砂漠の滴


 

 

 読み終え閉じた本から一息置いて顔を上げる。
「――やば」
 壁の時計の示す時間に新一は目を見開いた。
 秋の夜長とはいえ、床に就くつもりでいた時刻はとうに過ぎていた。これでは明日の――もう今日だけれど、授業に響くのは確実だ。
 最も、傍らに本を数冊積み上げた時点でこの状態に陥るのは目に見えていたので、回避すべくケータイにアラームをセットしておいたのだけれど何冊目かの佳境に散々鳴り渡るそれにすっかり気分を害し、止めてケータイごと放り投げていたのだった。
 思いのほか遠くまで転がっていたそれを見遣る。
「ん――」
 目が、乾いている。
 幾らまばたきをしても睫毛の擦れる乾いた音しかしない。
 カサカサ、カサカサ。
 まばたきのし過ぎで眼球の表面が引き攣れる感覚さえしてきた。
 眉間を軽く押すだけで痛さに沈む。
「あーあ、すっかりだな」
 伸びをして首を回す。肩から腕を回すと少し楽になった。
 とにかく、睡眠を取れば回復するだろう。
 起床時間のアラームをセットしようと立ち上がり、ケータイを拾った。
 手の中で明滅する光。
『メール 1件』
「――」
 カサカサ、カサカサ。
 かさつく音に、自分がまばたきをしていた事に気付いた。気付いた音に、また苛出つ。
 目を無意識に閉じないよう、しっかり開いて。
 二枚貝を開けて、――閉じた。

 

 

 片目から、一筋の涙。
 頬を流れる温かい滴。
 余りの熱さに驚く位の。

 

 

「な――ん、」
 突然湧いた水分に思考が止まった。
 慌ててまばたきをしても滴は止まらない。ドライアイのせいで、目の筋肉が言う事を聞かない。涙を調節できない。
 しばらく感じる事のなかった水分に手で拭う事を忘れ、まばたきで散らそうとする。けれど睫毛に掛かる水が跳ねただけで、片方からは乾いた音がした。
 洗面所まで走り電気を点けるのももどかしく鏡を睨みつける。
 自分が泣いている、ように見えた。睨みつけている筈なのに。
 以前にも目の疲れでこんな事はあった。けれど、――こんなタイミングで。
 只のスパムメールだった。そんな事分かっているのに。
 彼からの連絡など一切無いと分かっているのに。
「……気持ち悪い」
 声に出す。
 他に当てはめるべき言葉が新一には浮かばない。あるかもしれない他の選択肢は沈めてしまった。只、気持ちが良くないから。だから悪いという言葉を使った、それだけの事。
 気持ちが悪い。
 自分のちぐはぐな両目に。ちぐはぐなこの感情に。
 彼がこんな自分を見たら面白がって何か言うだろうとか、
 珍しがって覗き込んで来るだろうとか、
 ――指で拭ってくれるだろうか、とか。

 

 乾いているのか。目だけではなく。
 渇いているのか。砂漠のように。

 

 早く寝てしまえば良かった。夜長にかまけず。
 朝が酷く遠く感じて目を閉じた。

 

 


-From summer to winter- end.

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