Warp(裏)








 勿論、遠征中ずっとそんな事を考えていた訳ではない。そりゃあ、代表に選ばれた時は正直真っ先に考えた。(なんて言ったらあのサッカーバカは怒るんだろうけどな)
 松山に押し倒され掛けたあの後は、バカバカしくて久し振りに大笑いをしてから再び飲み始めた。そこからは、二人、堰を切ったように話し始めた。それまでのどこか空々しかった世間話のような話題ではなく、世界のサッカーについて、現在のJリーグについて、お互いのサッカーについて、そして抱いている夢を・・・夢なんて、本当は抱いていること自体普段は認めたくなかった。夢は夢、オレが欲しいのは現実の勝利でそれは松山も同じ。先のことなんかどうでもいい。ただ、いまこの時の勝利が欲しい。
 だけどオレ達だって、酔いに任せて胸に溜まった思いをブチ撒ける夜がある。後で思い出すのも恥ずかしいくらい、お互い饒舌になっていた。結ばれた喜びが結局サッカーという形で溢れ出すなんて、らしいと言えばらしくて笑ってしまう。
 まあそんな訳で、気が付くと色気もクソもなく転がった空き缶を間に、まるで駅前で眠り込む酔っ払いのように朝を迎えたのだった。
 松山の冷蔵庫は相変わらず空っぽで、「飯と納豆があればいい」という言葉通り賞味期限が保たれているのかもわからない調味料がぽつぽつとあるだけだった。が、お互い二日酔いの一歩手前で朝飯という気分でもなく、これだけは買い置きしてあるミネラルウォーターを流し込んで、午前中をダラダラと転がり過ごした。
 天気が好い日に、こんな風に松山が寝転がるソファーに寄り掛かり、TVもつけずただラジオの音だけで過ごす時間はいままで見たすべてのドラマや映画の結ばれた者達の時間を思い起こさせた。そしてそのすべてより、勝っているとオレに確信させた。体は触れていなくても、同じ室内に居るというそのことが、同じ空気を共有しているというそのことがオレの心を満たしていく。床に腰を下ろしソファーに寄り掛かるオレの背中に、微かに伝わる松山の体温。多分、他の者達から見ればそれはオレが思い起こしたドラマや映画と変わりなかっただろう。だがそれは、オレにとって未知の世界を知りそしてその先へ踏み出した初めての瞬間だった。

 しかし、いま思えばあの時に勢いでもいいから抱いてしまえばよかったと後悔せずにはいられない。スヤスヤと寝息を立てるでもなく、深い眠りに落ちている同室者は、まるであの時のキスこそが夢であったとでもいうようにあれから昼も夜もざっくばらんな同輩でしかなかった。
 正直、『そんな事』を思い描いたのは知らせを聞いた最初だけで、遠征中はメンタルにもフィジカルにも試合だけにすべてが集中していた。部屋に戻りゃあ、毎晩ストレッチを終えるまで瞼を開けているのが精一杯なくらい、特に選抜メンバーで今回多少偏りの出てしまったDFの松山は、選抜メンバー同士熾烈なレギュラー争いを繰り広げていた。思い出すと自分のストイックさに驚きではあるが、オレは現地入り初日、昼間の練習で軽い痙攣を起こした松山の脹脛をマッサージしてやる時でさえまったくそんな事を考えていなかったのだ。
 だが試合の緊張が解け、無防備な姿で肌掛けから足を投げ出している松山を目にしたいま、突然再出現したその状況に呼吸が数秒止まる。後からシャワーを浴びたオレが室内に戻った時には、ベッドサイドのフットランプを残し部屋の照明が落とされていた。松山は洗い髪も乾かさないまま、倒れるように眠り込んでいる。オレの見ている前でゆっくりと寝返りを打つと、いつの間にかその幅を増した広い肩の、肩甲骨の深い影が寝巻き代わりのTシャツに落ちた。
 松山が好んで着る洗い晒しの白いTシャツ。そんなものにさえ欲情を覚えるのだから終わっている。
 オレは、それまでの流れも何もかも無視して衝動のまま突き動かされることにした。
「松山」
 勿論返事は無い。仰向けではないから、その胸の動きすら追うことができないが松山の反応なんかお構いなしだ。
「松山、起きろ」
 ユサユサと肩を揺する。うう、と小さい唸り声がして重たい腕で薙ぎ払われる。
