黒河に架かるは白い橋
交差点の青の点滅に慌てて駆け出した新一の足が止まった。
人の激しい往来に流されそうな一人の子供。
その不安に揺れる表情が、そこから意識を振り切るのを躊躇わせた。
白線前の歩道に戻ると、先に駆けていった平次が気付いたのか途中で振り返った。
しかし信号はもう赤色だ。目で合図すると彼は中央の安全地帯で足を止めた。こちらを見て、何してるんだという顔をしているが仕方が無い。
次の信号で戻って来るだろう彼を余所に、ようやく人の流れが止まった所を見計らって新一は信号下の子供の方へと歩いてゆく。
一人で居る子供を誰も気にする様子はない。子供も、辺りを気にする様子はなく目の前の何か、を見ていた。
「……何してるの」
子供だった頃のクセが直らない。見上げて来た子供に、しゃがんで目線を合わせた。
「渡りたいの?」
こくり、頷いた。長いツインテールがぱさりと揺れた。
「じゃ、青になったら渡ろうな」
「――」
もう一度頷いて、けれど表情は曇ったままだ。
警戒心を解こうと新一は笑んで、子供の頭を撫でた。今車の波に浮かぶ島に取り残された彼が良くしたように、けれど意識してもっと柔らかく。
「どうしたの?」
あのね、と彼女は言った。小さな声だけれど、意を決したかの如くにはっきりと。
「あのね、しろいところしかふんじゃいけないの」
「――え?」
目の前の白線の連なりを見て喋っているという事は、横断歩道の話だろう。
「白い所だけ……黒い所は駄目なんだ?」
「かわはふんだらおぼれちゃうの。しろいはしをわたるの」
「河に架かる白い橋――ね。けど、皆普通に渡ってたよな?」
「みんな、かわもへいきなくつだから」
「……へえ」
つまり彼女は横断歩道の白い所だけを踏んで渡りたい――渡らなければならないらしい。
けれど子供の歩幅ではどうしても間に合わないだろう。だから一人で渡るのを躊躇していたのか。
立ち上がる。信号が変わった。
再び溜まった人の波が動き出す。
走って戻って来る平次を確認して、取り残されるのかと脅えた子供に微笑んだ。
差し出した手が強く握られる。
「じゃ、俺が向こうに渡るの手伝うよ。ほら」
言うと、彼女の顔がいっぺんに晴れた。
手を繋いでひとつづつ渡ってゆく。子供は白から白へ飛び移るように移動するからどうしても歩みはゆっくりで、直ぐに平次が側まで来た。
「……何しとんねん」
「橋、渡ってんだよ。な?」
「うん!」
「はし」
どのハシなのか決めかねるアクセントで怪訝そうに呟く彼に新一は笑んだ。
「ほら、お前はそっちの手持つ。白いトコだけ渡るんだよ」
「――成程、そういう事か」
「そういう事」
「なっつかしいなあ、俺もそんな遊びしとったわ」
「――だよな」
そう。白い飛び石だけを踏む遊びは、子供の自分だってやっていた。
どこまで彼女が黒い河と白い橋を信じているかは謎だけれども、空想を直ぐに覚ますよりも渡り切るまで付き合おうと思う。
それに。もう片手にはもうひとり、子供と同じ顔をして笑っている彼が居る。
きっと自分も似たような顔をしているのだろう。
「ほい、浮島とうちゃーく」
「一時休憩、だな」
一人増えて安定度は増し速度は少し上がったものの、それでも交差点の途中で信号は変わった。
島に取り残された人間は今度は三人だけだった。
息を上げながらも笑っている子供に、平次がしゃがみ込んで頭を無造作に撫でた。
新一は彼女のツインテールが乱れるのを気にしてそこまでしなかったのに、お構い無しで。しかも子供ははしゃいでいる。
少しくやしくなって彼の頭をそ知らぬ風で小突いた。
「何やねんな――」
「向こう岸まであと半分。今んとこ大丈夫だろ」
「うん」
「ひとりでどこまで行くんや?」
そういえば、何も聞いていなかった。彼女の名前すら。
とすると、先刻から車の音に紛れながらも聞こえてくるあの名前は。
「――ママ」
「え」
子供が振り返る。
同じように後ろを振り返ると、こちらに向かって大声で叫んでいる女性がいた。
おそらくは、母親。
「――やば」
「この状況やと……男二人で幼児を誘拐?」
冷や汗モノの空気がたちどころに蔓延する。
それを無視して駆け出そうとした子供を止めた。
「ママ――」
「こら、危ない!」
再び青になるまで何とかあやして、平次が抱きかかえるように連れ戻った。
傍目には絶対に怪しまれていると分かっていたけれど。
明確な釈明と、警察に知り合いがいるという事まで持ち出して子供の母親に事情を諒解してもらい、未成年者略取は免れた。
母親も子供の懐きように、逆に申し訳ないと言った表情で辞儀をした。
「この子を見失ったのは私ですから……お手を煩わせてすみませんでした」
「いえ、こちらこそもっと確認をするべきでした。申し訳ありませんでした」
「いいえ、こちらこそ……それでは、失礼します」
「じゃあね、おにいちゃん!ばいばーい」
「ああ。じゃあね」
「さいならー……何や俺達。阿呆みたいやん」
両肘を上げて伸びをする平次に苦笑する。親子は信号とは反対方向に去って行ってしまった。
「結局コッチ来る用事も無かったみたいやしな。くたびれ大儲けや」
「だな。ま、事件の当事者にならずに済んだし、良しとするか」
「せやな。さー、今度こそ渡り切るで」
幾度か見た青色が、再び光った。先に歩き出した彼の足元に新一は目を遣る。
「……服部」
「どしたん」
振り返った平次に、足元の黒い河を指差した。
「お前、土左衛門」
「――おわ!?」
片足浮いて身動きの取れなくなった彼にお先、と笑いかけ、新一は悠々と白だけ踏んで渡り出した。
end.
18910御礼、テーマは「迷子に懐かれる(困りながらもちゃんと相手をする)」でした。
秋さま、早々にリクエストのお題を頂いておりましたにも関わらず……ここまで延び延びになってしまいまして……
大変長らくお待たせしてしまいました。申し訳ありませんでした。(>_<)
新一さんコナンだった頃に子供の気持ちを掴む術を得たんだろうなあと思いながら書いておりました。
ちょと疑似家族な感じで楽しかったです。 とはいえ秋さまに楽しんでいただけるかどうかは……どきどき。
リクエスト、ありがとうございました。