永遠の子供 <the eternal child>


 

<VII>

 

「おい工藤、警察呼び戻して来た―――!?」
 平次が飛び込んだ部屋には誰も居なかった。
 寝ている筈の黄莉ですら。
「―――畜生、せやから待っとけって言うたんに!」
 激情のまま壁を拳で叩き、廊下に飛び出す。
 慌てて見回すと、寝着の裾が廊下の端にちらりと見えた。
「あれは―――」
 追いかけて踊り場まで出ると、黄莉が階段を上ってゆくところだった。
 黄莉の肩をつかみ、振り向かせる。
「何処へ行ったんや」
「あかのおへや……あかのおへやに、あかりねえさまが」
「ホンマか?ホンマにそこに居るんやな?」
 剣幕に脅えたのか黄莉の身体が少し反った。自信無く首を振りながら、けれど呟く。
「わからない……わからないけど……きっといるの」
 信じるも信じないも、とにかく何処に居るか分からないのだから、行ってみるほかはない。
 平次は黄莉を追い抜き、階段を駆け上がった。

 

 ”紅の乱舞”が、燃え盛っている。
 情熱というか、怨念というか、その紅は見る者を無口にさせる迫力だ。
 ”紅の部屋”に入って来た紅莉は、コナンを床に下ろし、中央に飾ってあったそれを見て唇を歪ませた。
「……何が『紅 絳河の代表作』よ」
 吐き捨て、布の端を掴むと力任せに引っ張った。
 絹の裂ける音が何度も部屋中に響き、その度に紅莉は解放されたような笑みを浮かべる。
 乱暴に剥ぎ取った”紅の乱舞”の全てを引き寄せ、抱きしめる。
「お母様……」
 目を瞑り、呟いた。
 懐かしさに彩られた、その言葉と表情。
 しかし、やがて目を開いた紅莉からは全ての色が消えていた。
「これのせいで―――。これがあるから……こんなの、もういらない」
 戸棚から染料の瓶を取り出すと、意識を無くし、力無く横たわっているコナンを見下ろした。
「ごめんね……折角、黄莉の友達になってくれたのに」
 感情のこもらない口調で言うと幾筋にもなった”紅の乱舞”を広げ、コナンを覆った。
 揮発油の混じっている染料を、なみなみと上から注ぐ。
 瓶から落ちてゆく毒々しい紅が、布の紅を塗りつぶしてゆく。
「さよなら」
 ライターを取り出した紅莉の背中で、扉が突然開いた。
 弾丸のように部屋に飛び込んだ平次が、咄嗟の事に固まった紅莉を跳ね飛ばした。
「工藤!」
 目の前の光景に一瞬、夢が再生される。

 

 四肢が、身体が、顔が、ゆっくりと赤に沈んでゆく。
 目の前から、彼の全てが消えてゆく。

 そして、布の下には何も―――

 

(―――させてたまるかっちゅうんじゃ!)
 夢を振り払おうと、紅色へ飛びかかった。布を剥ぎ取り、現れたコナンを引っ張り出す。
 紅にまみれたコナンを、平次は抱きしめた。
 脈を確かめ、安堵の息を吐く。
「せやから、お前ひとりにはしとうなかったんや……」  
 顔に飛び散った紅を、指でぬぐう。波打つ感情が収まらない。
 今度こそ消えなかった。今度こそ掴まえた。
 許されるならばこのまま、落ち着くまで居たかった。けれど、まだやる事が残っている。
 平次は静かにコナンを寝かせて立ち上がると、敗北を認めずに睨んでいる紅莉を睨み返した。
「……アンタ。コイツをどうにかした所でなあ―――」
「あかりねえさま!」
「―――き、り」
 声に反応し振り返った紅莉は、部屋に入ってきた黄莉を呆然と見た。
「なに、してるの―――?」
 怪訝な顔で見る黄莉に我に返ると、紅莉は部屋の中を隠すように立ちはだかる。
「黄莉、駄目よこちらに来ては……」
「あかり―――紅莉、姉様―――」
「………!?」
 黄莉の声色の変化に気づき、二歩三歩と歩み寄った。
「姉様、紅のお部屋で何してるの……?」
「貴方……言葉が」
「母様のお部屋で、何してるの……?」
「―――」
 真っ直ぐに問いかける黄莉に耐えられなかったのか、紅莉は視線を落とした。
「コナン君!」
 紅莉の後ろで横たわっているコナンを見つけた黄莉悲痛な声を上げた。
 立ちすくんだ紅莉の側を駆け抜け、名前を何度も呼んだ。
「紅莉姉様……コナン君に、何したの―――」
「……まだ―――殺してないわ」
 呟き、全身の力が抜けたように座りこむ。
 沢山の足音が階下から聞こえてきた。
「危ない所やったけどな。警察も戻って来たみたいやし、じきにここにヒト殺到するで―――紅莉サン。コイツをどうにかした所で、他にも鏡也サンを殺した証拠は挙がっとんのや」
「……そう」
 挑発的な平次の物言いに、紅莉は無表情で返した。けれど、言葉に反応した黄莉が何かに思い至った。
「……鏡也さん……。紅莉姉様、私―――見てしまったの。今日の午後に、姉様が黄の館に入って行ったのを」
「―――」
「見てしまったの、私―――」
 平次は黄莉とボールの投げ合いをしていた午後を思い返す。
 そういえば、一度黄莉がボールを探しに僅かの間姿を消した時間があった。
 消えた先は確か、黄の館の方向。
「証人登場やな、紅莉サン。―――もう終いや」
 最早虚ろな紅莉に、平次は怒りの隙間からコナンの言葉を思い出した。
「……コイツはなあ、自首してもらいたかったんや。せやから一人で、アンタに会いに行った」
 言って平次は、コナンを見た。
「どうして」
「―――」
「どうして、私に自首させようと思ったの……」
「黄莉ちゃんの為や」
 自分と反対の存在の為に―――そして、最も近い存在の為に。
「そう―――。私は、黄莉の為じゃなく……私自身の為に人を殺したって言うのにね」
「紅莉姉様……どうして」
 膝をつき、どうしてと呟く黄莉の頭を撫で、紅莉は微笑んだ。

 

 

 


<VIII>
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