなかった。
 どの駅で降りんの?とか、どうでもいい会話を途中途中してオレ達は日向のアパートに向かった。下りた駅でコンビニに寄り、ミネラルウォーターを買おうと思い結局またビールを買った。
「おじゃましまーす」
 ふざけた素振りで、誰も居ない部屋に声を掛ける。オレは上着に続き緩めていたネクタイを投げるとズボンも脱ぎ、自分ちみたいに図々しくくつろぐフリをした。
 それがほんの十五分前。

「あー、でも週刊誌の記事みたいなこと言ってるヤツいて驚いた」
 あっと言う間に一本目を空け、オレは冷蔵庫に入れもしなかった二本目のプルタブを引いた。
「大袈裟に言ってみただけだろ」
  日向は、少し笑っているように見える。それは、大人の笑みなのか、少しは酔っているのかオレにはわからなかった。
  その日はプロになって得した話といって、とっかえひっかえヤッてるというヤツの話になった。当の本人がいないので、もはや話の真偽は話題ではなく本当にそんなにヤッてるヤツはこの場に居るのかという話になっていた。
 オレ達がそんなバカ話をしている頃、日向は若島津と反町と、海外組の連中を囲んで話していた。今回は岬が帰国できなかったので、オレは以前所属していたクラブの連中の卓に付いた。
  日向は気が付いていないけど。日向が卓を決めると座席の配置が微妙に変わる。トイレから戻ってくる度に、グラスを持って誰かがヤツの近くに腰を下ろす。オレは日向達が何を話しているか気になって、だけどヤツらの話に入っていくことができなくて、結局日向をオレ達の会話に巻き込んだ。
「経験ナシでもおかしかねえだろ。したことねえヤツのほうが本当は多いんじゃねえの?」
 そう言って、日向も二本目に手を掛ける。
「っつーか、オマエもっとそーゆー話避けるかと思ったぜ」
 言いながらニヤリとこちらを見る。
「どういう意味だよ」
「松山は、潔癖かと思ってた」
  言いながらまるで暑気を払うかのようにビールを呷る喉元が、大きく上下した。冷房を入れたが、日向はまだ少し汗ばんでいる。
「子供だってバカにしてえんだろ」
「してねえよ。っつーか、どうなの? 松山はしたことあんのか?」
 いきなり核心を突かれ、思わず言葉に詰まる。
「そんなのっ…オマエには教えねえ! ッつーか、オマエはどうなんだよ!」
 ああ、と日向がどうでもよさそうに答える。
「したといえばしたけど」
「いつ!」
 一瞬、自分の声がマジに聞こえたんじゃねえかとドキリとした。
「高等部ん時、数学の先生」
「ええ?!」
 乗り出すオレに、別に隠さずおしえるってと日向が続けた。
「副担だったんだけど、呼び出されて、放課後準備室で」
「学校で?!」
 オレは、日向だから気になるのか先を越された同級生の好奇心なのかわけのわからない勢いで先を促した。そこからは、酔っていることにしようかとフと考えた。
「ヤばくねえの? オマエなら、記事として売れるんじゃねえ?」
「そんな人じゃねえし」
 その言葉に何故かムッとしてしまったオレに、どう受け止めたのか日向は続けた。
「いや、議員サンと結婚して退職したから。記事んなって困るの向こうだし。いい人とかいう意味じゃなくて、遊びだったんだよ、あの人は」
 オマエはどうだったんだよと言いそうになったその時、
「オレは好奇心」
 そう日向は言い放った。
 それからちょっと会話しづらくなって、『何、羨ましいの?』と日向がちょっかいを掛けてくるまでオレは新聞のTV欄を見たりしていた。チャンネルを変えても深夜放送はどれもどうということはなく、唯一海外リーグの勝敗情報にだけ見入って、オレ達は三本目を空けることをヤメにすることにした。
 それだけは持ち歩いている歯ブラシで歯を磨き、着替えを持っていなかったのでシャワーは辞退しようと思ったが、日向がボロボロのパジャマを放って寄越した。一回脱いだパンツまた履くのなんかヤだなというと、さらに割りと真新しいボクサーショーツを放って寄越したのでやぶれかぶれでシャワーを浴びた。北海道には無い梅雨でじっとりと汗ばんでいたので、結局は思いのほかサッパリした。ベッドにもたれかけ唯一床に投げられていたサッカーマガジンを読んでいると、日向もシャワーから出てきた。日向はボクサーパンツにTシャツを着ただけだった。
 ペットボトルから直接水を飲む、その喉を汗か水滴が伝わる。
 何故か日向は一瞬沈黙していた。
「客用の布団まだ買ってねえんだ。セミダブルだし、一緒でいいか?」
 本当は、タオルケットを借りて床かソファーで寝るつもりだったのに、オレは日向がいいならいいぜなどと返事をしていた。

 

 

 

 

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