終夜






世にいう世紀の大怪盗が世間を騒がせる度に、とある名探偵は常に現場に赴く。
それは、決して警備を要請されたからではなく、彼自身が望んでの行動。

相変わらずの警備の杜撰さに頭を抱えつつも、要請のない限り決して口出しをする事はない。

彼は、独自に逃走経路を割り出し……常に不遜な態度で姿を現す怪盗の行方をひっそりと確認するのに留まっていた。
別に確保したい犯人ではなかったから、無闇に出張っていらぬゴタゴタを起こすつもりは毛頭ない。

彼は、彼の興味を満足さえ出来れば構わなかったのだ、それまでは。


しかし。


こうして間接的に怪盗の姿を追い続ける関係は、既に限界を超えている。

工藤新一は、思った。

だからこの奇妙な2人の距離を、ほんの少しだけでも縮める必要があるのだ、と。


それは、彼自身すら分かり切っているほどの陳腐な言い訳。
しかし彼が心密かに危惧している『ある事』を確かめる為には、どうしても必要な事だったのだ。








自己顕示欲の強い犯罪者は、どういう訳か高い所がお好きなようだった。例に漏れずあの神出鬼没な大怪盗も良く高い所に姿を現した。

我が物顔で夜空を支配し自由に飛来する様は、きっと己こそが真の支配者とでも思っている事だろう。
しかし、奴は所詮チンケなコソ泥でしかない。


今まで奴の逃走経路の割り出しで、新一は一度たりとも読み間違えたことなどなかった。
だから、今夜も仕事を終えた怪盗は意気揚々とこの場所に姿を現すだろう。


この……廃ビルの屋上は、人気も明かりもなく姿を隠すには絶好の場所だ。

おそらく、この場所を頭に入れて逃走経路を練ったに違いない。
奴の侵入経路から見て間違いないだろう。

時刻は、予告時間を既に5分経過している。
ならば、そろそろこちらに姿を現すはずだ。

軽く一仕事を終えた罪を覆い隠すように身にまとった純白の犯罪者のお出まし……。




風向きが、僅かに変わった。

夜目に目映いほどの純白の怪盗が、彼の待つビルの屋上に──今、降り立つ。




「………おや、珍しい人がお出迎えですか?──名探偵殿」

背後の気配に気付いたのか、その怪盗はさして驚く風でもなくそう言い放った。
相も変わらずその不遜な態度は崩してはいない。

「驚かないとは、少し残念だな。怪盗KID」
「いえいえ、驚かない訳はありませんよ」
そう言いながら、KIDは新一の方を振り返る。

「何時もは決して姿を現してはいただけませんでしたからね。………私が仕事を終えると、貴方は常に私の逃走経路上で待ち構えていた。しかし、今までただの一度だって姿を見せてくれた事はなかったではありませんか。………私はこんなにも恋こがれていたのに、ね」

「……へぇ」

「私のこの想いが通じたと思っても、構わないですよね。……名探偵」

全ての乙女を虜にするとでも言うような微笑を湛え、怪盗はゆっくりと新一に向かって近付いてくる。

時折風が吹いて、彼のマントが華やかにはためいた。

「貴方とこうして出会える事を………私はずっと願っていた」

ただ立ちつくすだけの新一に向かって、KIDは一歩また一歩と歩み寄ってくる。
そして、そんな彼の態度を止める事もなく、新一は近付く白い影をじっと見つめていた。

その口元には、うっすらと笑みを浮かべて………。



「へぇ……、オレも願っていたぜ?……お前とこうして出会えるコトを」
「それはそれは、喜ばしい」
微笑みを深くして間近にまで迫ったKIDに新一は両手をポケットに突っ込んだまま見据える。

手を伸ばせば相手を捉える程の距離を置いて、KIDは立ち止まった。

「逃げないのですか……?」
新一のその動じない態度に戸惑ったのか、KIDが尋ねる。
そんな相手の問いに、新一は不遜とも取れる笑みを浮かべた。

「逃げる……?逃げるのは、お前の方だろ?怪盗KIDさんよぉ」
捕らえる者と捕らわれる者の区別がついていねぇんじゃねーの?

