「ファーター、ファータァ本当に?!」
期待が疑念を振払った瞬間のJr.の喜び様といったら。
今しがたまでの消沈ぶりなど何処ふく風、たちまちほころぶJr.の笑顔の、これと引き換えにならどんな犠牲をも払わんとの悲壮な決意さえさせかねない、薔薇色の輝き。まったく無邪気な喜び様はそれを承知の手管とも思えなかったが、天使のというよりはむしろ魔的な、甘やかな毒を含む艶めいた美しさだった。
万華鏡の幻想のごとく変化する息子の様子を、暫くは思案気に見下ろしていたブロッケンマンだったが、手を延ばしてJr.の小さな顎をとらえると、ついとそのまま上向かせた。為すがままのJr.の恍惚。
どのみち今夜の集まりには、あまり乗り気りでないブロッケンマンだったのだ。どうと云う事はない。あとで適当に詫び状の一つも入れておけば済む事。
今夜招待を受けた夜会の主催家では、今年社交界にお目見えしたばかりの18の娘をやもめのブロッケンマンの嫁に押し付けようと必死で、あからさまな売り込みぶりは傍目からも滑稽な程だった。彼も普段は極力この家を避けてはいたのだがあまり不義理も出来ぬとて、形ばかりに招待を受けた経緯である。
独逸は栄えある名家の出自で政界にも押し出しの強い、資産家のやもめ。しかも音に聞こえし美貌の余禄付きともなれば、妙齢の娘を持つ親なら誰でも血眼になろうと云うもの。
唯一難点と云えば11〜12歳になる息子が一人居たはずだが、まぁ、さしたる問題はなかろう。良家の子弟を預かる寄宿舎などいくらでもあるのだ。
父に心服し絶対服従を崩さなかったJr.が面と向かって駄々をするのも、あるいは、そんな噂をどこかで耳ににする事があったのかもしれない。
しかし。とにかく、Jr.のわがままは通ったのだ。
父に対して影響を及ぼしえた自分が誇らしく、また、うれしかった。
父はそっと彼の顎をとると、そんなJr.が産まれて初めて聞く柔和な低音で囁きかけ、彼の恍惚に更なる拍車をかけるのだった。
「今夜は一緒に晩餐をとろう、久し振りに。時間がきたら知らせをよこそう。部屋へ戻って支度をおし、さぁ」
こんなに優しげな声色で話しかけられたのは、本当に初めてだった。その音楽的な響き。狂喜に身震いがして全身粟立つのが感ぜられた。ファーターは他の誰にもこんなにやさしい声をかけたりしないのだと。自分だけが、自分だから、ファーターにそうして話し掛けてもらえるのだと。自分は特別な存在なのだと。
「行っておいで、Jr.」
---ファーター
僕だけの---
躍るような足取りでその場を走り去るJr.の後ろ姿を、ブロッケンマンの目が追っていた。
その瞳のほのぐらい光。
続く
段々とアヤシイ展開になってまいりましたよ。
次か、その次あたりに1話目との辻褄が合う予定です。予定ですが。
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