「オイ、ヤろうぜ、これでまた暫く会えねえだろ」
 初めてにしてはムードもへったくれもないが、マーキング代わりにオレを抱こうとした男だ、この際構わねえだろう。大体、そんな余裕は無い。
「松山」
「ウルサイ、ねむい、」
 呂律の回り切っていない、それにしては力強い声で松山が拒絶の言葉を吐く。起きていようがいまいが関係ねえ、いくらコイツが鈍くてもコトの途中には目覚めるだろうと思い仰向けに返すと力一杯跳ね除けられた。
「ウルセエっつうの! 眠いんだよ!」
 不機嫌な声を荒げると、松山は寝返りを打ち再び背中を向けてしまう。
「松山」
 セックスがしたくないなんて愛が無い、などと子供じみたことは言わないが、オレの中では妄想で思い描いていた行為が何故かハッキリと目覚めてしまった。松山が、欲しい。
「松山、オレは我慢できねえ」
 背中を向けた、その肩を掴む。強く。握り締めた手のひらに、松山の体温だけではなく自分の熱も籠もっているかのように、そこは熱く湿度を持っていた。フと、赤みの差した耳朶に気付きベッドサイドのスタンドを点ける。
 フェイントをかけ、一度力を抜いた手のひらでもう一度仰向けに返すと、驚いた松山の真っ黒な瞳がスタンドの僅かな明かりに揺れていた。
「オマエ・・・起きてたんじゃねえの?」
 カーーッッと、頬の赤みが全体に広がる。
 眠った振りをして、本当はオレと同じくらい初めての夜を意識していた松山。オレと違うのは、そこに衝動というきっかけが存在しなかっただけで。
「シャワーの音聞きながらこうなること想像してた?」
「だ・・・っれが!!」
「起きてたんだろ?」
 松山が、悔しそうに唇を噛む。否定したいのに頭に血が上り言葉が見付からないといった風情だ。そんな様子でさえオレの欲情を煽り続ける。
「遠征先が初めてなんてオレ達らしいじゃねえか」
 オレのほうも、言い包める言葉を探しながらドサクサに紛れて松山を脱がしに掛かった。
「テメッ! なに圧し掛かってんだよ!」
「そうだな、脱がしずれえな」
「そういう問題じゃねえ!! ヤるんならオレが先だ!」
 松山が、オレが考えないようにしていた問題を再び突き付ける。わかってはいたことだが、松山が大人しく男に抱かれるハズがない。
「どっちだっていいじゃねえか。じゃあ順番だ、オマエは次な」
 勿論松山にヤらせるつもりは無かったが、そんなことはオレにとって問題じゃなかった。要は、いま、できるかどうかだ。
「なに勝手に決めてやがんだ! フザケんな!どけ!」
 まだ着替えを身に付けていなかったオレに、掴み掛かる部分を見付けられなかった松山は容赦も無くオレの髪を掴むと近付くオレの顔を遠ざける。次に来るのは膝蹴りだとわかっていたから、オレはちょうど関節の辺りに重ねるように膝を乗せ、バランスの悪いスプリングの上でありながらも松山の動きを拘束した。
「じゃあオマエ、オレのこと抱きてえのかよ」
「え?」
 不意を衝かれ顔を上げた松山の、左手を掴みオレの股間に導く。有無を言わせず自分でも驚くほど熱くなっている自身にその手のひらを宛てがった。
「オレは、抱きたい。もう引き返せねえよ」
 本当は、それでも拒まれれば引き下がるカクゴがあった。ガキじゃあるまい、セックスできないからって相手の気持ちを疑うほどバカじゃねえしな。
 だが、正直松山の手のひらを感じるだけでオレのソコは硬さを増した。ドクンッと脈打ち、その脈動が確実に松山の手のひらに伝わっただろうと思うと一瞬宛てがう手のひらに躊躇してしまう。
「な・・・っ」
 怒ったように、寄せられた眉根と揺れる瞳が堪らなかった。
 オレは、言葉を失ったままの松山の両肩を掴むと、そのまま唇を重ね荒々しく貪った。まだほんの二度しか重ねていない、松山の唇。その唾液さえ甘く感じた。嫌がるように小さく身じろぐ松山を押さえ付け、角度を変え何度もより深く合わせる。息苦しいのか、鼻から抜ける吐息が二人だけの暗い室内に響いた。その、想像よりも甘い響きにオレの中の熱が一気に加速する。
