サイレントサイレン <silent siren>


 

<XI>

 

「あれも、――夏でした。夏の、神社」
「とっても暑かったのを覚えているわ」
 十年前の夏の神社。
 亜麻子と木綿子は境内の樹に片方のゴムを引っ掛けゴム段に熱中していた。
 日陰では二台の乳母車と共に、家政婦の千世がそれを楽しそうに眺めていた。
 ――さあ、帰りましょう。
 傾いた夕陽を見て、千世が立ち上がった。両手に一台ずつ、乳母車を持って歩き出す。
 ――私も持つわ。
 ――あたしも!
 ――はい、じゃあお願いね。
 にっこりと笑って、千世はそれぞれに乳母車を差し出した。亜麻子も木綿子も、彼女を年離れた姉のように慕っていた。
 乳母車を進めながら、いつもなら急な石段ではなく、緩い横道を下っていた。
 ところが。
 石段の下に車が停まっていたのに子供達が気付いた。
 車から現れたのが両親だとも。
 ――亜麻子!木綿子!
 ――母さんだ。
 ――お母様ー!
 ――危ないわよ、今行くから――
 ――危ない――
 ――
「早く、母さんの許へ行きたかったの。それで慌てて乳母車を置いて石段を下りようとして、」
「けれど止まらなかった乳母車に追いすがったのが、千世さんだった」
 転がり落ちる二台の乳母車。かばうように一緒に落ちてゆく娘。
 一台は草むらに投げ出された。
 一台は下まで落ちた。娘と共に。
「だから。私達は更夜子と、千世さんも殺しました」
「事故です。亜麻子様、木綿子様。あれは――人喰いの神が喰ってしまったのです」
「そう。お父様も言っていました。事切れた千世さんを抱え上げ――人喰いの神に捧げるから、と境内へ」
「父さんが戻って来るまで、母さんは更夜子を離さず、じっと抱えていたわ」
 ――サヨコ。
 ――サヨコ。
「草むらから更陽子と乳母車を出してきて、父さんは母さんに渡した」
 ――ほら、綾子。ここに更陽子は居るじゃないか。
 ――ああ――サヨコ。
 綾子が更陽子を抱きしめる。
 もう動かない更夜子をそっと絹斗が抱き取った。
 ――さあ、皆車に乗って。帰ろう。
 ――お父様。
 ――父さん……
 ――いいね、亜麻子。木綿子。
 ――サヨコは元から一人しか居なかったんだよ。
「お父様は言いました。更夜子を見えないように上着でくるんで」
「最初は言われた事が分からなかったわ。でも」
 ――約束だよ。
 ――誰にも言ってはいけない。
 ――お互いにも。
 ――もう二度と。
「頷くしかなかったの」
「私も、そうだった――だって、お父様との約束だから」
「常盤木さんはその後、どうされましたか」
「戻ってお出でになった絹斗様に事の次第を聞いて、信じられないながらも急いで神社へ向かいました。千世は境内の裏に隠されていて、二人で車に乗せました。そして」
「ここに埋められたんですね」
「ええ――更夜子様と共に」
「――ッ!」
 途端、金切り声が側で上がった。
「いや――イヤア――!」
 大声で叫んでしゃがみこんだ少女の、その細い腕を掴んで平次は引っ張り上げる。ずっと静かだったのは、膨れあがった気持ちを言葉にする術が無かったからだろう。
 今、堰を切ったように声が上がった。次から次へと上がる言葉にならない声は止まらない。
「大丈夫、大丈夫やで」
 目線を合わせて身体の震えを止めようと抱きしめる。腕が何からも逃げようと藻掻いた。
「イヤ……イヤ――」
「更陽子……声が」
「――ア」
 大丈夫、大丈夫と呪文のように耳元で囁き続ける。暴れていた手が大人しくなり、身体が柔らかく崩れた。
 呆と座り込みながらも、恐る恐る自分の声を確かめている。
「ああ――わたし」
「声、聞こえるわよ! 分かる?」
「うん……わか、る。亜麻子姉様……木綿子姉様。聞こえる?」
「ええ」
「……常盤木さん」
「更陽子様――良かった」
「ほんで、常盤木サン」
「はい」
「何のつもりで手紙を作ったんや?」
 何年も前の手紙が今頃辿り着く事はまず有り得ない。であれば、作ったのは更陽子に渡した常盤木になる。
 絹斗の部屋で手帳を見付け、綾子の走り書きの真似まで加えて。
 それらしく装って更陽子に渡せば、どうしても混乱するのは分かっている筈だ。それなのに。
「……それは。更陽子様を、解放して差し上げたかったのです」
「常盤木さん――」
「恨んではいないと?」
「――ええ。本当は、最初こそそう思っておりました。けれど綾子様は更夜子様を亡くしてからずっとお心を病んでいらっしゃいました。心配された絹斗様が気晴らしにと船旅に連れ出せばお二人共沈んでしまい、それ以来更陽子様はお声が出せなくなってしまわれて。そして年若い皆様だけで町に下りて苦労して生活をされてました。ですから――更陽子様に、引いては亜麻子様にも木綿子様にも、もっと楽になって頂きたくて作ったのです」
「しかし、更陽子さんの夢の話を聞いたのは瓶を渡した後ですよね」
「ええ。ですから全くの偶然です――しかし、それで探偵までお雇いになるとは思いませんでしたが」
「偶然じゃないわ、きっと」
「更陽子様――」
「だって、こうやって私声が出てる。引き寄せられたのね、千世さんと――更夜子に」
 ゆっくりと少女は立ち上がって微笑んだ。
 閉じこめていた声を放つ程の大きな衝撃を受けて、それでも立てる力に驚き、慌てて支えようとしたが少女は首を振った。
「大丈夫です。工藤さん、服部さん」
 開いた唇から旋律が流れ出す。
 確かにそれは、子守歌のようだった。
 ゆるやかに、滑らかに響くメロディ。
 余韻を残して歌は止んだ。
「お母さんが唄っていたんです。何度も何度も」
「それ、ね……お母様の歌ではないの」
「――え」
「千世さんの歌よ」
「だから、私達も歌えるの……知らなかったでしょう」
「常盤木さんも?」
「ええ」
「だったら、今度一緒に唄ってくれる?」
「ええ――ここでなら千世も喜ぶでしょう」
「更夜子も、喜ぶかな」
「そうね――」
 そうよ、と姉二人の笑みが崩れて、涙声に変わった。

 

 

 山を下りる車中は、柔らかい安堵が漂っていた。
 皆が少しでも楽になったのであれば、それでいいと新一は思う。車を出してもらう程にまで落ち着くには、少しかかったけれども。
「それで、どちらでしたか」
「え」
「夜宮の境内で、僕に訴えたのは」
「――私よ」
「あたしは運転手。姉さん乗せて、裏道から逃げたの……ごめんね」
「ごめんなさい。もっときちんと言いたかったのだけれど」
 二人は素直に詫びた。
「お姉さん達、そんな事してたの――もう」
「いいんですよ。無事解決しましたし」
「そんな事あったんか……姉ちゃん達も必死やったんやな」
「――あ」
「どしたん」
「お祭り、終わったみたい」
 ぞろぞろと道に出てくる人々を、車が追い越す。直ぐにサイドミラーからも遠ざかった。
「楽しかったのかしら。……でも何だか、寂しそう」
「祭りの後は――寂しいですものね」
「ええ……でも、また来年がありますよ」
「せや。次のハレの日の為に、今は終わるんやで」
「――そうよね」

 

 

 

 


<XII>
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