in the rain
教室の内も外も薄暗い。
平次は窓に叩きつける雨を見て、溜息をひとつ吐いた。
土曜で午前授業、しかもあと10分程で終わりだというのにこんな空模様では部活も帰宅も全てが憂鬱だ。
(折角の半ドンちゅうのになあ)
授業終了まであと少し、という事もありクラスは早く終われという空気で澱んでいる。
教師は何とか抵抗しているようだが。
もう一度窓の外に目を遣ると、鮮やかな赤が見えた。
(……傘?)
校門の柵の隙間から、赤い色が見え隠れしている。
やけに低い位置で。
(子供でもガッコ見てるんかいな)
ふらふらと赤は左に右に揺れている。何とはなく眺めていると、不意に傘の位置が垂直に上がり柵よりも高くなった。
傾けた傘の奥から、知った顔が見えた。
「―――!?」
授業中という事を忘れて思わず大声を上げそうになり、手でぎゅうと塞ぐ。
(毛利の姉ちゃんが、なんでおんねん!?)
頭の中で大音量で叫ぶ。東京に居る筈の彼女がどうしてこんな意外な場所に出現しているのか。
(……って事はや)
先刻の低い位置でふらふらしてた、傘の持ち主は。
後5分。後5分で授業が終わる。
苛つきながら外を見る。
おそらく、何かのついででちょっと寄っただけなのだろう。
だったら長居する筈は無い。
くるりと傘が翻った。後ろを向いた。
もう待てない。
「センセ、ちょお便所!」
「―――服部!?」
澱んだ空気が弾んだが、構ってる暇は無い。
教室を飛び出し、昇降口へ駆け出した。
「……やっぱり、授業中だったねえ。ここの学校って完全週休二日じゃないんだ」
「仕方無いよ。おじさん待たせちゃってるし、早く戻ろ」
「でも、コナン君、会いたかったんじゃない?」
「………」
傘を差し掛ける蘭に、小さな新一はふいと視線を逸らす。
たまたま小五郎の仕事で近くまで来る用事があって、だからちょっと平次の学校を見てみようと言い出したのは蘭だった。
あいにくの雨で学校は霞んでたけれど、まあ学校なんて似たような作りだよねと言いながら校舎を見ていたのは新一だった。
柵も傘も眼鏡も邪魔で、ついでに何階の何処に居るかなんて推理のしようも無かったけれど。
―――来たからには、ちょっと姿が見たかった。
(じゃなかったら、見つけてくれるかも)
ちょっとだけ、そう思っていた。
淡い期待はあっさりと外され、雨がより失望感を重くする。来なきゃ良かったと思いながら駅への道を辿っていると、背中で水音がした。
水の跳ねる音が段々と近づいて来る。
「―――……どう!」
「……!!」
「服部君!ちょっと、びしょ濡れよ!?」
呼ぶ声に、新一は振り返ろうとする。
急ぎたいのに、まとわりつく空気がそれを押しとどめている。
「……全力疾走してきたさかい……」
「だからって、傘も差さないで……上靴のままじゃない!」
「やって、待っててくれたんやろ?教室から見っけて、慌てて出てきたんや」
「見つけてくれたの?こんな雨だし、しょうがないかなって思ってた。ね、コナン君?見つけてもらえて良かったね」
やっと振り向くと、雨を全身に浴びた平次がしゃがんでこちらを見ていた。
梳くように頭を撫でられる。水気を含む髪と指が、少し絡んだ。
「あーあ、もう、お前も濡れとるやん……」
「お前程じゃねーよ」
顔も撫でられた。水の粒が温かい指で肌に引き延ばされる。
訳も分からず、狡い、と思う。こんなに優しい目を間近で見ると、つい逸らしたくなる。
逸らそうとしても頭も顔も固定されてて目だけを動かしたのだけれど。
「―――探してくれて、ありがと、な」
「……探してねーって」
「クラスは二階の手前から二番目。席は後ろらへんの窓際やから」
「もう来ねえよ」
囁き声でのやり取りが気になったのか、蘭が傘を傾けながら内緒事?と聞いてきた。にこりと新一は見上げ、すかさず演技をする。
「ううん。そんな事ないよ。ところで平次兄ちゃん、授業大丈夫なの?先生に叱られたりするんじゃない〜?」
「ああ、そんならもう、ほれ」
授業終了のチャイムが波うちながら聞こえてくる。
「で、昼メシどうする?俺旨い店知ってんのやけど」
平次は立ち上がると、全てクリアしたとでもいうような満面の笑みを浮かべて聞いてきた。おそらく学校に置いてきた荷物とか、靴とか、その他諸々は今奴の頭には無いのだろう。
「え?ホント?私達お昼食べたら帰ろうって言ってたの。お父さんとは駅で待ち合わせなのよ」
「そしたら丁度ええ、店は駅周辺やし。ほな行こか」
傘を持った平次が、意気揚々と歩き出した。
前髪の辺りに雨が落ちてきた。
風向きに合わせ、うまいように傘を傾けようとするがどうしても誰かが濡れてしまう。
「やっぱ、三人はちょっと無理やなあ……なあ姉ちゃん、この傘持ってや」
「う、うん」
「俺はコイツ持つから」
振り向いたついでにしゃがみこみ、新一を抱え込む。
「え!?ちょ、ちょっと!」
軽く抱え上げると、開きの空いた学ランの片方を頭から被せた。蘭がなるほどー、と感心する。
「これで濡れんやろ」
「俺はモノ扱いかよ……」
「まあまあ、駅着くまで我慢しいや」
学ランの隙間から手を差し込み、頭にそっと乗せる。
「とにかく、会いに来てくれて、ありがと、な」
「……礼言われる筋合いは無いってーの」
「礼は受け取っておくモンやで?」
「こっちだって……まさか、見つけられるなんて」
新一の頭に乗せた手に、小さい手が触れた。
「……サンキュな、服部」
睦み事の様な囁き声は、斜め後ろから傘を差し掛ける蘭には聞こえそうにない。
本当に仲良しなのね、という感想は持ったにしても。
end.