ボクと里菜りんの出逢い

最近チャットやら掲示板とかで出会うファンの方々に聞かれて、ボクは常にこう答える。ライヴDVDからだよ。と。
しかし、それは真実を表しているわけではない。話せば長くなるから話さなかった。それにさらっと言える事でもない。
出会いは人それぞれであって、どの出会い方がよくって、どれが悪いなんて事はないと思う。
ファンであるという事に誇りを持てるようになれれば出会い方や時期なんて関係ないと思っている。
もちろん、応援のスタンスや日常生活云々なんていうのは関係ないだろうし、そういうのでゴチャゴチャ言うのも言われるのも気に入らない。
とまあ、前置きはこのくらいにしておきまして、ボクがどうして愛内里菜と出会い、ファンになっていったのかっていうのを書いていきたい。

まず、話し始める前に言っておかなければならない事がある。
ボクは完全なるメタル人間なのです。大学時代なんていうのはメタル聴いている時間ばかりだった。その派生でV系音楽も聴いていた。
ライヴといえば、地元のライヴハウスでインディーズのV系バンドを見る事だと思ったし、BGMなんていったら、それこそメタルだった。
購読している雑誌なんてバーンやフールズメイト、ロッキンFなどである。FMでメタルの番組聴いて、車でメタル聴いて。
部屋にあるCDなんて、メタリカから始まり、アイアンメイデン、スレイヤー、ハロウィン、アングラ、ストラトヴァリウス、ソナタアークティカ、ラプソディなどなど挙げればキリがない。
雑誌についているようなメタルポスターを部屋に貼り、卒論ですらメタルについて書いてしまった、それがボクなのです。

しかしながら、ボクはオーパラ以降のCDはなぜか持っているのです。おかしな話でしょう。周りには上記のメタルCDや、ピエロやディル、ラファエルなどのV系CDしかないのに。
その一角になぜか愛内里菜コーナーがあるんですよ。この当時はファンではない。だからなお一層不思議でした。
それには理由があるのです。ボクはCDに一ヶ月で4万くらいお金をかけてました。大学生時代は。
ほとんどがメタルやV系にです。
それで、ある時友達と遊びあるってる時に、店内放送か何かで流れていた音楽、それがオーパラだったんですよ。
このノリの良さに、店員に聞いて買ってみたのです。
そこから、このアーティストだけは抑えておこう、みたいな風潮になったんですよ。だから、持ってるわけです。

さて、話は先に進みますが、2002年にボクはとある会社に入社しました。かねてから楽で地元の企業をと思っていたので、自分の思い通りでした。
さらに嬉しいことに入社して、何日か後に、ボクはCD担当をやる事に決まって、CDの補佐という立場で仕事をできる事になったのです。
正直言って、当時はいい事が多かったと思います。何をやっても良かった、そう考えてます。
しかし、そういう状況ってのは長く続かないものなのですよね。
俗に言う五月病っていうのは、こういう環境下に起こるものなのだな、って感じました。
社会人になってから、時間に余裕がなくなり、彼女の相手をしなかったため、彼女とは別れる事になった。
さらにはCDの仕事を知れば知るほど、自分の思い描いていたものと違いショックを受けた。
そして、それに追い討ちをかけたのは、ボクの直接の上司という表現はおかしいが、いつも共に仕事をしていた正CD担当の方の異動が決定したのだ。
ボクからしてみれば、慣れない環境の中で、一番接して、一番仲良くしてくれた先輩がたかたが1ヶ月の付き合いでいなくなってしまうなんて。
突然襲った孤独感と無力感。もちろん、入社して一ヶ月の男が正CD担当になるなんてありえない話。
それをしなければならない責任感にも押しつぶされそうだった。急に状況が変わり、ボクは本当にきつかった。
今でもその時期を思い出すと苦しくなる。苦しくて苦しくて、それなのに誰も手を差し伸べてくれない。
仕事をやめるつもりは無かったが、とてもモチベーションが下がっていた時期だったのだ。

そして、ボクが正CD担当になってから、初の新譜展開の日がやってきたのです。
わからない方の為に、少し解説しておきますが、CDの発売日は水曜日が普通なのです。そして、入荷日は火曜日になるのです。
だから、CD担当にとって火曜日というのが最大の見せ場なわけでして、その日の為に、普段の作業をしているといっても過言ではありません。
開店よりも2時間前に店に入り、指示書をチェックする。そして、その指示を見ながら、商品を配置していく。
つまり、どこどこにどれを出すという指示は来ていますが、それをどのように出すのか、どんな順番で出すのか、というのは担当のセンスなわけです。

