大宰府天満宮分院は、受験を控えた学生とその親たちでごった返していた。
神頼みするよりも、単語の一つも覚えたほうが受験の役には立つだろうと思うのだが、実際、啓介の高校受験前に神頼みに来て、合格してからはそのときだけの神頼みもよくないだろうからと、つい通ってきてしまっている高橋涼介である。
啓介といっしょの初詣は別に出かけることにしているから、今、ここにいるのは涼介ただ一人だ。
さすがに受験前には一緒に来たのだが、さて、今年は学業成就を特に願う年でもないとなると、眠っている弟を起こしてまでつれてくることを躊躇ってしまったのである。
「一応、大学も入ったことだしな」
ひとりごちて、人ごみに混じる。
熱心に願を掛ける人が多いのだろう、列は遅々として進まなかった。
けっこうな時間をかけて、ようやく本殿に参拝する。
人ごみの流れるままに札所へと向かう涼介の耳に、不意にその声は入ってきたのだ。
「あ、アニキ、見つけvv」
振り返ると、人ごみの中に啓介が、息を切らして立っていた。
「ふっ・・・・・・啓介、寝てたんじゃなかったのか?」
涼介の口元に微笑が浮ぶ。
「母さんにきいたら、アニキここだって。追いかけたらアニキに会えそうな気がしてさ、来ちまった。でも、本当に会えるもんだなvv」
この人ごみである。普通は待ち合わせでもしない限り会えないだろうが。
携帯電話は電波の状態が悪く通話不能だ。めったなことでは繋がらない。
横に並んだ啓介の髪を涼介はくしゃっと撫でた。
「結構な確率だと思うぜ??この人だかりだしな」
「じゃあ、俺たちって、やっぱ、運がいいんだぜvv」
啓介の言葉に、涼介の口元の笑みは深まった。
「・・・・・・少なくともオレは運だけではないな」
少々意地悪な笑いにではあるが。
「へへ、俺さ、目、いいもん。たいがいさあ、アニキのこと見つけられるぜvv」
啓介の動体視力は峠で実証済みである。涼介もそれを否定はしない。
「まぁそれはオレにとっても好都合だな」
笑う啓介の表情には邪気がない。
「内緒だけどな」
大切な言葉を言うように、啓介が声を顰めた。
「なんとなくだけど、アニキのいるところって、わかるんだ。ダチにいったら、嘘だって言われるけどさ」
照れたように鼻先をこする。
「・・・・・・それぐらい当たり前だろう?」
涼介は軽くいなした。
「俺だってお前のいるところぐらい大抵見当がつくぜ?」
そのときの涼介の心中は、啓介の行動はおおよそ予想がつくといったものだったのだが。
「アニキも、俺を見つけられる??それって、すげえぜvv」
啓介は破顔した。
啓介が笑えば、涼介も嬉しくないはずがない。
「そうだな・・・中々お互い見つけられる人間はいないだろうな」
涼介の指先が啓介の髪をなでる。
「 へへっvv」
されるままに、啓介は兄に寄りかかった。
「 啓介・・・・・・重いぞ」
啓介の行動にちょっと目を見開いた涼介の手はそれでも離れなかった。
「あ、そろそろ、お参りしなくっちゃなvvいこうぜ、アニキvv」
参拝がまだだという啓介にしたがって、涼介もふたたび本殿へと足を向ける。
「ここさあ、交通安全のお守りも売ってっかなあ」
人ごみに逆らおうとする啓介に、涼介は声をかけた。
「おい、啓介・・・・・・転んでも知らないぞ??」
ぱっと啓介が振り向く。
「じゃあさ、手、つないでてくれな」
臆面なく差し出される右手に、少しばかり涼介は照れた。
「あんまりこの年になって男同士で手繋ぐのもな」
啓介らしくてほほえましくはあるのだが。
「だってさあ、はぐれたら、わかんなくなっちまうぜ、きっと」
さっきと言っていることが違うが、たぶん、啓介は気付いていないだろう。
「それにさ、この寒さじゃん、手ぇつないだら、あったかいぜvv」
言いながら啓介が涼介の手を握り締め、自分のコートのポケットに突っ込んだ。
「あれ、アニキ、手えつめてえじゃん」
もともとそう体温の高いほうではない涼介の手は、啓介の手よりも温度が低い。
そうして、啓介のコートのポケットは母親に持たされたカイロで暖かかった。
啓介の言うことにも一理ある。
「ん??今日は手袋をしてないからな・・・・・・まぁ平気だと思ったんだが・・・・・・」
ポケットの中で手を握る。
「そーだろ、俺の言うことはさあ、正しいんだvv」
啓介は兄の手を握り返した、体温を移すように。
涼介が啓介の耳元に唇を寄せた。
ようやく届くだけの声。
「いつもとは限らんがな・・・・・・」
笑う息が、啓介の耳朶をくすぐる。
「ちぇっvv」
啓介は肩を竦めた。
頬が赤くなる。
照れ隠しのように大きく一歩を踏み出し、行き違う人に肩を押されてバランスを崩した。
もちろんだが、手をつないでいる涼介も。
だが、地面に尻餅をついたのはあろうことか涼介だった。
兄の胸に抱え込まれるように抱きこまれて、庇われる。
「あ、アニキ・・・・・・ごめ・・・・・・」
言葉が途切れたのは、涼介の唇が啓介が体勢を立て直そうとした弾みに、彼のそれに触れたからだ。
初詣の神社、大勢の人ごみに紛れてのハプニングに、啓介は硬直した。
触れるだけのキス。
そう、偶然。
ほんの、かすめただけ、そう、当たっただけ。
ただの事故・・・・・・
そう思い込んで、涼介の立ち上がるのを手伝う。
足元を確かめていた涼介が、その顔を上げた瞬間の表情を見て、啓介は先の考えをすべて打ち消した。
「アニキ、わざとかよ」
涼介は、口の端を上げるだけの笑みを、更に深くしてから、少しだけ目を逸らした。
「啓介、チャンスはモノにしろって、教えただろ」
転んでもアニキはアニキ。
実感した、元旦である。
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