子龍。



趙雲
 字を子龍(しりゅう。しりょうとも読む)。常山郡真定県の人。 
 公孫サンの配下であったが、袁紹を阻むために派遣された田楷に
 随行した劉備と出会い、そのまま従った。一時、兄だか母だかの
 喪に服すために故郷に帰ったが、劉備が袁紹に身を寄せていた時に
 再会を果たした。荊州で曹操の襲撃を受けた際、長阪(演義では
 長坂)で劉備の妻子を救ったり、孔明に従い斜谷で曹真の大軍を
 少数で守り持ちこたえるなど(結局敗北したが)、その活躍は
 蜀の五虎将軍の名に恥じない。が、演義での活躍の大半は『蜀志』
 趙雲伝の注に引かれた『趙雲別伝』に基づくものなので、注意が
 必要である。諡号も、五虎将の他の4人より1年遅れで順平侯を
 贈られた。孔明の作戦ミスによる敗戦の責任を取らされ、
 鎮東将軍から鎮軍将軍に降格された2年後の建興7年(229年)、
 世を去った。




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