永遠の子供 <the eternal child>


 

<V>

 

 紅い布の洪水に顔をしかめる。床にぶちまけられただけでなく、干されている数多くの紅でより圧迫される。
 思い出さないようにとしても溢れ出す、あの夢。
 幸いな事にあの夢で紅に埋もれた当人は今、此処には居ない。
 それを幸いと思うのは薄情やな、とは思う。実際此処に埋もれて息絶えた人が居るというのに。
「……苦しさの余り、倒したんやろか」
「染めた布を干した竿、をか」
「せや」
 言いながら平次が鏡也の遺体に近寄った。とぐろを巻いている紅い布の隙間を歩く仕草に、小五郎が慌てる。
「お、おい!一応、布も触るんじゃねーぞ」
「わかっとるって、オッサン。……服毒死―――やな」
「……おそらくは。外傷はとりあえず見えないし、染料には劇物もあるっていうからな」
「まさか、こんな事になるなんて―――」
 絳河が青ざめて呟く。
「鏡也も死ぬ事は無かっただろうに……」
「絳河さん、貴方もしかして」
「ああ……毛利さん、こうなったらもう隠していても仕方が無い。私は最近の作品の盗難、彼がした事だと思っていました」
 項垂れた絳河を抱え込んでいた弟子達が、突然の告白に驚きの声を上げた。
「ええ!先生の作品が……盗まれてた?」
「鏡也さんが……そんな」
「君達にも黙っていて悪かった。毛利さんは実は私が雇った探偵でな、密かに調べてもらうようお願いしていたんだ」
「………」
 あまり嬉しくない注目を浴びた小五郎は、居心地の悪い顔をして頷いた。
「しかし、毛利さんに言う前にまず私が問い質そうと思っていたから、夜の9時にここに来るよう言っておいたんだ」
「まだ21時前……それは二人だけで決めた事なんやな?」
「ああ。ここなら私一人しか居ないから、気兼ね無く話が出来ると思って……しかしまさか」
「先生」
「問い質して、もし非を認めても追い出すつもりはなかった。彼の才能は私が一番認めている。私の作品を盗もうとしなくても充分やっていけた筈だ」
  複雑な表情をして黙り込んだ三人を横目に、小五郎は青ざめている紅莉を見た。
「紅莉さん、あなたの携帯に入っていた、彼からのメールには何と」
「……”もう先生に顔向け出来ない。けじめは自分でつける”……と」
「確かに彼からだったのですね」
「ええ。彼のメールアドレスを登録していますし。何でしたら、彼の携帯で確認なさって下さい」
 メタリックシルバーの携帯が遺体の側に転がっている。
 二つ折りにされている為、画面までは見えない。
「それは警察が来てからやな。……ん?あの携帯、アンタんのと同じ型と違う?」
「そういえば、似てるな」
「そうなんです。一緒に買いに行ったら、二人共同じ型のモノを気に入って。お互い譲れなかったので、私色を塗り変えたんです」
「その携帯、預からせて頂いても構いませんか」
「はい……あ」
 スーツのポケットを探った紅莉は、携帯が見当たらない事に気付いて少し狼狽えた。
「あ―――”紅の部屋”に落としたまま、そのままです」
「じゃあ今、持って―――」
「これでしょ」
 部屋の入り口でコナンが袋をかざした。中に、黒い携帯が入っている。
「今、黄莉ちゃんの介抱の帰りに”紅の部屋”に寄ったんだ」
「おお、それだ―――ああ、バッテリーの蓋が壊れてしまったんだな。だが……液晶部分は大丈夫なようだ」
「バッテリー飛び出してたけど、はめ込んだらメールも見れたよ」
「おおそうか―――ってオモチャじゃねーんだ!大事なメール消えちまったらどうする!」
「ごめんなさーい!」
 殴ろうと上げた手から、コナンは咄嗟に平次の後ろに隠れた。
 服の裾を掴んでいる所は子供っぽいが、ぐいぐい背中を押す仕草は小五郎をなだめろという事か。
「まあまあオッサン、ボウズのする事やし。なあ」
「全く、いつもいつも……」
「コナン君……黄莉は」
「平次兄ちゃんが運んでいった部屋でぐっすり寝てるよ。今は蘭姉ちゃんが見てる」
「ありがとうございます……この部屋には入ってはいけないと言い聞かせてましたのに」
「黄莉ちゃん、どうかしたの?」
「紅いモノを見ると発作が起きるの……10年前に母が亡くなった時から」
 紅莉の言葉を聞いた絳河が過敏な反応を見せた。
「紅莉!それは今関係の無い話だ」
「―――済みません」
「………」
「黄莉の様子を見て参ります」
 居たたまれなくなった紅莉が部屋を出た。
 沈黙に、これ以上此処に人が残るのは望ましくないと小五郎は判断した。
「ああ、皆さんここを立入禁止にしますから……その、自殺かと思われますが、警察が到着するまで……絳河さん、お辛いでしょうがお立ち会いいただけますか」
「はい……」
「剣司さん、珠明さん。あなたがたは応接間に居て下さい」
 呆然としながらも二人は頷き、部屋を出た。見送った小五郎が振り返り、睨む。
「……お前らもだ」
「はーい」
 先刻の件もあるのでここは素直に返事をした。
「ほな行こか?遺体は俺が見といたし、現場検証ん時にまた訊けば良いやろ」
「ああ、―――ん?」
 頷いたコナンはキラリと光るモノに目を引かれた。
 床に転がる、黒光りしている小さなカケラ。最初は金属片に見えたものの、ハンカチで包んで拾い上げると軽く、金属独特の臭いもしない。
 くるりとカケラを回すと、銀色の面が現れた。
「工藤、何やソレ?」
「……何だろな」
 そのまま、小さいビニール袋に落とし、ポケットにしまった。どうという事は無いかもしれないが、何かが引っ掛かる。
 もう一度ぐるりと部屋を見回し、廊下に出た。
 考えながら歩いているコナンに、平次は話し掛けた。
「なあ、この事件お前はどう思う?」
「お前こそ」
「俺?俺は十中八、九自殺やな」
「で、残りの一が」
「他殺。何や引っ掛かる事もあるしな」
 自殺とキッパリとは言い切れない何かが、沈殿している。それが、何かはまだ明瞭ではないけれど。
「……ああ」
「お前の事も引っ掛かるし」
「―――俺?なんで」
 キョトンと見上げる顔は、本当に忘れてしまっているようだ。
 やはり事件を追い出すと、事件に関係無い事は追い出されるらしい。
「……ま、その辺はとにかく警察が来てからや。携帯のメール、確認しときたいし」
「その前に、他の人達に聞き込みしたい」
「せやな。けど事件もやけど、どっちかいうたら」
「”10年前”だろ?」