 もどかしく腕に引っ掛かるTシャツを諦め、トランクスを引き下げると対する松山は諦め切れないのかいつもの馬鹿力で押し遣ってきた。
「ッザけんな! オレだけ痛い目に遭うのかよ!」
 薄紅に染まった目元が、本当はオレの嗜虐心を煽る。だが、それは目的でない。
「じゃあ、痛くしねえから」
「ああ?」
「最後までしねえから、ヤらせてくれよ」
 オレは、松山の答えを待たずに松山自身を握り込んだ。まだ緩く熱を持つ程度のそれを、間髪を容れず滾るような自身と重ね合わせる。
「ひゅう・・・っ!!」
 言葉を最後まで綴ることすら叶わず、松山が鋭く息を呑む。引き攣ったようなその呼吸に合わせ、肌蹴たTシャツから覗くすべらかな腹筋が痙攣するようにビクッビクッと震えた。
「ちょっ・・・、ヤメッ・・ッ・・!」
 本当は、この波打つ臍の辺りから下半身にむしゃぶりつきたいくらいだ。オレは、左手の下膊を松山の耳の傍に置き上半身を支えると、互いの茎を右手で握り込み上下に扱いた。
「・・ンッ・・ッ!」
 感じ入ったような声を上げてしまった自分に、思わず松山が顔を背ける。引き結んだその唇から、もっともっといまのような声が聞きたい。
 シーツに押し付けた右目をギュッと瞑り、それでも流されまいともう片方の目を必死に薄っすらと開けている。が、生理的なものなのか瞳と同じく真っ黒な睫毛が涙で滲み濡れていた。
 正直言って、メチャクチャ色っぽい。
 オレは、松山が意図する前にイッてしまうよう、多少強引に扱き続けた。ガキの頃みたいに、後でヒリヒリするんじゃないかという思いがチラリと過ぎった。オレのほうからはドクドクと先走りが溢れ、松山自身と重なりクチャクチャと厭らしい音を立てる。親指でその先端を拭い、松山自身の亀頭に糸を引くように塗り付けると、ドクンッと松山の茎が脈打ちその分硬くなるのが感じられた。敏感な先端に傷付けないよう爪を立てると堪え切れず咽喉の奥から喘ぎ声が零れる。
「ンンッ・・!」
 これ以上耐え切れないといった様子で、松山がオレの肩を掴む。引き寄せるように肩口に額を押し付けられ、いつの間にか互いにびっしりと汗を掻いていたことに気付いた。濡れた肌の感触が、余計に性欲を煽る。
 オレの腰はもう本能そのままに動いていて、互いを握り込み扱き続ける手のひらの下で自身を松山のペニスに擦り付けていた。頭の隅で、辛うじて残っていた冷静なオレがまるで動物じゃねえかと嘲笑う。腰を浮かし、互いのカリが引っ掛かるように前後に動かす。手のひらは、もうどちらのものかわからない体液でグチャグチャになっていた。
 松山は短く息を吐きながら時々息を詰め、それでも堪え切れず咽喉の奥から喘ぎ声を零した。鼻から抜けるようなその響きは、オレ自身に直接響いた。ハッハッと短く繰り返されるその呼吸を聞いているだけで、オレは夢にまで見た松山を抱いている錯覚に陥ってしまう。
 いつの間にか松山も無意識に腰を動かし、頂点を目指していた。オレも限界が近かったが、松山を先にイかせなくては格好が付かないので歯を食いしばり射精を堪える。
「・・ンッ・・ッ、う、ァッ!」
 勢いよく松山が射精し続いてビュビュッと出たオレの精液が、松山の顔に掛かったのではないかと一瞬血の気が引いたが、それは松山の胸元に松山の精液に混じり散らばっていた。白濁したトロリとした体液が、上下する胸のラインに沿いゆっくりと流れる。中央の窪みに溜まりまたそこから流れ落ちる様子に理性が吹っ飛び掛けた。
 暫く沈黙のまま、互いの荒々しい呼吸だけを耳にする。というか、息が上がり声を掛けることができなかった。
「松山」
 松山はまた顔を背け横顔をシーツにうずめたまま、こちらを向いてくれない。
「・・・悪い、松山、怒ったか?」
 怒ったどころではない、嫌われたのではないかと突然我に返り思考が働き出す。常識的に考えて、いまのオレの行動はオカシイだろう。ガキじゃねえとか言いながら、理性だの何だのという言葉が意味を伴わないままブッとんじまったオレの中を通り過ぎただけだったんじゃねえのか?