今までは正担当の先輩の後について、先輩のセンスを聞きながら出していたわけですが、今回はそうはいかない。
今回は自分のセンスを他の補佐の方に伝えながら、やるしかないのだから。ボクは非常に悩んだのだった。
うちの店は平台が4つあるのですよ。そのうち一つがDVD、一つが洋楽、そして、二つが邦楽用で毎週切り替わるものなのです。
補佐の人にとりあえず平台以外を任せて、ボクは平台を作り始めたのです。
5月14日。
これがボクの初のCD担当としての大仕事だったわけです。

平台の邦楽のサブの方はさらっと作り上げる事ができる。それは、決まったスタイルを先輩が残していってくれたからだ。
メイン平台、これには決められたスタイルも何もない。あるのは本当に台だけである。
その無地のキャンパスにボク色を塗っていかなきゃならない。本当に悩みに悩んだ。
これをどのように作っていけばいいのか・・・、人はどうやってたんだろうか・・・。
そんな事を考えてると、とてもブルーになった。自分にはまだまだ早かったんじゃないか。こんな大仕事。
店長とかに助けてもらおうか、それとも諦めちまうか。そんな考えにまで至ったほどだ。

そんな中、開店前に店内放送チェックをしたわけです。店内放送用のCDをデッキに入れ、流してみたのです。
その時流れていた音楽、とてもノリの良い音楽だった。しかも、聴いたことのある声。
ようやく知ったのだった。メインで出そうとしているCDが愛内里菜である事を。それまでは全然考えてなかった。
そう、見てくれだけ気にして、問題の中身をチェックしてなかったのだった。本当に基礎すらできてないのだった。
POWER OF WORDSの音楽にのって、ボクはアイディアが浮かんだ。
ノリの良さとタイトルの表す意味を考え、自分なりに個性を出せたんじゃないかな、と思う。
ふんだんにあった販促物を利用し、極力派手にしてみた。インパクトのあるジャケ写も強調してみた。
それだけではダメなのでもう一工夫をしてみたわけです。まあ、それはボク流なので、パクられない為にもここでは書きませんが。

いざ、開店してふたを開けて見ると、思った以上の売れ行きだった。次から次へと購入される。
もちろん、開店してからも、ボクはせっせと作業を推し進めた。一応午前中にその他の新譜の展開を終える事ができた。
昼休憩の後、ボクはレジに入りつつも愛内里菜を宣伝する為の作業を行い続けた。
天吊りや店外にポスター。色々なものを使ってのPOP作り。
初の大仕事を終え、ボクはとても満足していた。
そして何よりも店内放送に助けられたという気がしてならなかった。

愛内里菜が言葉の力を表現したのだったら、ボクは平台で無言の力で客に訴えていたわけです。
言葉の力と言葉じゃない力との融合がボクの平台で行われたんじゃないかな、なんてその日の仕事を終えたあと考えていたりした。
今まで腐りかけてた自分を打ち破る事ができたと思った瞬間だった。
やりゃできるじゃん、って。孤独なのも研修ソコソコで正規の担当になったのも自分自身の事なんだから、自分でなんとかしないと。
行動しないで死んでるんじゃダメだ。どうせ死ぬなら最後まであがいてやる。

そして、翌週のオリコンを見てもらえればわかる通り、POWER OF WORDSは1位になったわけです。
うちの店も一度品切れになるくらい売れました。ボクも1位に貢献したんじゃないかな、なんて思ったりしてます。
そのご褒美に、ボクは始めて裏技を使ってCDを手に入れたのでした。
うちに帰ってみると、いや、普通に可愛いって思ったし、曲もすごく良かった。
それで数日後にDVDを見るためにPS2を買ってきて、発売日になぜか買った#1を見たのだった。
なぜ、プレイヤーもないのにDVD買ったのかは突っ込まないでくださいね。

そこからファンになったっていうのが、ボクの基準での境界線だと思います。
じゃ、なぜ人に聞かれたら、ライヴDVD見てからだ、って答えるのか?っていわれそうですが、それはボクがFCに入るきっかけになった時ですから。
何か、形があるもののほうが伝え易いでしょ、実際。
だから、そうやって言っているのですよ。

まあ、今となったらただ単に良いからファンになったんだって思えるけど、あの日、ボクがCDを並べてなかったら、そのままだったんじゃないかな。
ここらでくだらない昔話はやめにしよう。

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