 

 紅の館の応接間には指示通り弟子二人が居た。ぼそぼそと何事か会話をしている。
 扉を開けると、おびえたようにこちらを見た。
「お、俺達……何もしなくてもいいのかな」
「警察が来て、現場検証してからじゃないと動けないと思うよ」
「そうか……しかし、鏡也君が……」
「作品盗難の事、二人共始めて聞いたんか?」
「勿論だよ!まさかそんな事あったなんて……」
「でも、自殺する位ならそんな事しなきゃ良かったのに。鏡也さんも……」
「―――ああ、そうだな」
 戸惑いと悲しみで、二人共どうしていいのか分からない様子だ。
「……ねえ、もうひとつ訊いていい?」
「何だい……?」
「皆10年前、言うてるけど何があったんや?」
「先生の奥さん、どうして亡くなったの?」
「―――」
 直接的な問い掛けに、沈黙が下りる。
 しかしその性質は違っていた。珠明がおずおずと口を開く。
「……俺は何も知らないよ。弟子入りしたの2年前だから」
「でも、何となく気付いた事とかあるんじゃない?」
「そんな昔の話、知った所でどうなるもんじゃなし。俺はね」
「じゃあ、剣司さんは」
「あ、剣司さん、先生に弟子入りしたの10年前でしたよね」
 視線が集中した剣司は、引き結んでいた唇から息を吐くように言葉を吐いた。
「……先生の奥様が亡くなった後だったから……僕は良く分からないよ」
「でも、”紅の乱舞”を見て感動して弟子入りしたって前に言ってましたよね。”紅の乱舞”って確か奥様が亡くなるあたりに―――」
「知ってても話せない事だってあるだろう?僕は話そうとは思わない。先生や紅莉ちゃんが何も言わない限り」
 きっぱりと目を見て語る様に、珠明は黙り込んだ。
「………」
「それに、これは鏡也君の件とは無関係だろう」
「まあ、今ん所はそうやけど」
 渋々頷く平次に、今は引いておこうとコナンは判断した。
「ねえ平次兄ちゃん、黄莉ちゃんのお見舞い行かない?」
「……あ、ああ。そうしよか。ほな、また」

 

 階段を上ってゆくと、廊下の端で蘭が扉を閉めた所だった。
「様子見に来たんだけど、どう?」
「黄莉ちゃん、まだ眠ってるの。紅莉さんが来たから私、下に降りなきゃと思って」
「そうなんだ……あ、皆応接間に居るよ」
「……何か飲み物でも出した方がいいかなあ」
「そうして貰えると助かるわ」
 ノックをし、扉を開ける。
 ベッドで寝息を立てている黄莉を、紅莉が呆と見ていた。
 こちらを振り返った顔に、疲れが浮かんでいる。それでも気丈に笑みを見せた。
「心配して来てくれたのね。ありがとうコナン君。でも落ち着いたみたいで、心配いらないから」
「なあ、あんたも知らなかったんか?盗難事件の事」
「―――知りませんでした。父はそういう事は自分一人で、一人だけで何とかしようとする人ですから」
「……ねえ、紅莉さん」
「何かしら?」
「10年前に、何があったの?」
「―――」
 俯き、黄莉を見る紅莉。
 いや、見ているのは更に遠く―――過去だ。
「全てが」
「?」
「”紅”にまつわる―――全てが……」
「………」
 過去を見ていた目が、黄莉の上に戻る。
「ごめんなさい、今は黄莉と一緒に居させて。一応落ち着いたとはいえ、気掛かりで」
「もうじき警察が来るさかい、一応顔出してや」
「分かりました。もう少ししてから下ります」
 応接間に再び入ると、小五郎と絳河が戻って来ていた。
 それぞれの前に湯気の立ち上るコーヒーが置かれていた。
 重苦しい雰囲気で、皆言葉も無く、項垂れている。
 遠くからサイレンの音がようやく聞こえてきた。

 

 

 

 


<VI>
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