「何………?」

「だってそうだろ──ほら」



新一の片手がすっと伸びたかと思うと、それはKIDの肩へと掛かりそのまま後方へ押しやった。

「え──!?」

彼の突然の行動に動きが一瞬遅れた時には、KIDの眼は満天の星空と対面していた。

強引な様で、あくまでスマートに押し倒された身体は、防水処理を施されたアスファルトコンクリートの固い床面に静かに横たえられる。
あまりにも突然の事に大きく目を見開き、何度も瞬きをするその瞳を覗き込むように、新一の顔が重なった。

「しん…………?」
「オレを甘く見るなよ、KID。……オレが何故、今夜に限ってお前の前に姿を現したのか理解出来るか?」

深く澄んだ蒼い瞳の奥が怪しく輝く。
その間にも、相手が抵抗出来ないように要所要所を的確に押さえ込んでいく。

まるで白く優美な蝶を縫い止めるかのように……。


「……さて……?」
内心の動揺を隠してか、その口調はKIDは涼しげだった。

「へぇ………。こんなコトをされても、理解らないんだ……お前は」
抵抗する風もなく横たわったKIDに吐息がかかる程に顔を近付けて新一は囁く。


そしてその囁きは笑みへと変わる。


新一のその冷えた指先が、そっとKIDの頬を撫でる。
「この顔って……ホンモノ?」

滑らかな肌触りは、決して変装した作り物の皮膚ではない事を新一に伝えている。


「お前はどう思う……新一。……何処かで見た事ある顔か……?」


「ああ…………オレにソックリ」

光栄なコトだよ。
そう言って笑うと、新一の指は彼の頬を滑り降り、首筋へと移動する。
……そして、きっちりと締められいる緋色のネクタイに触れ、暫く弄んだ後に、しゅるりとほどいて見せた。


「お、……おい、しんい……」
解かれたネクタイに続いて、濃紺のシャツのボタンをも一つ一つ怪盗に負けず劣らずの器用さで次々と外されていく様を目の当たりにして、ようやくKIDの表情が変わり始める。


「何だ?……今更だろ?こんなコトはさ」
くすくす笑みを浮かべながら、ジャケットとシャツのボタンを全て取り払うと、外気にその白い肌を晒す。


「一度、脱がせて見たかったんだ。……その反吐が出る程の気障な格好を引き裂いてやりたかった」

「ふ……ん。ま、『たかが泥棒』に翻弄される象徴だからな、この格好は」
屋上の冷えた空気がKIDの肌を滑る。思わず身をすくめそうになるが、それを持ち前の精神力でやり過ごすと、新一を見据える。

「よく言う……」
ほんの少し忌々しげに吐き捨てると、新一は、KIDの晒された肌を撫で上げた。

「…………」

首筋を指先でなぞるように鎖骨へと降ろしていく。そしてそのくぼみをそっと辿り、今度は掌全体で彼の胸を撫で上げる。

ゆっくりと慎重に撫でるように触れていく。衣服で隠れている場所も押し広げてなぞる。

新一の指がKIDの脇腹に差し掛かった時、ふいに震えを感じた。

KIDが身を震わせたのではない。………新一の指先が、僅かに震えている。


「…………?」


不審に感じたKIDがそっと視線を動かすと、思いの外真剣な表情をした新一の顔が窺えた。

「新一……?」

様子がおかしい事に気付いたKIDが声かけると、新一ははっと我に返り相手を見つめた。

先程まで、彼の身体を弄んでいた新一の瞳が、微かに揺れている。
その頬にKIDはそっと手を伸ばす。
「どうした……?」
何を悩んでいるのだろう。真摯な瞳の奥に見え隠れする憂いにKIDは心を浚われる。
頬に触れた指先が伝えてくるのは、微かな震え。