「松山」
 掛ける言葉も思い付かず、ただ名前を呼ぶ。
「松山」
 オレの呼び掛けを無視し、黙って起き上がった松山がベッドを降りようとする・・・ものだとばかり思いその腕を掴み掛けたその時、グイと髪を掴まれそのままキスされた。オレの口元を見詰める伏せられた睫毛の濃さにドキリとする。松山は、時々本当に驚くくらい色っぽい表情をする。松山はオレの口元を見詰めながら、丹念に唇を舐めとりその裏にまで舌を這わせた。松山のキスに、オレはその腕を掴もうと上げ掛けた手を下ろし、ゆっくりと額を擦り合わせた。ちょっと泣きたかった。
「しようぜ」
「何だって?」
「だから、最後までしようぜ」
 怒ったように、松山が吐き捨てる。だけど照れた時に薄紅に染まる目元が、そうではないと言っている。
「なんか、このままで終わったら変態みたいじゃねえかッ。なんか変だこんなセックス・・・っ。・・から、・・最後まで、する」
 最後の語尾が掠れて、オレの好きな松山のハスキーな声が低く響いた。
「オレが、してもいいのか?」
 唇を触れる程度に重ね、強請るように問い掛ける。
「そのかわり次は絶対オレだ」
 言われながら、なんとなくこれからも松山が抱かれてくれるような気がした。オレは、さっきまでは性欲だけで熱くなっていた自身が、じんわりと別の熱を持ち始めるのを感じていた。
 数分前までのガツガツした自分が別人のように、オレは松山の肩口に顔をうずめ、その耳朶に、首筋に、鎖骨の窪みにキスをする。
「くすぐってえ、サッサとヤれ!」
 オレの柄でもない甘いキスに耐え切れず罵声を浴びせる唇を最後に塞ぐと、ゆっくりと手のひらを焦がれ続けた肌に這わせた。

 結局盛りがついたガキと大差が無いことを証明してしまったオレは、ただでさえフル出場で体力を消耗していた松山を、翌日立てなくなるまで抱いてしまった。バスを待つ僅かな間もソファーに腰を下ろし、上睨みにガンをつけながら松山は帰国した。『風邪を引いて機嫌が悪い』松山を、下手に構う新参者もいないメンバーだったので、疑う者は誰もいなかった。
 オレはといえば、どんなにガンをつけられようと緩みそうになってしまう口元を引き結ぶ為、必要以上に眉間に力を入れていた。暫く毎晩マスを掻いてしまいそうな自分には我なが呆れ果てるが、それ以上考えると思い出して勃ってしまいそうなので車窓の風景に無理矢理意識を集中させた。初めての夜は知らないうちに霧雨の朝を迎えていたが、いまは晴れ渡り灰色の雲は名も知らぬ丘陵の向こうに追い遣られ、コントラストも鮮やかな青空が広がり始めていた。








END



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