たけくらべ
玄関のチャイムを二度鳴らした。
三度目を鳴らそうとした時、扉がようやく開いた。
「おう。来たで」
「……早かったな」
中から現れた彼は気もそぞろで、此処ではない何処かとの繋ぎ目が外れていないようだった。
「ほうか?」
「じゃその買ってきた奴、適当にしまっといて」
顎で招かれ使われる。
平次が両手に提げている荷物は自分が片づける事になるだろうとは思ってはいても、一言は文句を言わないと気が済まない。
廊下を裸足で先に行く新一に声を掛ける。
「……人に頼んどいてそれかい」
彼は背を向けたまま空の両手を上げ応えた。
「俺は今手が離せねえの。それと、も少ししたら湯が沸くから」
「ヤカンも止めるんやな」
「ついでに茶、淹れて」
「そりゃついでも何も……客人に茶まで出させるんか」
「客だと思われたい訳」
「いや、まあ」
客という程余所余所しくはないけれど、それでも少しは気遣われたい。
そう思ってはいたがテーブルの周りに散乱している本や書類を眺め、彼の様子に納得した。
「……何、工藤謎解き真っ最中なんか」
「まあね。ちょっとダイイングメッセージで引っ掛かってて」
「しゃあないなあ。したら茶淹れるさかい気分転換し」
「ん――そうする」
新一は長椅子に座り込んで伸びをすると、身体を傾けた。
半分寝るような姿勢の彼を見遣りキッチンへ入る。丁度沸く直前だった湯をポットへ移し替えながら隣の部屋に声を掛けた。
「あんま寝てないんか」
「少しは寝たけど」
「どっちかて同じやろ、それ」
「コップに入れた少量の水を見てあとこれだけ、思うかまだこんなに、と思うか――」
「そんだけ喋れんなら大丈夫やな。茶、入ったで」
「サンキュ」
器から立ちのぼる湯気につられ新一が身を起こした。伸ばす手に取っ手を握らせる。
「たっぷり淹れたからな」
「ん」
一口飲んで息をゆっくりと吐く。
ひととおりその様子を眺め、今度は自分の器を取り座ろうとした時彼がふと顔を上げた。
その険のある顔つきに当惑する。
「……何じろじろ見てんだよ」
「いや、何も」
「まだこの俺、見慣れないか。もの珍しいんだろ」
「んな事ないで。前からずっと見てたように収まっとるけど」
「……じゃあこの位だった時は」
言って新一は椅子の背もたれに肘を掛ける。
つい前まではその高さが彼の身長だった。
「ソレも工藤やろ」
当然に言うと新一は諦めた様に首を振った。
「……もういい。お前に訊いた俺が馬鹿だった」
「何や俺が悪いんか」
「俺だってまだ馴れないってのに何でお前は、んなアッサリ馴染んでんだよ」
戻る身体。
戻らない時。
意識のズレにままならない自分への苛立ちが、平次への一方的な非難の中に潜んでいた。
「さあ?何でやろなあ」
口調の切っ先を軽くかわして隣に座る。
少し傷ついたような彼の視線が微かに刺さる。けれど本当の事を述べているのだから仕方がない。
しかしそれでは今度はどんな言葉を返すべきだろうか。
「まあ――同じくらいやとええやん」
苦し紛れに翳した手を彼の頭へ伸ばす。丈比べの仕草。
彼がひとつ瞬いてこちらを見る。
「何が」
同じくらいの背丈。
同じくらいの目線。
同じくらいの――
「キ――」
キス、とか。
口に上りかけた瞬間鮮やかに甦ってきた過去の光景を押し潰す。
「き……聞こし召す時とか、なあ」
「……十分今でも問題だと思うけど」
「小学生が酒飲み思われるよりええやん」
「年じゃなくて背の話で――背……の」
強引な話の転換だったが新一は違う方に気を取られたようだった。
思考を巡らせる彼を余所に平次は日本語の曖昧さに胸を撫で下ろした。
あれは、言わば不慮の事故だ。
憶えていない出来事をわざわざ思い出させる必要も無いし、思い出した所で互いの為になる事も無い。
けれどその不必要な筈の記憶を平次は何故か大事にしまい込んでいる。
「……ああ」
「どした」
「そっか、犯人は被害者の兄だ」
「は?」
「悪い、ちょっと電話」
平次が疑問の声を上げると、彼は携帯電話に目を落とし操作しながら言葉を続けた。
「北の月、じゃなく背、だったんだ。そして被害者は女性で」
「背……妹に対する背、兄っていう意味かいな」
「多分。そしておそらく二人は関係が――もしもし、工藤ですけど」
電話口で話し出した新一を、茶を啜りながら見遣る。
事件の解決に集中している彼はこちらなど見向きもしないが、その方が都合が良い。
つい目で追ってしまうのは、質量の変化につられたなどでは無く 。
彼が彼である為だと知っている、から。
-From autumn to summer- end.
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