「新一」
もう一度、はっきりと彼の名を呼んで彼の瞳を見つめる。
すると新一はふいに目を伏せて、そっと脇腹を撫でた。

「これ……」

小さく呟くその声に、KIDは彼が何を言いたいのか、ようやく気付いた。
丁度彼が触れている箇所は、数ヶ月前に自らの不手際の所為で付けてしまった傷。

己の敵が警察だけではないと改めて思い知らされた、銃創。


ああ、これは。
確か、探偵が最近珍しく現場に訪れた最初の夜。
彼の前に姿こそ現さなかったものの、その存在はしっかりと気付いていたKIDの意識が新一の方ばかり向いていたあの夜。

「あの時……お前、オレを見てた」

どう考えたって、KIDの方からは見えるはずのない位置にいたのだ、新一は。
彼の方からだってその姿は僅かな隙間からしか確認出来なかった。
なのに怪盗は正確に新一のいる場所に視線を向けていた。

その時だった、夜を裂く微かな違和感を感じたのは。
彼が僅かにバランスを崩したのが見えた。
コンクリートに何か固いモノが撥ねるような感じがして、よもや彼が撃たれたのではないかと感じた。

新一のいる場所からは、何が起こったのかはっきり理解出来なかった。
慌てて現場に向かったが、その時は既に怪盗の姿はなく、周囲を隈無く探してみたがコレと言った痕跡は無かった。

コンクリートの床面に残る僅かに抉れた跡以外は……。


そしてそれを見た時、急速な不安に駆られたのだ。

姿がないと言うことは、大した事態にはならなかったのだろう。
その後、怪盗KIDの活動に変化はなかった。

コンスタントに姿を現す彼は相変わらず警察を手玉に取るような鮮やかさで獲物を手中に収めていたし、その動きには微塵の乱れもなかった。

だけど、不安は消せなかった。


彼は何の為に宝石を盗んでいるのだろう。
彼は一体、何を探しているのだろう。
どうして彼は前時代的な目立った活動を行うのだろう。

……そして。

彼の敵は本当に『警察』だけなのだろうか。


目立つ衣装で人々の前に現れるのも。
世間に自身の存在をアピールするのも。
正義とは反する行動を続けるのも。

彼がおびき寄せたいのは、そんな公僕などではなく、もっと別の……。


彼は、警察や世間や新一が思っているような存在などではないのかも知れない。
警察なんかより、もっと危険なモノに狙われているのかもしれない。
否、むしろ─────。


そう思ったら、居ても立ってもいられなくなった。


「オレなんかに気を取られてて……オレはお前に傷を付けた」
震える声で、震える指先で、そっと跡を辿る。

「オレがあの場所に行かなかったら……こんなモノ付けずに済んだのに」
新一の好奇心が、他人を傷付けた。

それが堪らなく辛かった。



「新一…」
項垂れている新一の髪をKIDはそっと撫でた。
半身を起こして、そのままじっと動かない新一を抱き込むように引き寄せる。

「……お前、そんな事考えてたんだ」
「……そ、そんな事って」
「心配すんな。……大した事ない。この傷はお前の所為なんかじゃないし、お前が思っているほど危険な事に首突っ込んでる訳でもないから」

だけど……と、抱き込んだ腕に力がこもる。

「ずっと……オレの事、思っててくれたんだ」
あの時からずっと。
「だから、何時もオレに会いに来てくれてたんだ」

矛盾した行動。
彼は、自分の所為で怪我を負わせたのにも関わらず、現場に赴く事を止められなかった。

それは、怪盗の気を逸らさせない為に二度と姿を現さないと新一が決断出来る程、彼が安易な相手ではなかったという事。

「……迷惑な行動だっていう自覚はあった」
新一は、ぽつりと呟く。
「でも、行かずにはいられなかった」
無事な姿を見たかった。
警察に捕らえられるのならともかく、もし何かしらのトラブルが起きたらと思うと、じっとしてはいられなかった。

