眠りの引き金
「……げ」
連続爆弾魔の今回の仕掛けをことごとく撃ち破ったコナンが、荷物を置いて出てきた阿笠邸に戻ってきた折りだった。
流石に精神も肉体も疲れ果て、帰って毛利宅で休もうとカバンを整理していた処に携帯電話が目に付いた。
手に取ったそれ、の着信件数が10回を超えていた事に唖然とする。無音で振動も出さずにおいていたから阿笠も気付かなかったのだろう。
履歴を繰る。
全部が奴の名前。
番号を教えているのは数少ない人間だから、そうである確率は極めて高かった訳だけれど。
「だからって……ったく」
「大阪の彼氏でしょ」
背後から投げられた子供の声に慌てて振り返る。
他の子供達は先に帰らせたので此処に子供は二人しか居ない。
「……なあ灰原、その日本語間違ってるぜ」
「『彼氏』、『彼女』。……何か間違ってるかしら」
哀が不思議そうに訊く。勿論承知の上だろうけれども、下手に突くと藪蛇だとだんまりを決め込んだ。
「それより、そのままでいいの?」
「……何がだよ」
「連絡してあげたら」
「えー、もう俺帰って寝たいんだけど」
「まだ事件の興奮でそれ処じゃない癖に」
「……それに、今掛けたらあいつ、絶対何だかんだ喚いてくるに違い無いって 」
「だからって放っておいたら、きっと心配症の彼氏が思いあまって遠出してくるに違い無いわね」
「だーかーらー」
「何?」
「……」
彼女に口で勝とうと言うのが間違いだったと渋々通話ボタンに指を掛ける。
言われた通りにやらされている、というポーズを崩さないコナンに哀の眼差しがふと和らいだ。
コール音が止まない。
直ぐに飛び出るだろう、と思ったコナンは少し苛々した。
直ぐに、声が聞けると――
『……工藤?』
耳元でやけに低い声に名前を呼ばれ、言葉が詰まった。もっと最初から散々喚かれるだろうと覚悟していたのに。
「――うん。俺」
『無事で良かったわ』
「ったり前だろ?」
『ああ、ホンマや――ほな』
素っ気なく通話の終了を告げる言葉に、条件反射で声を上げた。
「え、おい、ちょっと」
『……何や』
「もう――切る、のかよ」
先刻は話が長引くだろうから、と電話を渋っていた反動で戸惑いが湧き上がった。それが相手にも伝わったらしく、諭す調子で気遣われる。
『せやかて、自分ごっつい大変やったやん。詳しい話は後でええよ』
「――まあ、二日位寝てないけど」
『やろ。もう、寝とき』
柔らかく届く声に目眩がした。視界が歪み、咄嗟に長椅子に腰掛けて目を閉じる。
「……ん。そうする――あのさ、このケータイ、博士の家に置いてってさ……悪い」
『かと思ったで。まあ、声聞けただけでも良かったわ』
苦笑混じりの声に頭の芯が呆とする。今まで身体中に張りつめていたモノが、身体を支える力を失っていく。
「服部」
『何や』
「――サンキュ」
『……おう。ほな――おやすみ』
目を閉じているから、きっと彼は側にいる。
ゆっくりと通話切断ボタンを押した途端、コナンは長椅子に倒れ込んだ。
哀が駆け寄り横倒しになった身体を揺らす。
「ち、ちょっと工藤君!一体――」
「……悪い、灰原……もう限――」
呼びかけにうっすら開いた瞳が再び閉じられた。
哀が呆然としている前で聞こえてきた、静かな寝息。
安堵の溜息をひとつ吐き、まだ手に握られていた携帯電話を見て苦笑する。
「……お役目、ご苦労様」
意味が少し違うかも、と思いながら側の膝掛けをとりあえず掛けていると、コナンの様子に気付いた阿笠が慌ただしくやって来た。
「お、新一!どうした――」
「……どうやら、緊張の糸が切れたみたい」
「こんな処で寝おって……風邪引くぞ、コラ新一」
「もう一晩お泊まりだって、連絡してあげて?博士」
「いや、でもなあ……」
「起こすのが勿体無いでしょう、こんな寝顔を見せられたら」
「確かに、随分と柔らかい顔じゃな。良い夢を見てるのかのう」
「そうね。多分、」
「電話の相手に眠りの引き金を引いてもらったから、かしら」
end.