無事に仕事を終える怪盗に心の奥底でほっと安堵してるなんて、本当は認めたくなかった。


そして何より、あの時の微かに空気を切り裂いた銃声の事を確かめたかった。
安心……したかったのだ。

それらの全てが自分勝手な思いと知りながら…。



新一は、KIDの顔をまともに見つめる事無くそう告げると、ほっと息を吐いた。
張っていた気が緩むように、その両肩が僅かに下がる。

「そんなに……気になってたんだ」
だから、あれ以来頻繁に来ていたんだ。

近くにいるだけで、決して姿を現そうとはしなかった探偵。



新一は居たたまれなくなったとでもいうように、KIDの腕から逃れるべくその胸を押し退けると立ち上がる。
そして彼もまた立ち上がり、新一と視線を等しくする。


KIDは思う。
本当は……ずっと前から向かい合いたかった。
同じ場所に立ちたかった。遠くじゃなく、もっと近くに来て欲しかった。
例え彼が自分を捕らえようとする為だろうが構わない。
きちんと自分を見て欲しかった。


「私のこの想いは……とっくの昔に通じ合っていたんですね。……名探偵」

「キッド……?」

「そうでしょう?」
彼は微笑みを浮かべ、新一に手を差し出す。
「私は、ずっと貴方が好きでした。………貴方も、私の事を想っていてくれていたのですよね」

冗談でも遊びでもからかいでもなく、真摯な瞳で見つめてくる彼に、新一は眼を見開いた。
そんな事、本気で言われるなんて思いもしなかったと、新一の瞳は告げていた。

だって、一度だってマトモに向かい合った事もなく、遙か以前にあった僅かな邂逅の数々は、皮肉で嫌味な言葉の応酬に費やすだけで、なのにこんなにも相手が気に掛かって堪らなくて、切なくて。
だけど、そんな風に考えていたなんて………自分でも絶対に思いたくなかった事。

好きだという感情は、気付きたくなかった。知られたくなかった。

それは、相手が敵だからとか犯罪者だとか男だから、などではなくて、実体のない幻に対して、勝手に懸想しているような女々しさを認めたくなかったから。


他の誰よりも狂わされている事実に気付きたくなかったから。




まるで時間が止まったかのごとく微塵の動きも見せない新一に、キッドは微苦笑を浮かべた。
キッドは、自分の気持ちを間違う事はないし、その現実から眼を逸らす事もない。

ずっと以前から気になって、気になって。彼に関する資料を片っ端から集めたのは、手強い好敵手に対抗する為だけではない。
だって、キッドは彼以外にも追いつめたいと願っている探偵達には見向きもしなかった。相手を強く知りたいと思ったのは、目の前の探偵だけで。

仮に彼が探偵でなかったとしても、己が怪盗ではなかったとしても……例えば街の雑踏の中すれ違っただけでも、きっと好きになっていた。
夢中になっていたはずだという根拠のない確信が、彼にはあった。


だから
「新一……気持ちを聞かせて」
思っているだけじゃ、伝わらない。
好きとか嫌いとか、想いは推し量る事は出来るけど、きちんと確かめさせて。
本当の真実を知りたい。

「キッ……ド」
小さく彼を呼ぶ声は呟きに似て、それは容易く夜風に連れ浚われる。
「……何?」
露を含んだ湿った風は、群青色の空へと舞い上がる。
「………言ったら……迷惑にならないか」
躊躇うように尋ねてくる彼にキッドは微笑う。

「貴方がそう思うのなら……私の方からその迷惑、押し付けてあげますよ」



その言葉に、新一はようやく安心したような笑みを見せて、伸ばされた彼の手の上にそっと自らの掌を重ねた。





その夜。彼等の関係は、ほんの少しだけ進展した。






END






NOVEL

2001.06.15
Open secret/written by emi

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